タグ

津波に関するheppokonekoのブックマーク (19)

  • 世界一残酷だった“引き波”と“滝つぼ現象”の破壊力被災地を見た地震学者が語る津波から生き延びる方法

    1967年、岐阜県大垣市生まれ。2006 年からフリー。主に人事・労務分野で取材・執筆・編集を続ける。著書に『あの日、負け組社員になった・・・』『震災死 生き証人たちの真実の告白』(共にダイヤモンド社)や、『封印された震災死』(世界文化社)など。ウェブサイトでは、ダイヤモンド社や日経BP社、プレジデント社、小学館などで執筆。 「生き証人」が語る真実の記録と教訓~大震災で「生と死」を見つめて 吉田典史 震災から5ヵ月以上が経った今、私たちはそろそろ震災がもたらした「生と死の現実」について、真正面から向き合ってみてもよいのではなかろうか。被災者、遺族、検死医、消防団員、教師、看護士――。ジャーナリストとして震災の「生き証人」たちを詳しく取材し続けた筆者が、様々な立場から語られた「真実」を基に、再び訪れるともわからない災害への教訓を綴る。 バックナンバー一覧 3月11日、震災当日の夜から、多くの

  • 奇妙な鉄の棒の正体は? 被災地で見たもの

    石巻市街から雄勝に向かった筆者は、震災、特に巨大津波が残した生々しく、残酷な傷跡をつぶさに見た。だが、雄勝地域では、傷跡どころではなく、津波の暴力とでも言うべきすさまじい破壊力を見せつけられた。大自然の脅威におびえつつ、雄勝町の中心部から、水浜地区までたどり着いた。

    奇妙な鉄の棒の正体は? 被災地で見たもの
    heppokoneko
    heppokoneko 2011/05/12
    "同地区を歩いている途中、奇妙な鉄の棒を頻繁に見かけた。地面から伸び、折れ曲がっている棒の正体は何か。しばらく歩くうち、答えを見つけた"
  • 河北新報 東北のニュース/「津波の前必ず引き潮」 誤信が悲劇招く 岩手・大槌

    「津波の前必ず引き潮」 誤信が悲劇招く 岩手・大槌 津波で壊滅的な被害を受けた岩手県大槌町中心部=4月下旬 「津波が来る前には必ず潮が引く」。過去に津波を経験した三陸沿岸の住民の多くは、そう信じていた。岩手県大槌町では東日大震災で、引き潮がなかったように見えたため、潮が引いてから逃げようとした住民を急襲した津波がのみ込んだという。津波の前兆を信じていたことが、1600人を超える死者・行方不明者を出した惨劇の一因にもなった。  3月11日午後3時すぎ、大槌町中心部の高台に逃げた住民は、不可解な海の様子に首をかしげた。大津波警報は出されていたが、海面は港の岸壁と同じ高さのまま。潮が動く気配がなかった。  「潮が引かない。当に津波が来るのか」。そんな声が出始めた。  大槌町中心部は、大槌川と小鎚川に挟まれた平地に広がる。津波の通り道となる二つの川の間に開けた町の海抜は10メートル以下。津波に

  • 東日本大震災:コンクリート壁の階段で住民が難を逃れる - 毎日jp(毎日新聞)

    東日大震災で大津波に襲われ、多くの住宅が流失した岩手県釜石市唐丹(とうに)町郷地区で、裏山のコンクリート壁に取り付けた階段が避難路の役割を果たし、住民の多くが難を逃れた。今後の津波防災への一つの教訓となりそうだ。【五十嵐和大】 「これがなければ逃げ場は無かった。造っておいてよかった」。郷地区に住む葛西良之進さん(74)は、自宅裏の高さ約8メートルの壁に備え付けられた階段を指さした。 葛西さんの自宅は郷地区が壊滅的被害に遭った昭和三陸地震津波(1933年)の後、漁港近くの裏山を切り崩して造成された高台に建つ。3月11日の津波では、危険を感じた周辺住民や消防団員ら十数人が葛西さんの自宅前にいったん避難したが、間もなく地面近くまで水が上がってきた。 「裏山さ逃げろ」。葛西さんはとっさに叫び、階段を使って壁に上るよう住民を促した。結果的に自宅への津波被害は床下浸水で済んだが「もっと大きな津

    heppokoneko
    heppokoneko 2011/04/23
    "岩手県は76年、葛西さん方の裏山を「急傾斜地崩壊危険区域」に指定し、コンクリートの壁を建設。その際、「山に入るため」という葛西さんの要望で階段が設置された経緯がある"
  • asahi.com(朝日新聞社):無防備な被災地沿岸 防潮堤壊れたまま、地盤沈下も - 社会

