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Heideggerに関するfunaki_naotoのブックマーク (20)

  • 『マルティンとフリッツ・ハイデッガー 哲学とカーニヴァル』 (ハンス・ディーター・ツィンマーマン 著/平野嘉彦 訳) | 今週の必読 - 週刊文春WEB

    ハンス・ディーター・ツィンマーマン/1940年生まれ。ベルリン工科大学でドイツ文学を講じる。編著に『カフカとユダヤ性』や『チェコ文庫』。書はハイデッガー兄弟の生活や思想を対比的に描く評伝であり、戦中のドイツの状況を記す歴史書でもある。 平凡社 3000円+税 表紙の写真がまたとない導入になるだろう。中年すぎの二人の男だ。ともにベレーをかぶり、鼻ひげをはやしている。左の男はにこやかな顔、鋭い目、ネクタイ。右の男は茫洋として無表情、ノーネクタイ。左・マルティン・ハイデッガー、高名な哲学者である。右・フリッツ・ハイデッガー、マルティンの弟、田舎町の信用金庫の窓口掛をしていた。ひとこと言いそえると、左の男は写真慣れしていて、にこやかな顔はあきらかにポーズである。目は笑っていない。右の男は写真など一切気にとめていないのだ。 一つの章が五ページ前後、長くて十ページ、全部で二十七章。なんとあざやかなつ

    『マルティンとフリッツ・ハイデッガー 哲学とカーニヴァル』 (ハンス・ディーター・ツィンマーマン 著/平野嘉彦 訳) | 今週の必読 - 週刊文春WEB
  • ハイデガー・フォーラム

    フォーラム ハイデガー・フォーラム 第十八回大会(終了しました) 2023年9月23日(土)、24日(日) 大阪教育大学(天王寺キャンパス)西館 講義室AおよびZoomミーティングルームを用いたハイブリッド開催 オンライン参加の事前登録用のURLは、会員宛てメーリングリストにて通知。 参加費(運営協力費):会員2,000円、一般聴講者一日当たり1,000円(高校生500円) オンライン参加の方は、大会前日までに、当会の郵便振替口座にお振り込みください。なお、聴講を希望される非会員の皆様におかれては、大変恐縮ですが、直接、対面会場へお越しください。コロナ禍以前と同様、一日当たり1,000円の参加費(高校生500円)で、どなたにもご聴講いただけます。 なお、対面会場では資料等の配布は原則的に行ないません。対面会場にお越しになる皆さまにおかれては、各発表者の発表原稿等の資料は、事前に、下の大会プ

  • 紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

    哲学的なテクストの翻訳とはどうあるべきか ――高田珠樹氏に聞く、M・ハイデガー『存在と時間』(作品社)新訳 インタビュー:高田珠樹 ▼ハイデガー研究者として知られる高田珠樹氏が翻訳を手がけたマルティン・ハイデガー『存在と時間』(作品社)がついに刊行された。二〇世紀の西洋哲学を代表する哲学書であり、日でもこれまで何種類か翻訳が行なわれてきたが、新訳はそれらに対してどのようなものとなったのだろうか。書をめぐって高田氏に話をうかがった。(2月24日、東京都武蔵野市にて。聞き手・米田綱路〔紙編集〕) ■日語として読める翻訳を心がける ――『存在と時間(ザイン・ウント・ツァイト)』を翻訳された経緯はどのようなものだったのでしょうか。 高田  古典的となったの翻訳の場合、自分が訳したいから、というより、まずは打診や依頼があって、それから考えるというのが普通だと思います。『存在と時間』について

  • 今日の平凡社: ハイデッガー『技術への問い』

    2009年9月18日金曜日 ハイデッガー『技術への問い』 以下において、われわれは技術について問う。 「問う」には傍点を付した、このような一節で始まる、 マルティン・ハイデッガーの名高い講演、「技術への問い」。 この講演を含む技術論集、『技術への問い』が刊行されました。 訳者は関口浩さん、四六判、246ページ、定価2,940円(税込)。 書の収録論文は次の通りです。  技術への問い(1953年)  科学と省察(1953年)  形而上学の超克(1936-46年)  伝承された言語と技術的な言語(1962年)  芸術の由来と思索の使命(1967年) 以下、内容紹介を兼ねて訳者後記からいくつか引用しておきます。  一九五〇年代になって、第二次世界大戦後の  さまざまな社会的な混乱が収束するにつれ、  ヨーロッパの主要な思想家たちの関心は、  大戦中に人びとが経験したこと、  そして戦後の世界で

  • マルティン・ハイデッガー「言葉についての対話」(平凡社ライブラリ) 本人と思しき「問う人」が「日本人」と対話する。なにか重要なことが語られているようだがぼんくらな自分にはわかりませんでした。 - odd_hatchの読書ノート

