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考古学と歴史に関するholyagammonのブックマーク (119)

  • 大阪・東弓削遺跡:基壇跡発見、由義寺の塔遺構とほぼ断定 | 毎日新聞

    八尾市教委が発表 大阪府八尾市の東弓削(ひがしゆげ)遺跡を発掘調査していた同市教委は9日、塔の土台部分にあたる基壇が見つかったと発表した。専門家は「続日紀(しょくにほんぎ)」に記載がある由義(ゆげ)寺の塔の遺構とほぼ断定。これまで幻とされていた由義寺が実在し、巨大な塔を伴っていたことが確認された。 由義寺は称徳天皇のそばで権力を握った僧、道鏡(不詳~772年)が建設に関わったとされる寺院。東弓削遺跡では昨年、奈良時代後半につくられた大量の瓦が見つかり、近くに建物の遺構があるとみて調査が続けられていた。 基壇は1辺約20メートルの正方形。高さ約100メートルともいわれる東大寺七重東塔の基壇(1辺24メートル)よりは小さいが、大安寺七重塔の基壇(同20.4メートル)に匹敵する大きさ。平城京の東大寺や興福寺と同型の瓦が多く出土しており、国家寺院と判断できる。塔は七重塔である可能性が高いという。

    大阪・東弓削遺跡:基壇跡発見、由義寺の塔遺構とほぼ断定 | 毎日新聞
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    holyagammon 2017/02/09
    "由義寺は称徳天皇のそばで権力を握った僧、道鏡(不詳~772年)が建設に関わったとされる寺院"
  • 黒焦げになった2000年前の巻物、新技術で中身を解読

    ローマ(CNN) 古代ローマの時代に書かれ、ベスビオス火山の噴火で黒焦げになった巻物が、現代の新たな技術で解読されたことが29日までに分かった。 約2000年前の巻物で、古代ローマの都市ヘルクラネウムの書庫に保管されていた。紀元79年のベスビオス火山噴火で灰に埋もれ、260年前に黒焦げ状態で発掘された。非常にもろく、従来の方法で広げれば崩れてしまう恐れがあった。 しかしイタリア学術会議(CNR)の研究者らがこのほどX線による断層撮影技術を使って、巻物を広げた画像を作ることに成功した。 研究チームのメンバーは、この技術を全ての美術史研究者や博物館、図書館に使ってもらうことが目標だと話している。 巻物のうち2巻は、古代ローマの哲学者フィロデモスが修辞学について書いた内容で、現在、古代ギリシャ語から英語への翻訳作業が進んでいる。その成果は近く科学専門誌に発表される見通しだ。

    黒焦げになった2000年前の巻物、新技術で中身を解読
  • 奈良の都にペルシャ人役人がいた…木簡に名前 : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    奈良市の平城宮跡から出土した8世紀中頃の木簡に、ペルシャ(現代のイラン付近)を意味する「 破斯 ( はし ) 」という名字を持つ役人の名前が書かれていたことが、奈良文化財研究所の調査でわかった。 国内でペルシャ人の名前を記した出土遺物が確認されたのは初めてで、奈良時代の日の国際性を裏付ける成果となる。 木簡は1966年、人事を扱う式部省があった平城宮跡東南隅の発掘調査で出土した。文字が薄く肉眼では一部が判読不能だったが、今年8月、赤外線撮影をした結果、役人を養成する「大学寮」でのペルシャ人役人の宿直に関する勤務記録とわかった。 表側の上部に「大学寮解 申宿直官人事」、下部に、定員外の特別枠で任じられた役人「 員外大属 ( いんがいだいさかん ) 」という役職名、中国語でペルシャを表す「 波斯 ( はし ) 」と同じ読み・意味の「破斯」という名字を持つ「破斯清通」という人名と、「天平神護元

    奈良の都にペルシャ人役人がいた…木簡に名前 : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
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    holyagammon 2016/10/05
    「大学寮解 申宿直官人事」、下部に、定員外の特別枠で任じられた役人「員外大属いんがいだいさかん」という役職名、中国語でペルシャを表す「波斯はし」と同じ読み・意味の「破斯」という名字を持つ「破斯清通」
  • なぜ沖縄でローマ帝国のコインが見つかったのか 識者3人の視点 | 沖縄タイムス+プラス

