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Tibetに関するfunaki_naotoのブックマーク (161)

  • 都内唯一のチベット料理店!来日20年、元僧侶で元コンビニ店員の店主が語る故郷の味と文化

    ▶︎すべての写真を見る 新宿からふた駅にも関わらず、人通りの少ない曙橋の靖国通り。その通り沿いに、ひと際目を引くカラフルなお店がある。 日を代表するチベットレストラン「タシデレ」だ。2015年6月にオープンして以来、国内外からじわじわと注目度が上がっている。 そんな「タシデレ」の店長・ロサンさんは来日して20年。もともと日に長居するつもりはなかったというが……。 話を聞いたのは…… ロサン・イシ。ネパール生まれの亡命2世。2003年に初来日。広島にあるチベット仏教僧院デプン・ゴマン学堂日別院に常駐していた。2015年6月、曙橋に「チベットレストラン&カフェ タシデレ」をオープンさせ、チベット文化の紹介や交流を持てる場を提供し続けている。

    都内唯一のチベット料理店!来日20年、元僧侶で元コンビニ店員の店主が語る故郷の味と文化
  • 白雪姫と七人の小坊主達 明治期、チベット仏教と最初に接触したのは大谷派

    2024年3月22日、浄土真宗大谷派の名古屋別院で大谷派とチベット仏教の歴史についてお話させていただいた。実は日の諸宗派の中でもっとも早くチベット仏教と接触したのは大谷派の僧小栗栖香頂である。また、1905年に日人として三番目にチベット入りし、1906年にはダライ・ラマ13世の親日工作のために大陸に送られた寺婉雅も大谷僧。彼はおそらくダライ・ラマ13世が日人であると認識してあったはじめての日人でもある。つまり、大谷派とチベット仏教の関係はあさからぬものの、はなばなしくチベット入りし研究も盛んにおこなわれている青木文教、多田等観などの願寺派の僧とくらべて、意外に知られていない。そこで、以下その講演内容を転載したい。 ちなみに資料編は以下のURLからダウンロードできます。では始まり始まり〜。 ●明治期の大谷派とチベット仏教(喇嘛教) 勤王僧を輩出し、時流にいち早くのった西願寺と異

  • 東京国立博物館

    ヒマラヤ山脈の北側に位置するチベットは、19世紀後半から20世紀にかけて、ユーラシア大陸に覇権を争ったイギリスやロシアの侵出を警戒し、外国人の入国を禁じていました。その一方で、政教一致の方針に基づき、生まれ変わりにより継承される転生僧ダライ・ラマが統治することから、知られざる仏教の聖地と捉えられ、世界各国から探検隊が派遣されました。日からも仏教の源流を求める僧侶が競って当地を目指すなか、明治34年(1901)に日人として初めてチベットの都ラサに入ったのは、現在の大阪府堺市出身の僧、河口慧海(1866~1945)でした。その偉業は旅行記によって広く知られるようになり、明治時代の日にチベットブームをもたらしました。 注目されたのは旅行記だけではありません。帰国後に東京美術学校(現東京藝術大学)で開催した展示会は、人々に驚きを与えました。その後、昭和48年(1973)に慧海コレクションの一

    東京国立博物館
  • HOME · Toyo Bunko Manuscript Kanjur · Omeka S

    News May 15, 2023 We are pleased to announce the publication of the database of Phal chen (Avataṃsaka) Section with the images of the six volumes (vols. 45~50) of the section. The Buddhāvataṃsakasūtra is extant in Tibetan and Chinese translations and Sanskrit fragments. Our thanks are due to a specialist in the study of this sūtra, Mr. HORI Shin'ichiro for providing us with two valuable instructio

