今夏の酷暑や豪雨でも分かる通り、人は天気をコントロールできない。渇水に苦しみ、軍靴の音が響く中で水道設備に投資もできなかった戦前の神戸市は、“最後の手段”として雨乞いをした。その名残のほこらが今も千苅ダム(北区)に残る。ひょんなことから数年前に縁起が判明し、水道局の職員有志がゆかりの奈良・吉野を次々訪問。往時の役人に思いをはせている。(上杉順子) ほこらがあるのはダム上部東側の高台。傍らの石柱に「丹生川上水神」と彫られている。市水道の70年史、100年史に建立に関する記述はなく、職員の間では「謎のほこら」とされていた。 謎が解けたのは全くの偶然。2014年9月、市水道局長(当時)の見通孝さん(63)が奈良県を旅行中、「水の神様」の看板に引かれて丹生川上神社中社(奈良県東吉野村)に立ち寄り、拝殿に「奉納 神戸市」「昭和十四年十月」と記された黒馬の絵馬があることを知った。その縁で、ほこらは、同
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