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あとでよむに関するfujiyama3のブックマーク (3)

  • ボクタチの闘争 - kom’s log

    「同じ人間だろ」は断固否定しなくてはならない。同じ人間ではない、という基的な態度をとるべきなのである。 同じではないから、対話が必要なのであり、理解できる部分とできない部分を見極め、合意を形成し、ボトムラインの線引きを行う。ここからここまでは合意に達しましたね、ということで。同じ人間はそもそもありえない。同じ、ということはありえないと絶望しつつも合意が形成できることに僥倖を感じつつそこに社会関係がうまれる。 たとえばこのあたりにみられるように大騒ぎしている某府知事。バカだ、と一蹴すればよい話なのだが、そういっていられるのは実は今日明日の話であって、今後15年ぐらいのスパンで考えれば一蹴するわけにもいかぬ症状である。この人間が考えているのは競争だ。しかもその頭にあるのは、自分を競争という闘争の場から一歩引いて競争とはなにか、競争はこの場面においてあるべきか、といった思想ではない。人がたと

    ボクタチの闘争 - kom’s log
  • 暴力? - 無産大衆

    しかし、暴力とは何なのか。抗議の声を遮断し、応答しようとしない警官たちに怒りを爆発することが暴力だろうか。集まった抗議者たちを無理やり解散させるために機動隊を投入することは事実としての暴力ではないというのだろうか。挟撃してくる機動隊の楯の列に向かって投石すること、消火器や自転車による攻撃が抵抗の実力行使として認められないのだとすれば、それは抵抗それ自体を認めていないということになりはしないだろうか。酷きに至っては集団がそこに居ること、道路を占拠し街頭で声を上げることそれ自体を否定しているが、もしそうであれば一体、彼らの言う正当な抗議とは何なのか。暴力に対して抗議の声を上げることは当然のことながら官憲の実力行使に対して、断固たる態度で応答することが含まれていないのだとすれば、どうして我々は正当な抗議だの正当な抵抗だのを考えることができるというのだろうか。 彼らは私有・公共を問わず近隣の施設を

    暴力? - 無産大衆
  • 紙屋研究所 - 門倉貴史『派遣のリアル』 池田信夫の議論にもふれて

    門倉貴史『派遣のリアル』 池田信夫の議論にもふれて 派遣法の見直しが始まった 政府の諮問機関である労働政策審議会(労働力需給制度部会)で労働者派遣法の見直し作業がはじまった。(2007)年末に報告書がでて、来年には改正法案がでるらしい。 こうした見直しにむけて、民主・共産・社民・国民新、そして連合や全労連系の労組が一堂に会してシンポジウムをおこなっている(07年10月4日)。 4野党・労組シンポジウムではそれぞれの立場からの意見が出たようだが、「派遣法を原則自由化された1999年以前の水準の規制にもどすこと」が共通の要求となりそうだ。また「日雇い派遣の廃止」も連合・全労連共通の要求となり、厚労省もハローワークでの紹介を禁じる通達を出したことから、これも共同の要求になるだろう。シンポでは「登録型派遣そのものをなくすこと」「85年の規制水準にもどすこと」を共産党も連合も要求したから、今後共同要

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