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Descartesに関するfunaki_naotoのブックマーク (23)

  • 看護のアジェンダ(223)デカルトの『方法序説』がよみがえる時(井部俊子) | 2023年 | 記事一覧 | 医学界新聞 | 医学書院

    2023年6月24日,私は石川県かほく市の高台にある西田幾多郎記念哲学館に行った。2023年度哲学講座「デカルトによる〈修練〉の哲学①――方法の精神を涵養する」を聴講するためである。 東京から北陸新幹線で金沢に行き,乗り継いで七尾線宇野気うのけで降りる。人通りのほとんどない静かな街を約20分歩く。梅雨の晴れ間,初夏の涼風と軒先に咲くあじさいに迎えられる。高台にある哲学館をめざして,小さな林の中の「思索の道」を登る。うっすらと汗がにじむ。このコースの仕掛け人は,哲学館を設計した安藤忠雄氏である。この様子は,連載第172回に「哲学を学ぶ興奮」と題して書いた。4年経ってもその興奮は色あせていない。 市井の人たちと哲学する 今回の哲学はデカルト「方法序説」が中心であった。講師は津崎良典氏(筑波大学准教授)である。冒頭で浅見洋館長は,講師の略歴を紹介し,パリのパンテオン・ソルボンヌ大学で博士号を取

    看護のアジェンダ(223)デカルトの『方法序説』がよみがえる時(井部俊子) | 2023年 | 記事一覧 | 医学界新聞 | 医学書院
  • デカルト『方法序説』注解 ニコラ・ポワソン(著/文) - 知泉書館

    初版年月日 2022年12月15日 書店発売日 2022年12月7日 登録日 2022年11月29日 最終更新日 2022年11月30日 紹介 「近代哲学の祖」デカルト(1596–1650)の『方法序説』(1637)は刊行当時どのように受け止められていたのか。 書は,オラトリオ会の修道士ニコラ・ポワソン(1637–1710)により1670年に出版された注解であり,最初の総合的なデカルト研究の書である。 書は,『方法序説』の各部から問題となる文章にスポットを当て注解する。 第一部はデカルトの新しい論理学とアリストテレス・スコラ学や近世初期の論理学とを比較検討する。 第二部は規則とはなにか,類比的な媒名辞とはなにか,三段論法と分析・総合といった「方法」に関して取り上げる。 第三部はデカルトの道徳の格率が修道士の誓願に反するのではないかという非難に答える。 第四部は,デカルトの形而上学に関わ

    デカルト『方法序説』注解 ニコラ・ポワソン(著/文) - 知泉書館
  • ドゥニ・カンブシュネル『デカルトはそんなこと言ってない』

    2022年2月5日 ドゥニ・カンブシュネル『デカルトはそんなこと言ってない』 津崎良典(訳),晶文社,2021年 評者:田村 歩 Tokyo Academic Review of Books, vol.40 (2022); https://doi.org/10.52509/tarb0040 *凡例1 紹介する文献からの引用については、書名を記さずに頁数のみを明記する。 ここで紹介する文献は、デカルト研究の泰斗であるドゥニ・カンブシュネル=パリ第一大学名誉教授による著書Descartes n’a pas dit : un repertoire des fausses idées sur l’auteur du Discours de la méthode, avec les éléments utiles et une esquisse d’apologie (Paris : Les Bel

    ドゥニ・カンブシュネル『デカルトはそんなこと言ってない』
  • 2月の新刊 バイエ『デカルトの生涯 校訂完訳版』/工作舎

  • デカルトはそんなこと言ってない ドゥニ・カンブシュネル(著/文) - 晶文社 | 版元ドットコム

    紹介 〈我思う、故に我在り〉はかくも誤解されてきた! 「〈我思う、故に我在り〉は大発見」「人間の身体は単なる機械」「動物には何をしたっていい」……ぜんぶ誤解だった! 世界的権威が21の「誤解」を提示、デカルトにかけられた嫌疑をひとつひとつ晴らしていく。 「近代哲学の父」「合理主義哲学の祖」などと持ち上げられながら、その実デカルトほど誤解されている哲学者はいない。それでよいのか? 見かねて立ち上がったデカルト研究の世界的権威が、私たちの誤解に逐一反駁を加えながら、デカルト来の鋭く豊かな思考を再構成する。デカルトが言ってたのはこういうことだったのか! 硬直したデカルト像を一変させるスリリングな哲学入門。 目次 凡例 日語版への序文 はじめに 1.学校で教わることはどれも役に立たない 2.感覚は私たちを欺く 3.明晰判明でなければ決して真ではない 4.方法の規則は少ししかない 5.神はやろう

