ここに紹介するのは、かつて三里塚を闘い続けた人たちの証言をまとめたパンフレット「裁けるかこの闘いを」の一部である。これは1978年3月26日、一時的にせよ開港を中止に追い込んだ英雄的な戦士達の裁判闘争にむけて作られ、多くの人々に読まれていった。当時の写真とともにここに掲載する。なお、まっぺんの責任により文意をそこなわない範囲で要約した。 もともと三里塚というところは、終戦になって復員軍人とか、疎開者とか失業者とか、そういう人たちの対策、救済として国が入植させたところなんだ。そういう人たちを入植させて、農業やらせることが食料増産にもつながるわけで、国にとっては一石二鳥だったわけだ。 ここに開拓に入ったのが昭和21年20歳のときで、それからようやく食っていかれるようになるまで4~5年はかかたかな。それからずっと畑耕して、一生懸命働いてきて、その間、一番つらかったことってのは、子供育てることだっ