    東北太平洋側の沿岸では、津波や高潮に無防備な危険な状態が続いている。東日大震災後も余震が続いて津波の警報・注意報も相次ぐが、190キロ分の防波堤や防潮堤が壊れたままだ。地盤沈下も最大で1.2メートルが確認されている。  国土交通省によると、土地がぬかるんで重機を入れられないため、堤防の修復作業は進んでいない。周辺で行方不明者をさがす家族への配慮もあるといい、土嚢(どのう)を積むなどの応急措置にとどまっている。  気象庁によると、大震災以降18日までに、震度4以上を120回観測。津波警報が2回、注意報が3回発令された。余震で目立った津波被害は確認されていないが、今後も余震は続くとみられている。  地盤沈下も目立ち、危険度を増している。国土地理院によると、太平洋沿岸の地盤は宮城県の牡鹿半島で最大の1.2メートル沈んだ。岩手県陸前高田市小友町西の坊は84センチ、宮城県石巻市渡波神明は78センチ

  • asahi.com(朝日新聞社):「津波は3メートル」…その後放送できず被害拡大 釜石 - 社会

    大きな被害が出た岩手県釜石市鵜住居地区=3月11日午後、浦山奈穂江さん提供  東日大震災で津波を知らせる防災行政無線の放送内容は、被災した沿岸自治体ごとに違っていた。予想された津波の高さを知らせず、「とにかく逃げて」と訴えて功を奏した自治体もある一方、「高さ3メートル」と放送したため、2階に避難すればいいと判断して被災した人が多い自治体もある。行政は何をどう伝え、市民はどう対処すべきか。課題を残した。  3月11日、気象庁は地震発生3分後の午後2時49分に大津波警報を発令し、1分後に岩手県には高さ3メートルの津波が来ると予想した。これを受け、岩手県釜石市は午後2時50分と同52分に「高いところで3メートル程度の津波が予想されます。海岸付近の方は直ちに近くの高台か避難場所に避難するよう指示します」と市内96カ所のスピーカーで放送した。  気象庁は津波予想を、午後3時14分に6メートルと切り

    heppokoneko
    heppokoneko 2011/04/20
    "「速報性を重視する気象庁が初期段階で発表した3メートルという数字が独り歩きしてしまった。津波速報の活用方法を、行政も市民も見直す必要がある」と話す"
  • asahi.com(朝日新聞社):津波浸水面積、東京23区の9割に匹敵 561平方キロ - 社会

    国土地理院は18日、東日大震災の津波で浸水した面積が青森から千葉までの太平洋側6県62市町村で、合計が561平方キロに達した、と発表した。東京23区の面積の9割、大阪市の2.5倍、福岡市の1.6倍、名古屋市の1.7倍にあたる。  面積は、航空写真や衛星画像を判読した。これまで青森県から福島県沿岸まで507平方キロと見積もっていたが、福島県の一部、茨城県と千葉県の浸水域を付け加え、被害の全容を示した。最も被害が大きかった市町村は宮城県石巻市の73平方キロ。宮城県は327平方キロで被害全体の半分以上を占めた。(松尾一郎)

  • 東日本大震災:津波複合で巨大化 東大地震研 - 毎日jp(毎日新聞)