    デカルトはそんなこと言ってない ドゥニ・カンブシュネル(著/文) - 晶文社 | 版元ドットコム
  • 工学の曙文庫 世界を変えた書物 金沢工業大学ライブラリーセンター

    金沢工業大学は、工学の創造的探究と、人間性とのかかわりを正しく把握、判断する為には、科学及び工学の発展の軌跡、その歴史的認識が重要かつ不可欠であると確信して、科学技術史及び科学技術倫理の教育と研究を実施するとともに、発展の途上において行われた主要な科学的発見、技術的発明の原典初版を収集し、それを教育・ 研究に活用しております。 ここに掲げている書物は、金沢工業大学の科学技術稀覯書コレクション「工学の曙」文庫の中でも選りすぐりの110点です。金沢工業大学は、洞察力に充ちた次代の技術者を育成する為に、全学生に対して科学や技術文化史、思想史、倫理に係わる科目を必修としています。「工学の曙」文庫はそのバックボーンをなすものとして講義に生かされています。 「工学の曙」文庫の全所蔵目録についてはこちらからご確認いただけます。 (LINKIT-Ⅲ検索結果ページが開きます。)

  • homepage 2022

  • デカルトの(空虚な?)実体論 Pasnau, Metaphysical Themes, 25.6 - オシテオサレテ

    Metaphysical Themes 1274-1671 作者: Robert Pasnau出版社/メーカー: Oxford Univ Pr発売日: 2013/03/01メディア: ペーパーバックこの商品を含むブログを見るRobert Pasnau, Metaphysical Themes 1274–1671 (Oxford: Clarendon Press, 2011), 596–605. 人間の精神と肉体はいかに一体の実態を構成するのか。この難問へのデカルトの対応を検証した節である。17世紀の論者のうちには、ピエール・ガッサンディやロバート・ボイルのように、人間精神はその肉体の形相であると認める者がいた。しかしそう認めることでなにが説明されるかを彼らは明らかにしていない。GerardとArnold BoateのPhilosophia naturalis reformataでは、実体形

    デカルトの(空虚な?)実体論 Pasnau, Metaphysical Themes, 25.6 - オシテオサレテ
  • デカルト

    『倫理という力』前田英樹 デカルトはラ・フレーシュ学院を卒業する時、学校が教えるすべての学問、社会に流布するあやふやなすべての教養と手を切る決心をした。ヨーロッパ各地を一人で遍歴しながら、時には傭兵となって戦場を駆け回ったりしながら、あらゆる幻想システムの外に自分を置くこと、そこに自分が<在ること>を習練し続けた。それが、「我思う、故に我在り」の意味である。(p104) 『方法序説』を読めば、彼の仕事の動機もまた、学校で教えられる、ものの役に立たない学問への失望に発していたことは明らかである。あれこれの学問が、ではない。およそ学というものが言語や記号に依存するそのやり方において、彼は根底からの不信、憎悪、失望を味わった。こうした諸学が、ないものをあるかのように言い募る手口、それが人を騙し、人の上に立って組織を作り、偽の権威やしたたかな虚栄で社会に働きかける手口、彼はそういうもののすべて

  • 『デカルト、コルネーユ、スウェーデン女王クリスティナー-一七世紀の英雄的精神と至高善の探求』 カッシーラ (工作舎) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 哲学者デカルト、劇作家コルネーユ、女王クリスティナの三人を通して17世紀の時代精神を読みとろうとする試みである。書は仏訳版からの邦訳で原著の一部が割愛されているが、重訳ながら訳文はカッシーラの重厚な風格をよく伝えている。 原著は「デカルト主義の基問題」という論文からはじまるが、邦訳はデカルトとコルネイユの間に影響関係はあったのかという問いにいきなりはいる。 コルネイユはデカルトより10歳若かったが、世に知られたのはコルネイユの方がやや早く、代表作である『ル・シッド』の初演は『方法序説』の刊行された年である。コルネイユが新進劇作家として注目を集めはじめた時期、デカルトはオランダにいて互いに接点はなかった。それでもデカルト哲学とコルネイユ劇に「道徳的親近性」があるとしたら、同じ時代を生きていたからという抽象的な答えをもってくるしかないだろう。ランソンいうところの「平行

