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kantに関するfunaki_naotoのブックマーク (39)

  • 自分で考える勇気 - 岩波書店

  • カントと分析哲学 野本 和幸著

    フレーゲ研究の世界的権威の一人であり、数学基礎論についても多くの業績を持つ著者であるが、その研究の出発点はカントにあった。現代哲学を研究するうえで陰に陽にカント哲学との関連を意識し、また現代哲学に触発されてカントの議論が絶えず新たな相貌を表すといった経験をしてきた著者が、両者の緊張関係を論じた探究をまとめる。 はしがき――カント(1724-1804)の問題設定 第1章 カントの理論哲学――認識への問い 1 人間の認識はどのようにして可能か 2 カントの経験の形而上学(メタフィジクス)・存在論 第2章 カント『純粋理性批判』と現代哲学の一視角 1 数学的判断は分析的か 2 自然科学的判断のア・プリオリ性 3 観念論と実在論 第3章 綜合性とア・プリオリ性再考――カント批判哲学の今日的一射程 1 幾何学――直示的(ostensiv)構成 2 算術(Arithmetik)と代数(Algebra)

    カントと分析哲学 野本 和幸著
  • 第1回 | カントの誤診――『純粋理性批判』を掘り崩す

    はじめに 書籍として出版する際には、最初に「序章」を置いて、まずはカント哲学全体の私の眼から見た概観を与えたいとも思うが、それは最後まで書いてからのほうがよいと思うので、この連載にかんしては、いきなり個別的な議論から始めることにしたい。これは、そのようにカントの個々の議論に即して私の観点からの疑念を提示していき、結果的に全体を「掘り崩す」ためのものである。掘り崩すことによって、カント自身が夢にも思っていなかった(であろう)その真の意義が掘り出される、と信じてのことである。 したがって、これをカント哲学への入門として使う方はあまりいないとは思うが、そのように使うこともできることは強調しておきたい。そういう入門の仕方こそが、ある哲学への最も有効な入門の仕方であるともいえるからだ。始めから解説言語で語られた平坦な説明からは哲学的な何ごとも学ぶことはできない。ちょうど芸術批評がそれ自体芸術作品でな

    第1回 | カントの誤診――『純粋理性批判』を掘り崩す
  • シェリングとカント | 法政大学出版局

    A5判 / 386ページ / 上製 / 価格 5,500円 (消費税 500円) ISBN978-4-588-15121-7 C3010 [2021年12月 刊行] 晩年のカントが未刊のまま残し、後世の研究者を戸惑わせてきた膨大な 『遺稿集』。ときにカント自身の批判的学説とも矛盾する迷宮のようなテクストを思想史に正確に位置づけるにはどんな視点や読解法が必要なのか。三批判書以降の自然哲学や超越論哲学の帰趨を若きシェリングによる自然哲学探究やスピノザ受容、同時代の化学革命との関連のなかでたどり、両哲学者が共有し、かつすれ違った問題の核心に迫る挑発的な労作。 松山 壽一(マツヤマ ジュイチ)松山 壽一(マツヤマ ジュイチ) 1948年大阪市生まれ。1981年立命館大学大学院文学研究科博士課程修了。1985–86年テュービンゲン大学留学。1995年バイエルン学術アカデミー(ミュンヘン)留学。199

    シェリングとカント | 法政大学出版局
  • 自由と道徳 - 寺田俊郎 | トイビト

    会員登録(無料)していただくと、記事から任意の箇所を抜粋したり、メモをつけて保存できるようになります。 自由は、この世界のどこにも観察することはできない。そう主張したのはプロイセンの哲学者 イマヌエル・カント(1724-1804)です。そう言われても、我々人間は「自由」に行動していると思っているし、鳥は「自由」に空を飛んでいるし、魚は「自由」に海や川を泳いでいるように見えます。いったいなぜ、カントはこのように考えたのでしょうか。 カントといえば『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』の三批判書が有名ですが、その一冊目にあたる『純粋理性批判』の中で彼は人間の認識の限界を明らかにしようとします。私たちはふつう太陽や月、海、山、草木、他人といった、この世界の「物」そのものの姿を認識していると思っていますが、それは大きな間違いです。人間に知ることができるのは人間の認識能力が及ぶ範囲のことだけ