    東日大震災で猛威をふるった津波は、過去に東北地方を襲った「貞観(じょうがん)地震」(869年)、「明治三陸地震」(1896年)という二つのタイプの大地震で発生した津波が複合して巨大化したことが佐竹健治・東京大地震研究所教授らの研究チームの調査で分かった。津波を起こした断層の長さは約350キロに及ぶ。5月に開かれる日地球惑星科学連合大会で発表する。 太平洋プレート(岩板)が沈み込む深部のプレート地震である貞観地震(深さ15~50キロ)では、津波による浸水が海岸から3~4キロ内陸まで達するなど被害が広範囲に及び、約1000人以上が水死したとされる。一方、比較的浅い日海溝付近のプレート内で起きた明治三陸地震(深さ15キロ以内)では2万人以上が犠牲になった。 研究チームは、これら二つの地震での津波の被害状況などから津波をもたらした原因断層を推測。東日大震災での海底水圧計などの変化と比べた結

  • 東日本大震災:先人は知っていた 「歴史街道」浸水せず - 毎日jp(毎日新聞)

    東日大震災に伴う津波で大きな被害を受けた仙台平野で、浸水域の先端が、江戸時代の街道と宿場町の手前に沿って止まっていることが、東北大の平川新教授(江戸時代史)の調査で確認された。仙台平野は400~500年おきに大津波に見舞われており、街道は過去の浸水域を避けて整備された可能性が高いという。平川教授は「先人は災害の歴史に極めて謙虚だった」と話し、今後の復旧計画にも教訓を生かすべきだと提言する。 国土地理院が作製した東日大震災の浸水図に、平野を縦断する奥州街道と浜街道を重ねたところ、道筋の大部分と宿場町が浸水域の先端部からわずかに外れていたことが分かった。宿場町の整備後に仙台平野を襲った慶長津波(1611年)では、伊達領で1783人が死亡したとの記録が残る。平川教授は「慶長津波を受けて宿場町を今の位置に移したとも推察できるが、今回の浸水域と比べると見事なほどに被害を免れる場所を選んでいる。津

    heppokoneko
    heppokoneko 2011/04/20
    "仙台平野は400~500年おきに大津波に見舞われており、街道は過去の浸水域を避けて整備された可能性が高いという"
  • そこは「忘れ去られた被災地」だった 津波に押し流された岩手県・野田村で見たもの | JBpress (ジェイビープレス)

    この取材がなければ、私はこの村の存在を知ることもなかっただろう。旅行者が訪れる観光名所もない。赤い鳥居の鎮守を中心に人々が暮らす、穏やかで慎ましい村である。 八戸市から国道45号線を南下するドライブ旅行なら、左手に広がる太平洋と浜がおりなす絶景に見とれているうちに、右手の田畑に点在する家や商店に気を留めることもなく、そのまま通り過ぎてしまうかもしれない。 3月11日、そんな美しい北国の田園風景は失われてしまった。 両側に田園と山林が続く中を20分ほど走っただろうか。村のゆるキャラ「鮭の子のんちゃん」の巨大な像を右手に過ぎたあたりから、風景がどこか異常なことに気がつく。両側の家が片っ端から壊れ、傾き、あるいは崩れて建材とゴミの山になっている。商店はどれも、1階が骸のようにぽっかりと空洞になっている。津波が押し寄せて1階を洗っていったのだ。 これは一体何なんだ。海はどこにも見えない。なのに、得

    そこは「忘れ去られた被災地」だった 津波に押し流された岩手県・野田村で見たもの | JBpress (ジェイビープレス)
    heppokoneko
    heppokoneko 2011/04/18
    "家を失った人400人。人口5000人弱の村では甚大な被害なのだが、気仙沼市や陸前高田市に比べれば「比較的被害が軽い」と思われているらしい。行政区分別に死者や行方不明者を数えて、数字でニュースに優先順位をつける
  • asahi.com(朝日新聞社):津波被災現場にも仮設住宅建設可能に 宮城・南三陸町 - 社会

    宮城県が、津波被害を受けた同県南三陸町内の小中学校の校庭に、被災者向けの仮設住宅を建設する方向で検討していることがわかった。正式に決まれば、同町内での入居が早まることが期待できる。  県全体で仮設住宅3万戸が必要とみている宮城県は、国土交通省の「津波被害を受けた土地での建設は認めない」との方針に沿って用地選定を進めていた。  しかし、高台での用地確保が難しく、地元に住みたいとの住民感情も根強い。町も「子どもたちが学んでいる小中学校で建設を認めないのはおかしい」と県に陳情していた。今回の方針転換はこうした事情を考慮したとみられる。  県が新たに予定地として選んだのは戸倉中学校と伊里前小学校の敷地内。2校とも高台にある。校舎の一部は津波の被害を受けたが、背後に山があるなど避難経路が確保できる。  町内には1126戸の建設を予定。県には津波被害を受けた小中学校(跡地も含む)計5校を285戸分の候

