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ブックマーク / kaxima.hatenadiary.org (4)

  • 「蟻の町」についての連載を始めました。 - 備忘と思考

    報告遅くなりましたが、『社会新報』(週刊)で、2月20日号から 「約束の地 蟻の町とその演出家・松居桃楼」 という文章を、隔週で書いています。全10回(→間違いです!全8回でした)。次は3月20日号に掲載される第3回です。 焼け跡からの復興が進みつつあった1950年代。行政用語で「仮小屋生活者」と呼ばれる人々がいました。彼らの多くは、戦争やそれに起因する失業によって住む場所を失った人々で、寺の境内や公園、旧軍用地といった場所に掘っ立て小屋を立てて集住していました。その数は、東京だけで4000人以上に上ります。有名な集住地としては寛永寺や御茶ノ水駅近くのお堀の斜面などがありました。 これに対して行政は、「公共の場」を不法占拠するものだとして、彼らをトラックに押し込み、小屋を焼き払っていきました。その背景には、朝鮮戦争時の治安を脅かす貧しい人々の集住を恐れる米軍の意向があったとも言われます。

    「蟻の町」についての連載を始めました。 - 備忘と思考
  • ユリイカで韓国マンガについて書きました。 - 備忘と思考

    『ユリイカ』3月増刊号・特集「世界マンガ体系」に、「韓国のオルタナティブ・コミック」という文章を書きました。表題のとおり、韓国の非主流派のコミックを紹介しています。 日の雑誌にも韓国の作家はけっこう描いていますが、それらのほとんどは日漫画に近い作風のものです。しかし韓国には、日漫画とはかなり作風が異なる漫画もたくさんあります。そうした韓国漫画が今後、もっと日でも紹介されればと思います。 「ユリイカ」では絵の実物をお見せできなかったので、ネットで絵を見ることができるブログなどを探しました。カラーの絵と雰囲気だけでも見ていただければ。 『泣くには少し曖昧な』(チェ・ギュソク) 漫画学科を目指す予備校生たちの話。リンクは誰かのブログから。写真はチェ・ギュソク。 http://blog.naver.com/saltiee21?Redirect=Log&logNo=20110435483

    ユリイカで韓国マンガについて書きました。 - 備忘と思考
  • 自著『九月、東京の路上で』を刊行します - 備忘と思考

    東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺について書いた自著 『九月、東京の路上で/1923年関東大震災 ジェノサイドの残響』 を刊行します。3月7日発売です。版元は「ころから」(http://korocolor.com/)。 著者名は、鹿島拾市ではなく「加藤直樹」を使いました。 もともと、「民族差別への抗議行動・知らせ隊」が「関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺から90年。記憶・追悼・未来のために」というテーマで昨年9月から10月にかけて展開したブログ「9月、東京の路上で」に加筆・修正を加えたものです。こちらも文章は私が書いています。 このは関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺という歴史事件の全貌を俯瞰的に描くのではなく、そのなかのいくつかの出来事の現場を見ていくものです。90年前の東京の路上に生きた(殺された)人々の姿が読者の記憶に残り、さらに関東大震災時の虐殺について現在に直結する問題として考える

    自著『九月、東京の路上で』を刊行します - 備忘と思考
  • 小説 ドウモ真実教 - 備忘と思考

    ドウモ真実教という教団のお話である。 数十年前、浅墓証拠氏の指導の下、この教団はテロに走った。近所の敷地に乗り込んで、多くの人の命を奪ったのである。 背景には、教団への監視の目が強くなり、社会的包囲網が狭まる中、「ジリ貧よりドカ貧を」と勝負に出たということらしい。もちろん、結果は裏目に出る。浅墓氏ほか幹部たちは逮捕され、死刑判決を受けた。 教団は、テロの責任をとってドウモ教団は賠償を支払う。さらに警察の監視下におかれてしまった。もう自由に武器工場などを作れない。 その後、教団はアレポと改名。浅墓氏とは別の指導者を据えて、テロへの反省を掲げて活動を再開した。少しかばっておけば、彼らも彼らなりにがんばった。近所でニコニコと風船を配り、被害者遺族の子どもの学費を援助したりした。だがそんなことで殺された側の恨みはそう簡単に消えるものではない。教団は、新しい指導者の名前で、「反省している。再びテロは

    小説 ドウモ真実教 - 備忘と思考
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