    沖縄県うるま市教育委員会(栄門忠光教育長)が26日、世界遺産の勝連城跡の発掘調査で、ローマ帝国とオスマン帝国の金属製の貨幣(コイン)計5点が出土したと発表した。4点は3~4世紀のローマ帝国、1点は17世紀のオスマン帝国で製造された貨幣であることが判明。背景について3人の識者が解説した。

    なぜ沖縄でローマ帝国のコインが見つかったのか 識者3人の視点 | 沖縄タイムス+プラス
  • 沖縄の勝連城跡からローマコイン 海上交易で流入か - 沖縄:朝日新聞デジタル

    ローマ帝国のコインが沖縄県の勝連(かつれん)城跡で出土したと、同県うるま市教育委員会が26日、発表した。国内の遺跡からは初の出土で、14~15世紀の海上交易を介して流入した可能性があるという。 出土したコインは10枚。うち4枚に皇帝らしい顔やローマの文字が刻印されており、4世紀のローマコインとみられる。直径1・6~2センチでいずれも銅製。中国陶磁器を含む地層(14~15世紀)などから見つかった。1点はアラビア文字があり、17世紀製造のオスマントルコ帝国のコインとみられる。残る5点は分析中。 勝連城は世界遺産にも登録されており、12~13世紀ごろの築造。この地域で活躍した阿麻和利(あまわり)の居城とされ、15世紀の廃絶後もしばらく利用されたとされる。同市教委では整備事業の一環として発掘調査を進めていた。 沖縄では14世紀から16世紀にかけて海上中継貿易が栄えた。琉球王国は中国や東南アジアとも

    沖縄の勝連城跡からローマコイン 海上交易で流入か - 沖縄:朝日新聞デジタル
  • 「真田丸」は四角だった? 幻の出城に地中レーダー探査:朝日新聞デジタル

    NHK大河ドラマなどで注目を浴びる戦国武将、真田信繁(のぶしげ〈幸村〉、?~1615)。約400年前、その信繁が大坂冬の陣で徳川方に大打撃を与えた「真田丸」は、「丸」ではなく「四角」だった!?――。なぞの出城の実像が近年、明らかになりつつある。 豊臣方の信繁は1614年12月の大坂冬の陣で、大坂城と城下町を囲む「総構え」の堀の南に真田丸を築いた。上町台地北端にある大坂城は南からの攻撃に弱いため、出城に敵を引きつけて足止めする作戦。井伊直孝、前田利常らの隊に包囲されたが、信繁は上下2段の塀から鉄砲を撃ちかけ、時には奇襲に打って出て、徳川方に死者数千人ともいわれる損害を与えたとされる。 「丸」は「丸」「二の丸」などと同じく曲輪(くるわ、区画)の呼称で、必ずしも円形を意味しない。冬の陣後の和議に伴い、真田丸は破壊されたが、「大坂惣構(総構)」の図など多くの城郭図や配陣図は、総構えから南に突き出

    「真田丸」は四角だった? 幻の出城に地中レーダー探査:朝日新聞デジタル
  • ハンニバル将軍の“アルプス越え”ルートが判明 馬糞の痕跡が決め手に

    研究チームは、フランスとイタリアの国境付近にあるトラベルセッテ峠を調査し、軍馬の糞と思われる堆積物を大量に発見した。堆積物を詳しく調べたところ、ハンニバルが侵攻した時期に生きていたクロストリジウム属の微生物を確認し、ハンニバル軍が通過した裏付けと結論付けた。 関連記事 ツタンカーメンの墓に“隠し部屋” 伝説の美女・ネフェルティティの墓が有力? 古代エジプト王・ツタンカーメンの墓に隠し部屋がある可能性が判明した。 イタリア人宣教師・シドッチの遺骨か 東京都文京区から出土 東京都文京区の遺跡から見つかった人骨が、イタリア人宣教師のヨハン・シドッチの可能性が高いと文京区が発表。 「三角縁神獣鏡チョコ」が福井市の博物館で鋳造される バレンタインデーを前に、「三角縁神獣鏡チョコ」を“鋳造”するワークショップが2月11日、福井市立郷土歴史博物館で開かれた。 古生代の珍生物「タリーモンスター」、半世紀の