    『デカルト、コルネーユ、スウェーデン女王クリスティナー-一七世紀の英雄的精神と至高善の探求』 カッシーラ (工作舎) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 『デカルトの暗号手稿』 アクゼル (早川書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 デカルトがストックホルムで客死してから四半世紀がたった1676年6月1日、デカルトが最期まで手元においていた文書を秘蔵するパリのクレルスリエのもとを若きライプニッツが訪れるところから書ははじまる。クレルスリエは独占欲が強く、それまで他人にデカルトの手稿を見せるのを拒んできたが、ハノーファー公の紹介状とライプニッツの熱心さに負けてしぶしぶ閲覧と筆写を許した。この時書きうつされた文書類の原は後に失われ、今ではライプニッツの筆写だけで伝わるが、その中に暗号で書かれたとおぼしい『立体要素について』という覚書があった。デカルトは暗号で何を書き残したのか。 思わせぶりなはじまり方だが、ネタバレ的なことを書いてしまうと暗号は1987年にピエール・コスターベルによって最終的に解読されている。デカルトは正四面体や正六面体、正八面体といったプラトン立体を研究し、頂点と辺と面の数の間に

    『デカルトの暗号手稿』 アクゼル (早川書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 『快傑デカルト―哲学風雲録』 ダヴィデンコ (工作舎) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 フランスのジャーナリスト、ディミトリ・ダヴィデンコが書いたデカルトの伝記小説で、原題を直訳すれば『醜聞の人デカルト』である。 読みはじめて啞然とした。一般に流布しているデカルト像とあまりにも違うのだ。語り口も講談調でまさに快傑デカルト、哲学風雲録である。 一般的なデカルト像というと裕福な法服貴族の次男坊に生まれるが、生来病弱だったために朝寝坊の習慣をつづける。名門校を出てから当時の貴族のならわしで軍隊にはいり、戦闘義務のない無給の将校となって箔をつけ、母親の財産を相続してからはオランダに移住し、孤独のうちに哲学の研究をつづける。スウェーデン女王の招聘で53歳にしてはじめて宮仕えをするが、軍隊時代も含めてずっと朝寝坊をつづけていた身にとって朝5時から宮殿に伺候しなければならない生活がこたえたのか半年で急死する、といったところか。 ところがダヴィデンコの描くデカルトは貴族

    『快傑デカルト―哲学風雲録』 ダヴィデンコ (工作舎) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 清水幾太郎「倫理学ノート」 第15章〜第18章(ヴィーコ) - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    岩波書店 1972年 最初に書いたように書を読み返してみるきっかけとなったのは上村忠男氏の「ヴィーコ」に書が言及されていたからなのだが、ヴィーコの名前は書ではこの第15章になって唐突にでてくる。アンチ・デカルトとしてのヴィーコである。ここでのデカルトは「歴史を学問とみとめないひと」である。デカルトの思考は数学的思考であり、数学は無歴史的な学問である。18世紀はデカルト思想普及の啓蒙の世紀であり、19世紀はその応用としての技術と産業の世紀である。明晰で正確なことが尊敬され、数学の厳密性がすべての科学や知識のモデルとなる。 しかしデカルトに何か抵抗を感じるひとがいる。その代表選手として清水氏が選ぶのがヴィーコなのである。しかし40歳までのヴィーコはデカルト主義者であったのだという。ヴィーコもまた転向した。ヴィトゲンシュタインも清水氏によれば転向者である。この転向へのこだわりは清水氏の個人

    清水幾太郎「倫理学ノート」 第15章〜第18章(ヴィーコ) - jmiyazaの日記(日々平安録2)
  • 「我思う故に我有り」は微妙に誤訳なんじゃないか: 極東ブログ

