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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/hituzinosanpo (3)

  • 人権教育は、ありえない - hituziのブログ 無料体験コース

    人権教育にかんする原稿をよんだ。すばらしい内容。 ここでは、原理的な はなしをかく。とても重要なはなしなので、かんがえてみていただきたい。 なにが教育をなりたたせるのか。たとえば、学生みんなが席にすわって授業をきく。授業に参加する。これをあたりまえのことだと想定すること自体が、おそろしい発想である。 ある高校がある。進学校だ。みんな授業に参加している。一部が いねむりする程度だ。すばらしい。 もうひとつ高校がある。授業中、さわぎっぱなしだ。教師は、しずかにしなさい! すわりなさい!をさけびつづけないと いけない。あるいは、だれにも きこえないことをわかっていながらも、こえをはりあげようとも かきけされてしまうがために、たんたんと授業をつづけているかもしれない。 なぜ、このようなことになるのか。わたしにとって、授業にならない教室というものは、とても自然なことだと おもえる。50分も席に すわ

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  • 「こどもあつかい」について - hituziのブログ 無料体験コース

    「こどもあつかいするな」。 こどもあつかいは、わるいことだとされています。たとえば、おとなの身体障害者にたいして、こどもあつかい。20代後半のひとにたいして、50すぎのひとが こどもあつかい。「ちゃん」で よんでみたり。 けれども、こどもと おとなの平等という観点にたってみると、なぜに「こどもあつかい」が よくないことだと いわれるのか、すこし不可解になってきます。なんなんでしょうか。 おとなは こどもではない、ちがう、ことなっている。なのに、とりちがえている。だから、いけない。イヌをネコと よんではいけない。そういうことでは ないように感じるのです。 おとなと こどものあいだに、はっきりと、序列といいますか、上下関係が成立している。それは こどもが つくったものではない。「こどもあつかいするな!」という、おとなの側が つくりだした序列だ。 でだな、「こどもあつかいされている」と どのよう

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  • わたしたちは、わたしも あなたもベジタリアンだ - hituziのブログ 無料体験コース

    きのうも肉をたべたように記憶しています。けれども、わたしはベジタリアンです。 読者のみなさんも、きのうも きょうも肉をたべたかもしれませんが、ベジタリアンです。 まえに、「人間とは、肉をたべるベジタリアンのことだ」という文章をかきました。 これにたいし、タカマサのきまぐれ時評2さんからトラックバックをもらいました。いまさらながら、補足をかねて、おへんじをかきます。 「人間とは、肉をたべるベジタリアンのことだ」というのは正論だとはおもうが…の後半部分をとりあげます。タカマサさんは、わたしの記事に、つぎのようにコメントしています。■たとえば、「ひとは すべて、倫理的、宗教的、健康的、体質的、味覚的な理由から たべるものをえらんでいる。すべての材をたべるひとは どこにも いない」「人間すべての質でもある」という記述は、人類学的には ただしい。■しかし、だったら、「ヒト=ベジタリアン」というこ

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