    人と思しき「問う人」が「日人」と対話するという形式の。この「日人」のモデルは手塚富雄である、九鬼周造である、などなどいろいろ言われている。1920年代のドイツハイパーインフレ時期には、おおくの学生がドイツに留学し、何人かの学生がハイデガーの講義を聴いているので、特定のモデルを決めることもないだろうし、ましてそこに書かれた「日人」のことばやそのかんがえがこの国の考えを代表するものであるとも考えることはないだろう。たぶん、ハイデガーが自分の言語を考えるときに、自分の使う言葉とはまるで違う言葉と対比することで、自分の立場を明らかにするための方策だったのだろう。それこそこちらの話をまったく理解できない「宇宙人」と話をして、ずれとかいらだちとかもどかしさとかを感じつつ、こちらの考えを検証していくような。 同じ作者の「形而上学入門」を読んだ時にも感じたのだが、徹底的に考えるということの凄み

    マルティン・ハイデッガー「言葉についての対話」(平凡社ライブラリ) 本人と思しき「問う人」が「日本人」と対話する。なにか重要なことが語られているようだがぼんくらな自分にはわかりませんでした。 - odd_hatchの読書ノート
  • 技術と時間1 エピメテウスの過失:ベルナール・スティグレール - ノートから(読書ブログ)

    初めに 書はこみいった叙述ではないものの密度が高く、その各論に深入りしてゆくと、全体的な把握を失いかねない。この記事ではとりあえず大要の把握を目指す。スティグレールの思考はハイデガーやデリダを引き継ぎつつ、第一章で見られるような技術進化の理論を取り入れて技術を思考しようとしている。スティグレールにとって現代はプログラム産業の時代だといえるだろう。「外部環境に徐々に侵襲してゆく内部環境における運動」(79)である技術傾向は遺伝的に書きこまれたプログラムを外在化し、既存のプログラムを中断し、新たなプログラムを生み出すことで完成する。これが「時代-画定」とよばれる。(二巻,9)このプロセスが産業化されるのが現代である。その詳しい分析は次巻で行われる。巻で行われるのは、それ以前の分析であり、現代技術を鮮やかに語るというものではないが、それでも重要だろう。 第Ⅰ部 ハイデガーは近代技術に集立とい

    技術と時間1 エピメテウスの過失:ベルナール・スティグレール - ノートから(読書ブログ)
  • ハイデガー「現象学の根本問題」の新聞広告 - mmpoloの日記

    2月3日の朝日新聞に哲学書の広告としては異例の大きな新聞広告が掲載された。ハイデガーという20世紀最大の哲学者の決してやさしくはない格的な哲学書で、分厚くて5,040円もする。この大きさの広告代は200万円くらいするのではないか。この広告のコピーから、 待望の木田元訳で、遂に刊行! ・ 未完の主著『存在と時間』の欠落を補う最重要の講義録。アリストテレス、カント、ヘーゲルと主要存在論を検証しつつ時間性に基づく現存在の根源的存在構造を解き明かす。 出版元の作品社がこんな大きな広告を出すのは自信があるからに他ならないだろう。しかしハイデガーは他の出版社から全集も出されているのになぜか。 毎日新聞の「2010年この3冊」の1冊に評論家の三浦雅士がこの「現象学の根問題」を選んでいる。 ●マルティン・ハイデガー/木田元監訳「現象学の根問題」(作品社) これは、立ち読みでもいいから、まず「訳者あと

    ハイデガー「現象学の根本問題」の新聞広告 - mmpoloの日記
  • asahi.com(朝日新聞社):存在と時間 [著]ハイデガー - 漂流 本から本へ - BOOK

    存在と時間 [著]ハイデガー[掲載]2010年7月25日[筆者]筒井康隆(作家)2010年2月、東京都内で開いた朗読会の楽屋で、舞台の準備をする鏡の中の筒井さん=郭允撮影 ■超難解、苦しみが喜びに 中央公論社「世界の名著」に収録されている原佑訳『存在と時間』は、何しろ二十世紀最大の著作と言われているだけに、完読にはずいぶん時間がかかった。だから読み終えた時の充足感は大きく、その内容の受け売りをしたくてならず、ついに「誰にもわかるハイデガー」と題して内容おまかせの講演依頼があればこれをやり、とうとうカセットブックにまでしてしまったのだから、よくまあのめり込んだものだ。 ハイデガーは人間という存在者を現存在と表現する。「現存在は、他の存在者のあいだで出来(しゅったい)するに過ぎない一つの存在者ではない。現存在が存在的に際立っているのはむしろ、この存在者にはおのれの存在においてこの存在自身へとか

