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ブックマーク / kubrick.blog.jp (4)

  • 【関連書籍】戸田奈津子 金子裕子『KEEP ON DREAMING』で語った、『フルメタル・ジャケット』翻訳家降板事件の戸田氏の言い分 : KUBRICK.blog.jp|スタンリー・キューブリック

    これが戸田氏の訳だったらどんな「甘い」ものになっていたのやら・・・。 ※P144より抜粋 Q『フルメタル・ジャケット』の字幕訳者を交代した理由は? そのマシュー・モディーンが主演した『フルメタル・ジャケット』の監督、スタンリー・キューブリックは究極の完璧主義者でした。自分の映画が公開されるときは、あらゆる国のポスターデザイン、宣伝コピーなどの宣材を全て、フィルムの現像の焼き上がりチェックまで、とにかく全てに目を通します。たとえば日で印刷したポスターは色が気に入らないと言って、自分が住んでいて目の届くイギリスで印刷させていたほどです。 じつは『2001年宇宙の旅』(1968年)、『時計じかけのオレンジ』(1972年)など、過去の作品は大先輩の高瀬鎮夫さんが字幕をつけられていて、「キューブリックは字幕原稿の逆翻訳を要求するバカげたことをなさる大先生だ」とぼやいておられました。その高瀬さんが亡

    【関連書籍】戸田奈津子 金子裕子『KEEP ON DREAMING』で語った、『フルメタル・ジャケット』翻訳家降板事件の戸田氏の言い分 : KUBRICK.blog.jp|スタンリー・キューブリック
  • 【考察・検証】星新一の『2001年宇宙の旅』批判を検証する : KUBRICK.blog.jp|スタンリー・キューブリック

    スクリーン 1968年7月号『SF映画の楽しさと問題点をさぐる』 日を代表するSF作家、星新一が『2001年…』に批判的だったのは知っていたのだが、その批判記事を見つける事ができたので、それを検証してみたいと思う。 (注:※は管理人による注釈で、元記事にはありません) シネラマ『2001年宇宙の旅』ぐらい、いろいろな意味で話題になった映画は最近においてないのではないかと思う。なにがなんだかさっぱりわからないのである。私は小松左京といっしょに映画を見たわけだが、帰りにビールを飲みながら数時間にわたり、ああであろうかこうであろうかと話しあった。私も彼も日SF界では五指に数えられる(なんと作家の層の薄いことよ)のはずだかが、いわく不可解というのが結論だった。 もっとも、見るにたえない愚作というわけではなく、むしろ一見の価値のある精密さと幻想美をそなえた作品ではある。ただそれが調和していず、は

    【考察・検証】星新一の『2001年宇宙の旅』批判を検証する : KUBRICK.blog.jp|スタンリー・キューブリック
    fromAmbertoZen
    fromAmbertoZen 2021/04/11
    公開時点でこんなに鋭い的確な批評をしている星新一すごい
  • 【台詞・言葉】白人の呪い・白人の責務(White Man's Burden) : KUBRICK.blog.jp|スタンリー・キューブリック

    『シャイニング』のバーシーンでジャックがロイドにバーボン・オン・ザ・ロックを作ってもらいながら呟く台詞ですが、訳では「酒は白人の呪いだ、インディアンは知らん」となっています。しかし、調べてみるとイギリスの作家で詩人のラドヤード・キップリングが1899年に詠んだ詩『White Man's Burden(白人の責務)』を指しているようです。以下はその詩と訳になります。 The White Man's Burden Take up the White man's burden -- Send forth the best ye breed -- Go bind your sons to exile To serve your captives' need; To wait in heavy harness On fluttered folk and wild -- Your new-caught

    【台詞・言葉】白人の呪い・白人の責務(White Man's Burden) : KUBRICK.blog.jp|スタンリー・キューブリック
  • 【俳優たち】『ロリータ』を演じたスー・リオンが辿った壮絶人生 : KUBRICK.blog.jp|スタンリー・キューブリック

    コットンと刑務所で結婚式を挙げるスー・リオン 『ロリータ』でロリータは劇中様々な大人たちの思惑に翻弄され(また翻弄し)なかなかハードな人生を送っていましたが、そのロリータを演じたスー・リオンの人生はそれ以上にすさまじいです。今回はそれをご紹介いたします。 1946年7月10日 アイオワ州ダベンポートでスー・リオンはカー・リオンの5人の子供たちの末っ子として生まれた。スーが10ヵ月の時父親が自殺、母親は病院の寮母として働かなければならず、生活は困窮していた。 1958〜1959年 この頃、リオン家はロサンゼルスへ引っ越し、スーが家計を助けるために髪をブロンドに染め、モデルとして働き始めた。また『わんぱくデニス』と『ロレッタ・ヤング・ショー』で小さな役を得た。 1960年6月 キューブリックは1959年12月13日にオンエアされた『ロレッタ・ヤング・ショー』でスーを見て、ウラジーミル・ナボコフ

    【俳優たち】『ロリータ』を演じたスー・リオンが辿った壮絶人生 : KUBRICK.blog.jp|スタンリー・キューブリック
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