  • 『物語 チベットの歴史』/石濱裕美子インタビュー

    アジアの中心に位置する、世界最大の高原チベット。この地に生まれたチベット仏教は、各地に多大な影響を及ぼし、いまなお人々の心を捉えてやみません。チベットの文化・宗教と歴史を古代から現代まで解説する『物語 チベットの歴史』を刊行した石濱裕美子先生にお話を伺いました。 ――石濱先生は、そもそもなぜチベットについて関心を抱き、研究されようと思ったのですか。 石濱:私が大学に入った頃、ちょうどNHKのドキュメンタリー『シルクロード』シリーズが一世を風靡しており、東洋史は人気学科でした(今からは想像もつかないですが笑)。 なので、東洋史を専攻しモンゴル史ゼミに入り、在学中に初めて行った海外旅行先がインドとネパールでした。そこでデリーやカトマンドゥでチベット難民の存在に触れ、また、チベット仏教はモンゴルにも伝播していたことから、卒論の役に立てばという感覚で、帰国後チベット語を勉強し始めました。 大学院に

    『物語 チベットの歴史』/石濱裕美子インタビュー
  • チベットの撥弦楽器ダムニェンの奏法と演奏曲

  • 東京国立博物館

    7世紀ごろ、ヒマラヤ山脈の北側に広がるチベットにインドから仏教が伝えられました。以来、インド仏教を忠実に継承しながらも独自の発展をみせ、洗練された仏教文化が栄えてきました。チベット仏教は高度な仏教思想や神秘的な儀礼で知られ、儀礼で用いる数多くの仏像や仏画、特色ある法具が伝わっています。モンゴルや中国など周辺地域でもチベット仏教が広く信仰され、清時代の歴代皇帝、とりわけその最盛期を築いた乾隆帝(在位1735~95)が傾倒したことはよく知られています。北京やその周辺には、現地から多数の僧侶や職人が招かれ、格的なチベット仏教寺院が建立されました。 日との直接的な交流は近代までありませんが、日人として初めてチベットを訪れた僧 河口慧海(1866~1945)の旅行記を契機としてチベット仏教が注目されるようになります。東京国立博物館(以下、当館)でも、創立以降さまざまな機会にチベットに関連した資

    東京国立博物館
  • [大手町]ラダック・ザンスカールへの旅(全2回~会場受講)

  • 古チベット語史料を読む―古代の失われた記憶を求めて: 東京外国語大学学術成果コレクション

  • ラサ市でチベット文字の書道展開催 西蔵自治区

    【5月4日 Xinhua News】中国西蔵(シーザン)自治区ラサ市の大昭寺(ジョカン寺)で4月28日、「第3回チベット文字書法展」が開かれた。同展は50人余りの僧侶が手掛けた書道作品120点以上を展示し、異なる書体で書かれたチベット文字の美しさを伝えている。(c)Xinhua News/AFPBB News

    ラサ市でチベット文字の書道展開催 西蔵自治区
  • 「台湾なまり」のチベット人シンガーソングライターの憂鬱 - The News Lens Japan|ザ・ニュースレンズ・ ジャパン

    1985年台湾苗栗県生まれ。神戸大学博士(文学)。大阪公立大学人権問題研究センター特別研究員、相模女子大学、明治大学、関西大学非常勤講師。専門は台湾と日LGBT文学と社会運動の比較研究、日の植民地の近代詩など。たまに詩を書くゲイ。共著に『台湾を知るための72章』(明石書店、2022)。日の地方にアジアのLGBT運動と民主化運動の情報を届ける任意団体「関西同志聯盟」共同代表。現在愛知県在住。 ウクライナの戦火が止まない中、中国の芸能界を揺るがすできごとがあった。それはイケメンのシンガーソングライター、ツェワン・ノルブ氏(才旺羅布Tsewang Norbu、1996-2022)の焼身自殺だ。 2月25日、一人の青年がラサ市のポタラ宮(チベット仏教信仰の聖地)の前で、なんらかのスローガンを叫んだ後に焼身自殺を図った。その数日後に死亡が確認され、身元調査でツェワン・ノルブ氏であることが分か

    「台湾なまり」のチベット人シンガーソングライターの憂鬱 - The News Lens Japan|ザ・ニュースレンズ・ ジャパン
  • 初めての「チベット料理」はなぜか優しくて懐かしい味だった【都内で唯一のチベット料理専門店】 - メシ通 | ホットペッパーグルメ