  • 『アリストテレスの現象学的解釈―『存在と時間』への道』ハイデガー,マルティン(平凡社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「初期ハイデガーの注目論文「ナトルプ報告」」 ハイデガーが教授職に就職するために、書きかけの著作の一部をタイプうちして、提出した論文で、ナトルプ報告として有名である。『存在と時間』の前段階のハイデガーの思考を示したものとして重要な文書である。全集版とは別に読みやすい冊子として邦訳が刊行された。解説も充実して読みやすい。 この報告で興味深いのは、ハイデガーのアリストテレスの解読が、当時の学生や学者たちに強くアピールした様子が分かることにある。当時のドイツではハイデガーの名前は「秘密の王の噂のように」(アレント、p.123)密かに伝えられていたという。この論文を読んだガダマーの証言を聞いてみよう。 このテクストは、私にとってそれこそ霊感を含む啓示となった。それが機縁となって私はフライブルクに向かったのである。この草稿の中で私が見いした数々の示唆は、その後、ハイデガーの哲学

    『アリストテレスの現象学的解釈―『存在と時間』への道』ハイデガー,マルティン(平凡社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 「コンピューターと自分は一体」:実験で検証 | WIRED VISION

    前の記事 無料配信で書籍の売り上げが増加:41冊の調査結果 「コンピューターと自分は一体」:実験で検証 2010年3月11日 サイエンス・テクノロジー コメント: トラックバック (0) フィードサイエンス・テクノロジー Brandon Keim (左)マルティン・ハイデッガー、(右)身体が道具を用いている際の全体的な相互作用の様子を図にしたもの。(A)は正常に機能する道具、(B)は機能しない道具を用いている場合。 Image credit: (左)WikiMedia Commons、(右)PLoS ONE。サイトトップの画像はwikimedia 一見単純な実験によって、偉大な哲学者の概念が検証された。その実験は、コンピューターのマウスを用いて、マウスが一時的に正しく機能しなくなるようにすることで、それを操作する人がどのような反応を示すかを調べるというものだ。 実験の結果、被験者の注意力に

  • ハイデガーとか - finalventの日記

    ちなみに私のハイデガー観みたいのはこれが多めに書いたかな⇒極東ブログ: ハイデガー「技術論」から考える新しいゲシュテル あとこれもかな⇒極東ブログ: [書評]反哲学入門 (木田元) これはfinalventってバカなんじゃないのとかデカルト読んでなさげな人たちに言われたけど⇒極東ブログ: 「我思う故に我有り」は微妙に誤訳なんじゃないか でと。 レスではないけど⇒ハイデガーについてもうひとこと言っておくか。 - 呂律 / a mode distinction しかも文脈は違うけど。 自分とハイデガーの出会い♥をちょこっと。 最初にずばっと言ってしまうと、ハイデガー好きのみなんさんは、ハイデガー好きになる前に、哲学史というか西欧の哲学史の危機みたいな知の雰囲気に惹かれすぎていると思うのですね。そしてだから、コジェーブ、サルトル、デリダみたいなふうなものに、ちょっと悪口みたいな言い方だけど、酔っ

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2009/01/03
    「私は、なんつうか、そういうハイデガーとの出会いをしてないのですよ」
  • 道: 金八先生とハイデッガー

  • 厳密と精密・・・・学問・研究とは何か - 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        

    私が当今の(建築:建物づくり、特に、いかなる空間をつくるのか、について、つまり「建築計画」の)「研究」あるいは「学問」について大きな疑問を抱いていたとき、それを解きほぐしてくれたのが、次の一文である。あるいは、私よりも、はるかに説得力のある人物の発言をもって理論武装した、と言った方がよいかもしれない。 また、自然科学とは何か、精神科学あるいは人文科学とは何か、考えるきっかけとなったのは確かである。 そして同時に、自然科学を基礎とする、あるいは応用(自然)科学を自負する「工学」のなかには、すでに自然科学の「精神」を逸脱し、それでもなお「自然科学の係累」であるとの思い込み、ご都合主義が蔓延していることに対しての異議の根拠をも与えてくれたのも確かである。今から40年以上も前のこと・・・。 なお、一部は以前に紹介したような気がする。 また、読みやすいように、原文とは異なる段落にしている。 ・・・・

    厳密と精密・・・・学問・研究とは何か - 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        
  • 『存在と時間』を読む

    あまりにも難解だと云われる『存在と時間』。 地道に少しずつ読んでいく作業。 理解できるかどうかは別のこと。とにかく読む。 毎週日曜日深夜更新。 ■『存在と時間』を読むためのノート■ 〜言わずと知れたハイデガー未完の名著『存在と時間』を読む。毎週日曜深夜更新。〜 ●「前文を読む」という前文………………04/11/28 序論 存在の意味への問いの開陳 第一章 存在問題の必然性、構造、および優位 ●第一節 存在の問いを表立って繰り返すことの必然性………………04/12/05 ●第二節 存在への問いの形式的構造………………04/12/12 ●第三節 存在問題の存在論的優位………………04/12/19 ●第四節 存在問題の存在的優位………………04/12/26 第二章 存在問題を仕上げるときの二重の課題 根的探求の方法とその構図 ●第五節 存在一般の意味を学的に解釈するための地平から 邪魔者を取り