    自由と道徳 - 寺田俊郎 | トイビト
  • 『純粋理性批判』の体操をつくる

    『純粋理性批判』のペーパークラフトを買った。 『純粋理性批判』はドイツの哲学者カントが書いた、哲学の歴史の中でも有名なである。それをペーパークラフトにするってどういうことなのだろう。たしかに親しみやすそうではある。 さらに親しみやすさを追求して、今回『純粋理性批判』を体操にしたらどうなるだろう。混沌としてきたぞ。

    『純粋理性批判』の体操をつくる
  • カントと動力学の問題「図書新聞」の書評コーナー│オンライン書店e-hon

  • 『理性の不安』 坂部恵 (勁草書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 日語で読めるカントの研究書として有名なである。初版は今から30年近く前に出たが、何度か改版をくりかえしてロングセラーをつづけている。 よく言及されるので気になっていたが、はじめて読んだ。意外だったのは読みやすいことである。研究書というよりエッセイの文体で書いてあるのだ。同じ著者が講談社学術文庫から出している入門書よりよほど読みやすい。 エッセイ風に書いたのは気まぐれではなく、必然性があったと思われる。 カントは難解な文章で知られるが、若い頃も難しいを書いていた。ところが『純粋理性批判』を準備する10年間の沈黙にはいるすこし前、1763年から1770年――年齢にして39歳から46歳――にかけての7年間、一般読者を意識したヴォルテールばりの文体で書いた時期があるのだ。その頃を代表するのが『美と崇高の感情に関する観察』と『視霊者の夢』である。 『美と崇高の感情

    『理性の不安』 坂部恵 (勁草書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 『実践理性批判』 イマヌエル・カント著 : 書評 : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    熊野純彦氏によるカント『実践理性批判』の新訳を、楽しみに手に取った。いちばん有名な箇所を、これまでの訳と比較してみる。岩波文庫(波多野精一・宮和吉・篠田英雄訳)は、《君の意志の格律が、いつでも同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ》。これに対して熊野氏の訳は、《きみの意志の準則が、つねに同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ》。マクシムを格律でなく準則と訳したのは、熊野氏の熟慮の末の選択である。ちなみに同じ箇所を、竹田青嗣氏は、《あなたの主観的な行為のルール(マキシム)が、いつでも、普遍的立法の原理(客観的な行為のルール)と一致するような仕方で行為しなさい》とさらにくだいて言い換えている(『完全解読 カント「実践理性批判」』)。 比べてみると、岩波訳は、日語がこなれていて読みやすい。熊野訳は、原文を尊重した精妙な日語。元のドイツ語が透けて見えるようである。数

  • 『自然地理学』 カント (岩波書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 『カント全集』の第16巻で『自然地理学』をおさめる。 『自然地理学』とはカントがケーニヒスベルク大学の私講師となった翌年の1756年夏学期から事実上の引退をした1798年まで、実に43年間にわたって講義した科目である。1772年の冬学期からは対をなす『実用的見地における人間学』(以下『人間学』)の講義を同じ曜日と時間にはじめており、以後25年間にわたって冬学期は『人間学』、夏学期は『自然地理学』と二つの講義を交互におこなっていた。 『自然地理学』は前から読みたいと思っていた。理由は二つある。 まず『自然地理学』はカントが新時代の教養として自負していた科目であり、同時代的な評価も非常に高かったということ。カントが担当した中ではもっとも学生の集まる授業で、評判を聞きつけたケーニヒスベルクの上流人士も講筵に連なった。 講義の内容は学生が筆記したノートの写でも流布し

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  • 『カント「視霊者の夢」』 カント (講談社学術文庫)/『神秘家列伝〈其ノ壱〉』 水木しげる (角川ソフィア文庫) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →『カント「視霊者の夢」』を購入 →『神秘家列伝〈其ノ壱〉』を購入 『視霊者の夢』は1766年、カントが42歳の時に出版したスウェーデンボリ論である(英語読みではスウェーデンボルグ)。 スウェーデンボリはカントより36歳年長のスウェーデンの科学者である。英国に留学して天文学(ハレーの助手をつとめたこともある)と機械工学を学び、帰国後は王立鉱山局で鉱山開発に辣腕をふるって貴族に列せられ、国会議員にも選ばれた。ところが59歳で引退すると、それまで隠していた霊能力を公然と披露するようになり、霊界のありさまを克明に描いた神秘的著作を矢継ぎ早に発表した。 1759年のストックホルムの大火の際には、500km離れた地方都市の夕会で突然顔面蒼白になって大火の様子を事細かに語りだし、後日その通りだったことが確認されるとヨーロッパ中の話題となった。 この頃カントは出版社兼書店をいとなむカンターの家に間借り

