海外への移住、逃亡 ナチ政権成立と同時に、ドイツのユダヤ人(およそ五十万人強)は多かれ少なかれ海外への移住、逃亡問題との葛藤に悩まされた。すでに広く出まわっていたヒトラーの『わが闘争』などにより、ナチ政権がユダヤ人に対しどんなことを考え、主張しているか、ドイツのユダヤ人にはよくわかっていた。 しかし、ドイツに生まれ育ったユダヤ人にとって、母国はあくまでもドイツであり、自分達がドイツ人であることを少しも疑っていなかったのである。 彼等にとって、見知らぬ海外への移住、逃亡を決意することは、決して容易でなかった。特に、中年以上の年輩の人にとっては、たとえパレスチナがユダヤ教のふるさとであろうと、異郷の地には変わりなく、移住の決断がなかなかできないのが実情であった。 したがって、ユダヤ人は一般に若い息子や娘、孫などを海外へ移住、逃亡させ、年寄りはドイツに残るという方法をとるものが多かった。まして、