    では珍しいチベット料理を手軽にいただけるお店 チベット料理、と聞いてイメージするものは何でしょう? 辛そう? それとも羊肉? まずチベット(中国にあるチベット自治区。以下チベットと記す)の風景を思い浮かべてみると、見渡す限りの草原、美しい山並み、たくさんの羊……。 しかし、そこで人々がべている料理を知っている人は少ないのでは? 東京・新宿駅から都営地下鉄新宿線で2駅の曙橋駅から徒歩4分の場所に、東京唯一のチベット料理専門店「タシデレ」があります。 入り口にはチベットの5色の旗、タルチョが掲げられいます。それぞれの色が、青(天)、白(風)、赤(火)、緑(水)、黄(地)を表しているそうです。 メニューにはチベット料理の他にネパール料理、インド料理もあります。 入り口で消毒を。 店内はもうチベット一色。 チベットの民芸品や、品なども置いてあります。 店主はなんとチベットのお坊さん タシデ

    初めての「チベット料理」はなぜか優しくて懐かしい味だった【都内で唯一のチベット料理専門店】 - メシ通 | ホットペッパーグルメ
  • チベット料理 ─大麦と小麦からみえてくるもの: 東京外国語大学学術成果コレクション

  • ダライ・ラマ14世 7月にミュージックアルバムでデビュー【動画】

  • 貴重な印刷技術伝える、雪山の麓の印経院 四川省カンゼ・チベット族自治州

    【11月3日 Xinhua News】中国四川省(Sichuan)カンゼ・チベット族自治州徳格県(Dege)にある徳格印経院(とくかくいんきょういん)は、チベット語で「デルゲ・バルカン(徳格巴宮)」という。18世紀初めに創建され、中国に現存する「印版」(版木)が最も多く、規模が最も大きいチベット語印経院(経典や文献を刻版で印刷する工房)。豊富なチベット仏教の経典、医学、歴史、伝記などの文献印刷物および絵画印刷物、壁画などの文化財が保管されており、「チベット文化の大百科事典」「チベット族居住地域のきらめく文化の真珠」「雪山の麓にある宝庫」と呼ばれている。 徳格印経院は経典の木版印刷と宗教活動を一体化させた多機能建物で、中庭を中心とした造りになっている。狭く長い中庭を取り囲んで東西南北の4部分に分かれ、チベット仏教寺院の装飾手法とスタイルが採用されている。 同印経院には現在、印版32万点、47

    貴重な印刷技術伝える、雪山の麓の印経院 四川省カンゼ・チベット族自治州
  • チベット仏教の楽譜には西洋音楽にない独特の魅力がある

    チベットを中心に発展した仏教の一派であるチベット仏教では、音楽が非常に重要視されています。そんなチベット仏教音楽で使われる楽譜が非常に美しいと、カルチャー系メディアのOpen Cultureがまとめています。 Tibetan Musical Notation Is Beautiful | Open Culture http://www.openculture.com/2019/04/tibetan-musical-notation-is-beautiful.html 宗教は同じルーツを持っているものであっても、現地の風土や文化と融合してさまざまに変容します。7世紀頃にインドからチベットへ伝来したとされる仏教は、チベットの古代宗教であるボン教などと結びつき、独特のチベット仏教へと形を変えていきました。 そんなチベット仏教では、音楽が非常に重要な構成要素となっているとのこと。チベット仏教音楽