  • ハイデガー『ヒューマニズムについて』(ちくま学芸文庫) - The Midnight Seminar

    ずいぶん前に読んだだが、私が触れたことのある哲学書の中では最高に印象深かった作品のひとつなので、ここにレビューしておく。 存在の真理への問い ハイデガーは「プラトンの真理論」という論文のなかで、プラトンからニーチェに至るまでの西欧哲学を、「理性的動物」としての「人間」をあらゆる存在者(存在するモノ)の中心に据え置いた、「主観性の形而上学=ヒューマニズム」と呼んで批判した。そして、人間中心的ではない、「存在の真理(存在そのもの)」を根に据えた、新しい哲学の創始を訴えたのである(書の訳者解説p.163)。 この論文に対し、ジャン・ボーフレというフランスの哲学者・評論家から何点かにわたる批判的な質問が寄せられた。そして、それに回答したハイデガーの書簡の内容に、ハイデガー自身が手を入れて公刊したのが書(の底)である。 哲学者としてのハイデガーの終生のテーマは、簡単に言えば「存在とは何か?

    ハイデガー『ヒューマニズムについて』(ちくま学芸文庫) - The Midnight Seminar
  • G・スタイナー「マルティン・ハイデガー」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    岩波現代文庫 2000年9月 ポストモダン関係のを読んでいると、ハイデガーは逸することのできない名前であることがわかる。それで以前読んだこのを引っ張り出してきて読み直してみた。ハイデガーのを読んでも少しもわからない(というか読む気がしない)が、このはなんとなくわかるような気がする。それは著者のスタイナーが哲学者ではなく、文芸批評家であるからなのだと思う。わたくしは哲学者の書くというのが苦手なのである。あるいは哲学書の著述スタイルが苦手なのかもしれない。 最初に「ハイデガー 一九九一年」という文が付されているが、これは1978年に出版された著書にあとから付されたものである。ここの部分が一番理解しやすい。 スタイナーは、ハイデガーは当初(キリスト教)神学者として出発したという。 究極の問いを問おうとするハイデガーの決意、真摯な人間の思索はあくまでも「最初にして最後の物事」にこだわらね

    G・スタイナー「マルティン・ハイデガー」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
  • http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~sashina/sub4k2.html

    3.形而上学について−ハイデッガー− �T 序 �U 形而上学とは何か 1.『形而上学とは何か 序論』において 2.形而上学と西洋 �V 形而上学−西洋−キリスト教 1.西洋 2.形而上学とキリスト教 �T 序 ハイデッガーの『形而上学とは何か 序論』(Was ist Metaphysik? Einleitung, 1949以下『序論』と略記)における「形而上学」(Metaphysik)の概念を手がかりにしてハイデッガーの形而上学の問題と西洋との関係について考えてみたい。この場合、そもそも「西洋」とは何と考えられているのか、ヘブライ的キリスト教的伝統はどのように位置づけられるかが問題となってくるであろう。更に、ハイデッガーが理解する形而上学とキリスト教の信仰、生、伝統との関係はどのようなものであるかも問われねばならない。ハイデッガー自身、パウロのコリントI.1.20の聖句

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    2024夏休み旅行 神戸・2日目【前編】 zfinchyan.hatenablog.com ↑1日目はこちら 6:50 わたしと夫だけ先に起床 前日に買っておいたお芋のパンで朝ごはん 昨日の疲れからか、なかなか息子たちが起きてこなかったので、ゆっくり寝かせてから10:00にホテルの下にあるプレイゾーンに行って、パターゴルフやバス…

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  • http://www.hss.shizuoka.ac.jp/shakai/ningen/shizutetsu/vetter.htm

  • ハイデガー

    ハイデガー Martin Heidegger(1889-1976) ―なぜ、有るものがあって、無ではないのか? 「哲学とは、いつも同じところを掘り返している道路工事のようなものです。それは、しかし、年度末に予算を消却するためにではありませんが。」(偽ハイデガー) というわけで、現在工事中です。 今のところは、『三十分でわかるドイツ哲学』のハイデガーの個所で許してもらえますか。 (と言いながらも、暇な時、少しずつ書いています。―というか、結構書きました。まだまだですが。) (2018年冬に色々書き足しました。あと『存在と時間』を書き直し、「存在の歴史」について書き足すと、一応完成です。何時のことになるのか…) さて二十世紀のドイツ哲学といえば、まずハイデガー(1889-1976)だ。ハイデガー哲学のテーマは、ただ一つ、「存在」である。平たく言えば「ある」とは何か、である。「ある」ものが何か、

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