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ブックマーク / lex.juris.hokudai.ac.jp/~endo (2)

  • 遠藤乾研究室―北海道大学法学部・公共政策大学院(教授・国際政治)

    冷戦とその終焉を単純な勝ち負けの論理で語ってはならない。変革のプロセスの多様性と多層性を見つめながら、私たちが忘れ、誤解し、あるいは避けてきた論点――歴史とユートピアを鮮やかに描き出す。 「経験はあることが何で構成されているのか教えてくれるけれど、それが他の何かで構成される可能性がなかったかどうかを決して証明しはしないのだ」(カント) 筆者が初めて海外へ出たのは、大学2年生の1986年夏、ソ連に旅立ったときだった。ドストエフスキーの小説がもつ陰影にひかれ、なぜか憧れたシベリア鉄道に乗りたくて、チェルノブイリの後遺症も気にせずに、横浜から船でナホトカに向かった。 当時は、ゴルバチョフ書記長によるペレストロイカ(改革)が緒についたばかりで、まだアルコール規制などが巷で話題に上っていた時期である。たしかに、屋根のないディスコとやらを訪ねると、目の前でウォトカの密売人がつかまった。 半ば管理下にあ

  • 遠藤乾研究室―北海道大学法学部・公共政策大学院(教授・国際政治)

    『旧約聖書』(中沢洽樹訳)中公クラシックス、2004年(もともと『聖書』中公バックス・世界の名著13、1978年所収) 犬養道子『旧約聖書物語』(増補版)新潮社、1977年(もともと1969年) 旅先でアッシジを訪れた誰もが立ち寄る大聖堂で、駆け出しの大学院生だったわたしはジォットに見入っていた。声をかけてくれた日人の神父さんは、たいへんにやさしい人だった。ローマに向かう道中をご一緒したこともあり、貧乏学生をテルミナ駅そばのピッツァリアに連れて行ってくれた。 けれどもいまにいたるまで最も鮮明に覚えているのは、フレンドリーな会話の間ただいっとき緊張した場面である。その神父さんは、「ところで君はキリスト者なの」と尋ねられた。わたしは、当時ベルギーの大学街にあって確かに道ばたで佇むマリア像に感じ入り、神学部の図書館で見たこともない巨大な蔵書を眺めては一人おののいていたものの、信者ではなかった。

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