    チベット仏教の楽譜には西洋音楽にない独特の魅力がある
  • 「こころ」の起源を探す旅|ちくま新書|煎本 孝|webちくま

    「おもいやり」「わかちあい」「いつくしみ」、人類に普遍的に見られるこころのはたらきはどこで生まれたのか。カナダ、チベット、北海道ロシア、モンゴル、半世紀にわたる世界中でのフィールドワークから解き明かす書。旅の始まりはチベット、ダライ・ラマ法王の儀礼への参加からでした。その臨場感溢れる「プロローグ」を公開します。 ダライ・ラマ法王の灌頂儀礼 二〇一四年七月のある日、ダライ・ラマ法王一四世は、一五万人の観衆を前に、カーラチャクラ灌頂儀礼を行おうとしていた。この日のために世界中からラダックに集まった人びとはインダス河の川岸に作られた広場を埋めつくし、標高三六〇〇メートルのヒマラヤ高地の強い太陽は容赦なく彼らに照りつけていた。 西チベットとも呼ばれるラダックはインドのジャム・カシミール州の一地方で、かつてはラダック王国という独立した仏教国であった。今もチベット仏教の中心地の一つである。 ラダッ

    「こころ」の起源を探す旅|ちくま新書|煎本 孝|webちくま
  • 白雪姫と七人の小坊主達 60年目のピースマーチ

    チベット人蜂起記念日、60周年だし、最近研究対象を変えて中国に入れなくても痛痒ないものにしたので、気持ちよく顔ガンだしでピースマーチにいく。 人の多い場所ということで、これまでのマーチは新宿や渋谷が多かったが、2011年に東日大震災がおきて以後、3月10日前後の土日は反原発デモが繰り広げられるようになり、また、昨年まで利用していた新宿の公園がヘイトデモ対策で利用不可となり、初めての浅草開催となった。しかし、台東区長選挙の公示日と重なり、それも危なかったが、関係各位の努力により頑張って雷門近くの公園となった。 集合地点の花川戸公園につくと、チベット旗が翻り、交通整理やあんなことの対処のために制服警官・私服警官・公安のみなさまが集まっている。 初めて参加されるYさんは「今そこで目つきの悪い人が人の顔をのぞきこみながらなにやらメモしています。中国のスパイじゃないでしょうか」 私「それたぶん公安

  • 探検家:よみがえるチベット へディンの素描、精密模写 | 毎日新聞

    画学生によるヘディンのスケッチ模写。茶色の封筒に無造作に挟んであった。奥は京都大大学院文学研究科の田中和子教授=京都市左京区で、川平愛撮影 シルクロード探検で知られるスウェン・へディン(1865~1952年)が1908年、チベットなどの第3次中央アジア探検の直後に学賓として招かれた旧京都帝大で公開したスケッチの精密な模写60点が約1世紀ぶりに京都大地理学教室で見つかった。へディンは生涯で4000~5000枚のスケッチを残したとされるが、まとまった数の模写は世界でも例がない。原画が失われたものもあり、世界的探検家の業績の全容を知る上で貴重な発見となった。 2014年初め、文学研究科の田中和子教授(人文地理学)が地理学教室の資料を整理していると、キャビネットから「中央アジア 地形風俗 模写」などと墨書された封筒2通が見つかった。すすけた封筒を開けると、異国の寺院や風景、人物を描いた水彩画やスケ

    探検家:よみがえるチベット へディンの素描、精密模写 | 毎日新聞
  • 白雪姫と七人の小坊主達 長野聖火リレー十周年で善光寺に行ってきた

    4月最後の日、善光寺のW住職の発議で長野で「北京オリンピック聖火リレー10周年記念会合」が開かれた。前夜祭はまず焼き肉屋アリランではじまった。 焼き肉の煙と複数の方のタバコによりあっというまに髪の毛や服が燻製状態。私はこのあと宿坊にかえったが、残りの方たちは雪っこという酒を飲み続け大変なことになったらしい。被災地支援とかを行われた立派な方々であるが、肝臓と肺のためにももう少し健康的な生活を心がけた方が持続可能な社会貢献ができるのではないかと思った。 今回宿泊させて戴いたのは善光寺の宿坊の一つである徳行坊さん。同坊のご住職は今年は12年に一度めぐってくる堂童子(春を迎える善光寺様の神仏混淆の行事)の役があたっており、檀家総代としてそのサポート役をつとめたKくんに坊の案内をしていただく。 Kくん「今年は堂童子だったのでた畳とかは全部新しくしています。先生方がとまられる部屋はぼくが堂童子をつとめ