    このエントリを書こうか書くまいかためらっているうるに、なんとなく書かなくなりそうな感じがして、それはそれでいいかなと思うものの、まあ少し気楽に書いてみるかな。おそくらほとんどの人にとってそれほど関心のないことだろうし、そういう話題を扱うのがこのブログだしな、と。さて、結論からいうと、「我思う故に我有り」は誤訳だとは断言しづらい。また、「思う」じゃなくて「考える」だとかそいうレベルの話でもない。 このことが気掛かりになっていたのは、先日の「極東ブログ: ウォーレン・バフェットのありがたいご託宣」(参照)で取り上げたコラムの標題"Buy American. I Am."をどう訳すかということだった。コメント欄でいろいろご示唆をいただいたけど、正直なところあまりピンと来なかった。来ない理由は、なんとなくこの英語の意味を、ちょっと変な言い方だけど、自分の英語処理脳でなんとなくわかっている部分があり

  • 「知っている」とはどういうことか - logical cypher scape2

    この前、twitter上でこんなことを書いた。 sakstyle: 信念というのは、心とか頭のなかで思ったり考えたりしている事柄。日語で信念というと、もっと強い意味が込められているけど、哲学界隈ではその程度の意味で使われている。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/792376724 sakstyle: 知識というのは、確か、真であって、かつ正当化されている信念のこと。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/792377072 sakstyle: 「昨日、つくばは雨だった」という信念を抱いている人がいたとする。でも、その人は昨日つくばにいたわけでもなく、誰かに聞いたわけでもなく、天気の番組をみたわけでもなく、ただ当てずっぽうでそう思っていただけだとしたら、その信念は真ではあるけど、正当化されていないから知識ではない

    「知っている」とはどういうことか - logical cypher scape2
    funaki_naoto
    funaki_naoto 2008/04/29
    「私は自分に二本の腕があることを知っている」
  • デカルト『方法序説』第四部 神と魂の存在証明(前編) - らいたーずのーと

    方法序説 (岩波文庫)作者: デカルト, Ren´e Descartes, 谷川多佳子出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1997/07メディア: 文庫  ※文の引用は全て、谷川多佳子先生の訳文によります。 ■方法的懐疑に至るまで(第一部・第二部) 優秀な学生であったデカルトは、18歳(とされている)のころ、名門ラ・フレーシュ学院を卒業する。しかし幼いころより学び続けてきた人文学に対し、勉学に努めながらもますます自分の無知を知らされたという以外、何も得ることがなかったように思えたという感想を漏らす。『方法序説』第一部においては、それまで学んできた学問に対して、詳細な感想と評価を書き記している。そのなかで彼は、厳密性の高い数学を愛していることを述べたりもしている(ただし、現状の数学がまだまだ不遇な立場にいることも同時に記す)。そしてデカルトは、この第一部において、哲学に対し次のような評価

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    【自分語り】1推しの卒業によせて . 私の1推し、ゆきりんこと柏木由紀ちゃんが、17年に渡り在籍したAKB48を卒業することになった。 この機会に、ゆきりん推し(48ファン)としての自分自身のことをすべては不可能であるものの振り返ろうと思う。 内容からして世代がわかることも仕方ないし、限りなくゼ…

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  • 瀬名秀明『デカルトの密室』

    この講義録は、早稲田大学理工学部・理工文化論の一環としておこなわれた講義「デカルトから始まるロボット未来学」(2005年6月18日)およびけいはんな社会的知能発生学研究会でおこなわれた発表「『デカルトの密室』で自由は進化する? デカルト劇場(Cartesian Theater)でミステリー小説を書く方法」(2005年6月26日)の内容をひとつにまとめ、『デカルトの密室』公式ウェブサイト用に再構成したものです。 皆様はじめまして、瀬名秀明です。どうぞよろしくお願いします。 まずは自己紹介から始めましょう。ぼくは26歳のときに『パラサイト・イヴ』を書いて、27歳のときに日ホラー小説大賞を受賞して、デビューしました。ぼくの父も母も薬学出身で、ぼくも薬学を専攻して、大学院では細胞生物学を学んでいました。子供の頃から細胞に興味があって、研究者になりたいと思っていたんですね。ではどうして

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    うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かししてを読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…

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    オーベルジーヌ実レポ べ物の鼻塩塩(未だに通じるのかな) オーベルジーヌというカレーをご存知だろうか 都内にあるデリバリー専門のカレー屋で、 ロケ弁などで大人気の格欧風カレーが楽しめるらしい いいな〜 いいな〜オブザイヤー 都内の奴らはこんな良いモンってんのか 許せねえよ………

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