冷戦とその終焉を単純な勝ち負けの論理で語ってはならない。変革のプロセスの多様性と多層性を見つめながら、私たちが忘れ、誤解し、あるいは避けてきた論点――歴史とユートピアを鮮やかに描き出す。 「経験はあることが何で構成されているのか教えてくれるけれど、それが他の何かで構成される可能性がなかったかどうかを決して証明しはしないのだ」(カント) 筆者が初めて海外へ出たのは、大学2年生の1986年夏、ソ連に旅立ったときだった。ドストエフスキーの小説がもつ陰影にひかれ、なぜか憧れたシベリア鉄道に乗りたくて、チェルノブイリの後遺症も気にせずに、横浜から船でナホトカに向かった。 当時は、ゴルバチョフ書記長によるペレストロイカ(改革)が緒についたばかりで、まだアルコール規制などが巷で話題に上っていた時期である。たしかに、屋根のないディスコとやらを訪ねると、目の前でウォトカの密売人がつかまった。 半ば管理下にあ