    『カント「視霊者の夢」』 カント (講談社学術文庫)/『神秘家列伝〈其ノ壱〉』 水木しげる (角川ソフィア文庫) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 『カント先生の散歩』 池内紀 (潮出版社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 カントというと謹厳実直な哲学者を思い浮かべる人が多いだろう。毎日規則正しく散歩したので時計がわりになったという逸話がいよいよ気難しそうなイメージを強める。 しかしカントを直接知る同時代人の書簡や回想によると、実際は座をとりもつのがうまい社交好的な人物だったらしい。 当時の大学の教師には黒ずくめで通したり、身なりに気をつかわない人が多かったようだが、カントは流行に敏感でお洒落だった(表紙の黒服のカントはおかしい。もっと派手な服を着ていなければ)。通いの召使には白と赤のお仕着せを着せていた。白と赤が好きだったからだ。 授業も形而上学、論理学、神学、倫理学といった難しそうな科目だけではなく、自然地理学と実用的人間学という「通俗的」な科目も担当していた。この二つはたいそうな人気で、学生以外も聴講にきていた。 書は一般向けのではあまりふれられてこなかった社交的なカン

    『カント先生の散歩』 池内紀 (潮出版社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 『カントの人間学』 中島義道 (講談社現代新書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 カントの『自然地理学』と対をなす『実用的見地における人間学』(以下『人間学』)の概説かと思って読んだら、そうではなかった。 書の元になったは『モラリストとしてのカントⅠ』という表題で、『人間学』などを材料に人間研究家(モラリスト)としてのカントを紹介しているが、なぜそんな人間観になったかという原因をカントの生涯にもとめており、伝記的な側面が大きい。 「あとがき」には「これまで「よい面」ばかり伝えられて来たのだから、一時的にこれくらいの引き下げ方をしなければ公平ではない」とあるが、実際書はカントの「悪い面」ばかりをあげつらった観がある。池内紀の『カント先生の散歩』(以下『散歩』)のカントがケーニヒスベルクの上流人士の目に映った白カントだとするなら、書は意地の悪い同業者から見た黒カントだろう。 カントには表面的なつきあいの友人は多かったが、真の友といえる

    『カントの人間学』 中島義道 (講談社現代新書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 暦と自然 - heuristic ways

    今はもう図書館に返してしまったので手許にないが、中西進『日文学と漢詩』を読んでいて、「あ!」と思ったのは、「年のうちに 春はきにけり ひとゝせを 去年(こぞ)とやいはむ 今年とやいはむ」(在原元方)という『古今和歌集』冒頭の歌は、「自然が暦に支配されている」という考え方に基づくものだと指摘されていたこと。 この歌の詞書には、「ふる年に春立ちける日よめる」(旧年中に立春となった日に詠んだ歌)とある。暦がまだ旧年のうち(たとえば十二月十五日)に「立春」になってしまった場合、十六日から三十一日までの「ひとゝせ」を、去年というのか今年というのか、とこの歌では問うているのである。*1  この歌は『和漢朗詠集』(巻上・春・立春・3)にも収められているが、『和漢朗詠集』には他にも暦と季節の一致・不一致を詠んだ詩や歌がいくつもある。 たとえば白居易の次の詩。4 柳気力なくして条(えだ)先づ動く 池に波の

  • 坂部恵『理性の不安』 - martingale & Brownian motion

    原発の議論を眺めていると、どうしても、ある「理性の限界」を超えているのではないか、という印象がぬぐいきれない。 それは、ウルリヒ・ベックのリスク社会論が検討した、問題そのものだっただろう。 自分たちがコントロールできない。そして、チェノブイリから、スリーマイルが起き、今回の副島となった。 そこで、では、それでも「動かし続ける」と決断する、世界の国々は、では、400年や1000年のレベルで、 何回の深刻な事故 を起こすことになるだろうか。もちろん、その間にも、チェノブイリ、スリーマイル、副島、それぞれの地域は少しずつ回復していくのかもしれないが、そういった期間で考えるなら、どう考えても事故がまったく起きないように思われない。 (まあ、それくらいの期間で考えれば、当にものすごいタイムスパンで一回起きるかどうかの、さらに大きな地震や津波。また、隕石による、地球の大激変、テロ、こういったことも想