    heppokoneko
    heppokoneko 2011/04/18
    "津波被害を受けた同県南三陸町内の小中学校の校庭に、被災者向けの仮設住宅を建設する方向で検討していることがわかった""国土交通省の「津波被害を受けた土地での建設は認めない」との方針に沿って用地選定を進めて
  • 河北新報 東北のニュース/指定避難所で何が 東松島・野蒜小 証言で振り返る大津波

    指定避難所で何が 東松島・野蒜小 証言で振り返る大津波 5センチの厚さに堆積した泥の上にピアノや演壇がひっくり返ったままの野蒜小体育館。並べた板とビニールシートに遺体が仮安置されていた=11日、東松島市 泥にまみれた児童用シューズ。津波で運ばれた防潮林の松葉が一面に散らばっていた=11日、東松島市の野蒜小体育館 東日大震災の巨大津波は、自治体の指定避難所までのみ込んだ。「ここに逃げ込めば助かる」と疑いもしないまま犠牲になった人も少なくない。東松島市の野蒜小もその一つだった。あの時、何が起きていたのか。証言を基に再現する。 (藤田杏奴、野内貴史) ◎午後2時46分/徒歩や車で住民続々/ここは安全のはず  3月11日午後2時46分。放課後の野蒜小には5、6年生約60人が残っていた。激しい揺れで電気が消えた。揺れが続く。子どもたちはおびえきっていた。  直後から野蒜小には、子どもの安否を気遣う

  • アウターライズ地震:発生の懸念、小さな揺れで大津波も - 毎日jp(毎日新聞)

    東日大震災後、各地で地震活動が活発化する中、震源域東側の太平洋プレートの内部で、大規模な「アウターライズ地震」の発生が懸念されている。マグニチュード(M)9.0の巨大地震の影響で、太平洋プレートに大きな力がかかっているため。過去には最初の大地震の2カ月後に発生した例もあり、気象庁は「発生すれば大津波警報を出すようなケースも考えられる」と話している。【飯田和樹】 アウターライズ地震は、陸のプレートの下に海側のプレートが沈み込む境界面で起きる東日大震災のような地震の発生後、境界面より外側の地域で発生する地震を指す。プレート境界面の破壊後、海側のプレートの浅い部分に引き延ばそうとする力が働くため、プレート内部で正断層型の地震が発生する。 気象庁地震予知情報課によると、明治三陸地震(1896年、M8.2)の37年後に発生した昭和三陸地震(1933年、M8.1)や、06年11月の千島列島沖地震(

    heppokoneko
    heppokoneko 2011/04/18
    "アウターライズ地震は陸から離れた場所で起きるため、陸での揺れは小さくなりがちだが、津波を起こしやすいという特徴がある"
  • 東日本大震災:弱者襲う津波 高齢者、車椅子 高台行けず - 毎日jp(毎日新聞)

    津波で多くの人が亡くなった市民体育館の内部=岩手県陸前高田市で2011年4月16日午前8時15分、長谷川直亮撮影 東日大震災で壊滅した岩手県陸前高田市民体育館。避難所に指定されていたため住民約100人が逃げ込んだが、生存者は3人だった。その1人で市職員の佐々木英治さん(38)や住民たちの話から「あの時」を再現すると、想定外の大津波に、なすすべもなく流されていった高齢者たちの姿が浮かぶ。 ◇午後2時46分  強い揺れが襲った時、体育館内では県立高田高(同市)女子テニス部員15人が練習中だった。主将の金(きん)優里香(ゆりか)さん(17)は「ステージ側の壁がボロボロ砕けて落ち、天井の大きな照明がゆらゆら揺れて落ちそうだった。扉付近の部員がドアを開け、みんなで外へ飛び出した」と振り返る。 直後に体育館に着いた顧問の川口倫(ひとし)教諭(37)は「体育館の中は停電して真っ暗で、フロアは砂ぼこりが