    坂部恵『理性の不安』 - martingale & Brownian motion
  • 与謝野晶子とカント - heuristic ways

    与謝野晶子(1878−1942)は、45歳のときに関東大震災(1923年)を経験している。 山藤枝『黄金(こがね)の釘を打ったひと――歌人・与謝野晶子の生涯』によると、大地震のとき、西村伊作が与謝野鉄幹・晶子らと協力して設立した文化学院が焼け、文化学院の門の側の西村建築事務所に預けておいた晶子の『源氏』の原稿一万枚も焼失した。幸い与謝野家は焼けず、大ぜいの家族も無事だったという。 もともと与謝野晶子が『源氏物語』の現代語訳にとりかかったのは1909(明治42)年からで、1912(明治45)年から1913(大正2)年にかけて、森鴎外(他に上田敏)の序文のついた『新訳源氏物語』全三巻が出ていた。Wikipediaの「与謝野晶子」によると、これは「欠陥が多い」ものだったので、「一からやり直し」、完成まで残りわずかとなったところで、原稿が灰になってしまったのである。しかし、晶子は「またも一からや

  • 中山元さん講座「ドイツの古典図書を古典新訳文庫で読む 『自由の哲学者、カント』」―東京ドイツ文化センターで - カフェ光文社古典新訳文庫 Blog

  • カント「啓蒙とは何か」Was ist Aufklaerungについての覚書 - Hello, How Low?

    啓蒙とは何か 他四篇 (岩波文庫 青625-2) 作者: カント,篠田英雄出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1974/06/17メディア: 文庫購入: 3人 クリック: 44回この商品を含むブログ (30件) を見る永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編 (光文社古典新訳文庫) 作者: カント,中山元出版社/メーカー: 光文社発売日: 2006/09/07メディア: 文庫購入: 19人 クリック: 104回この商品を含むブログ (101件) を見るフーコーの「啓蒙とは何か」についての論文を読むことになったので、とりあえず家カントの方を再読しようと思い立ち、読んでいたのですが。これがかなり面白い。というか、中々どうやら不穏なことを言っている気がする。最近はフーコーの博士論文(の副論文)であった『カントの人間学』を読んで訳わからねーとか思ってたりもしたんやけれど、カント自身の「啓蒙につい

    カント「啓蒙とは何か」Was ist Aufklaerungについての覚書 - Hello, How Low?
  • 『カントの啓蒙精神-人類の啓蒙と永遠平和にむけて-』宇都宮芳明(岩波書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「啓蒙と道徳の関係」 この著作の中心的なテーゼは、啓蒙は究極的には道徳的な啓蒙であるということである。啓蒙は周知のように「未成年の状態から脱出すること」と定義されており、カントは啓蒙されていない状態を、「わたしは、自分の理性を働かせる代わりに書物に頼り、良心を働かせる代わりに牧師に頼り、自分で餌を節制する代わりに医者に餌療法を書法してもらう」(カント『永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編』古典新訳文庫、11ページ)と表現していた。 だから啓蒙とはまず、理性を働かせること、良心を働かせること、みずから判断で健康を維持することという三つの領域で考えられているとになる。理性という知の領域、良心という道徳の領域、健康という医学の領域のそれぞれにおいて、「自分の力で考えること」が啓蒙のとりあえずの目標である。 著者は、この啓蒙の営みの三つの格律をカントの著作から取り出して

    『カントの啓蒙精神-人類の啓蒙と永遠平和にむけて-』宇都宮芳明(岩波書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • たぶん世界一簡単な『純粋理性批判』からの学び方。:日経ビジネスオンライン

    カント哲学の内容そのものには一歩も足を踏み入れることなく、話は人物像や逸話に終始した。兄が語るその口調は、まるでカントが今現在、海の向こうで大ブレイク中のロックスターであるかのように熱かった。 哲学者といえば、やっぱりカント。カントで決まりでしょ。自然科学の研究もしていたというし、天才だよね。性格も実に哲学者らしい哲学者で、やることなすこと厳格このうえない。毎日必ず決まった時刻に同じ道を散歩するものだから、近所の人々はカントの歩く姿を見て、時計の針を調整していたんだって。オマエ、信じられるか? とにかく、それぐらい偉いヤツなんだ。哲学の歴史はすべてカントに流れ込み、その後はすべてカントから流れ出たと言われるほどさ。カント哲学はあまりにも画期的で、それまでの哲学を根からひっくり返したものだから、その衝撃を「コペルニクス的転回」と呼ぶんだぜ。 兄の話に耳を傾けているうちに彼のカント熱がたちま

    たぶん世界一簡単な『純粋理性批判』からの学び方。:日経ビジネスオンライン