  • 河北新報 東北のニュース/海峡の底出現 引き波後に津波激突 仙台の写真家撮影

    海峡の底出現 引き波後に津波激突 仙台の写真家撮影 大規模な引き波で海底が露出した金華山と牡鹿半島の海峡 南北からの津波が激突し、大きく盛り上がる海面=3月11日午後3時36分、宮城県石巻市の金華山から東野さん撮影 東日大震災で、宮城県の牡鹿半島と金華山の海峡で海底が見えるほどの引き波が発生し、南北から押し寄せた津波が激突する様子を、仙台市青葉区の元NHKカメラマンで山岳写真家の東野良さん(66)が撮影した。  東野さんは3月11日、石巻高の同窓生の登山仲間12人と一緒に金華山に来ていた。金華山港で、鮎川港に戻る定期船を待っていた午後2時46分、地震が発生。高台への道は土砂崩れが起きていたが、何とか通って高台に避難した。  午後3時12分ごろ、海面が上昇し始め、さっきまでいた待合室は水没。同29分ごろ、今度は南に向かって水が引き始め、同33分には撮影場所から約1キロ先に見える牡鹿半島との

  • 福島第1原発:復興の担い手戻れず 不安募らす被災者 - 毎日jp(毎日新聞)

    heppokoneko
    heppokoneko 2011/04/15
    "あれから1カ月。根本さんの目には、報道される宮城や岩手の津波被災地は、地域住民が一丸となって復興に歩み出しているように映る。しかし、眼前に広がる久之浜の光景は1カ月前と全く変わっていない"いわき市久之
  • 東日本大震災:新たな地震や津波に備え避難道 学生が汗 - 毎日jp(毎日新聞)

    東日大震災の余震に備え、小学校体育館裏の避難道を整備するボランティアら=宮城県石巻市で2011年4月12日午後3時7分、遠藤拓撮影 東日大震災の余震が続く中、新たな地震や津波に備え、避難道を整備するボランティアが活動を始めた。避難所となっている宮城県石巻市の小学校では、裏山に新たに約400人が逃げられるスペースを確保した。今回の震災ではスムーズな避難経路の確保が生死を分けたケースもあり、関係者は「他の避難所でも要請に応じて作業をする」という。【遠藤拓】 東北福祉大(仙台市)有志の「ボランティアチーム・アスリート」。震災で同県気仙沼市の実家が半壊した小崎浩信准教授(41)と、石巻市在住の祖母と伯父を亡くした阿部利江助手(28)を中心に教職員と、陸上競技部員ら学生とを合わせて33人が集った。 手始めに避難道を整備したのは阿部さんの母校、石巻市立飯野川第一小。「裏山が荒れている。避難道がなけ

  • 今回の津波、貞観地震超える より内陸まで到達 東北大

    今回の津波、貞観地震超える より内陸まで到達 東北大2011年4月13日22時21分 印刷 Check 東日大震災の大津波が、1千人以上が犠牲になった869年の「貞観(じょうがん)地震の大津波」よりも、仙台市などで大規模だったことが、東北大災害制御研究センターの菅原大助さんや今村文彦教授らの研究でわかった。13日に同市内で開かれた報告会で発表した。 菅原さんらは、仙台市若林区で今回の津波が海岸から約5キロまで押し寄せたことを確認。当時の海岸線から3.4キロまでだった貞観の津波よりも内陸に達していた。 また、津波の痕跡などから貞観地震の規模をM8.3〜8.4として津波の高さをコンピューターを使って計算。今回と比較した。 その結果、貞観の津波は、当時の海岸線で高さ約7メートルだったとみられるのに対して、今回は約10メートル。約3キロ内陸部では、貞観の津波が約2.5メートル、今回は約2.8メー

    今回の津波、貞観地震超える より内陸まで到達 東北大
    heppokoneko
    heppokoneko 2011/04/13
    "仙台市若林区で今回の津波が海岸から約5キロまで押し寄せたことを確認"
  • 津波 TSUNAMI - Earthquake (3/11) 20110411

    ※タイトル修正しました。

    津波 TSUNAMI - Earthquake (3/11) 20110411
  • 1