    ハンニバル将軍の“アルプス越え”ルートが判明 馬糞の痕跡が決め手に
  • 「切支丹屋敷跡」から人骨 禁制下に潜入した宣教師か:朝日新聞デジタル

    東京都文京区の都旧跡「切支丹屋敷跡」で2年前に3体の人骨が出土し、うち1体は江戸時代のイタリア人宣教師シドッチの可能性が高いことがわかった。シドッチはキリシタン禁制下の日に潜入した最後の宣教師とされる。区が4日発表した。 区によると、マンション建設に伴う発掘調査で、2014年7月に3基の墓と人骨が出土した。国立科学博物館によるDNA鑑定や、人類学的分析で、うち1体は「170センチ超のイタリア人中年男性」と判明。屋敷の記録に残るイタリア人は、遠藤周作の小説「沈黙」のモデルになった享年84のキアラとシドッチしかおらず、文献から「175・5~178・5センチ」の長身で享年47とわかっているシドッチの特徴とも一致したことから、「ほぼ間違いない」と結論づけた。禁教下の宣教師とみられる人骨で個人が特定されるのは初めてという。 シドッチは1708年に屋久島で捕らえられ、江戸の切支丹屋敷に収容。幕府の実

    「切支丹屋敷跡」から人骨 禁制下に潜入した宣教師か:朝日新聞デジタル
  • 三国志・孫権の子、呉第3代皇帝の墓か 安徽省での発掘調査に注目=中国 - BIGLOBEニュース

    三国志・孫権の子、呉第3代皇帝の墓か 安徽省での発掘調査に注目=中国 サーチナ 3月15日(火)13時29分 写真を拡大 中国では、安徽省鞍山市当涂県内で着手された、現在から1700年ほど前に築かれた大規模な陵墓の発掘作業に注目が集まっている。三国志(三国志演義)で有名な呉の皇帝、孫権の息子で同国第3代皇帝を名乗った孫休(235-269年)の墓である可能性があるという。(イメージ写真提供:(C)neftali77/123RF.COM。中国で発行された孫権と諸葛亮を描いた絵葉書と切手) 中国では、安徽省鞍山市当涂県内で着手された、現在から1700年ほど前に築かれた大規模な陵墓の発掘作業に注目が集まっている。三国志(三国志演義)で有名な呉の皇帝、孫権の息子で同国第3代皇帝を名乗った孫休(235−269年)の墓である可能性があるという。  孫休の墓ではないかとの見方が高まっているのは、現地で同陵

    三国志・孫権の子、呉第3代皇帝の墓か 安徽省での発掘調査に注目=中国 - BIGLOBEニュース
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    holyagammon 2016/03/16
    盗掘されてるか。"孫休の在位期間は西暦258−264年。/学問を好み、諸子百家の書物を読破するほどだったが、次第に政治に飽きて部下任せにして国が乱れたなど、後世の評価は高くない"
  • 謎の古代文明の遺跡、最後の悲劇物語る遺物が続々

    「死者の姿」に見える彫刻の付いた器。考古学を学ぶ大学院生のアナ・コーエン氏が、発掘現場の中央部で作業を進める。ここから石でできたコンドルを囲むように儀式用の器が見つかった。(PHOTOGRAPH BY DAVE YODER, NATIONAL GEOGRAPHIC) まだ謎が多く、文明の名前も定まっていない先コロンブス期におけるホンジュラスの古代都市の遺跡から、貴重な石の遺物がこの数カ月でいくつも発見された。米国とホンジュラスの合同考古学者チームが、「ジャガーの街」と呼ばれる現場の中央にある大きな土塁の基礎部分から、200以上の彫刻物を発見したのだ。(参考記事:「中米ホンジュラス 密林に眠る伝説の都」) 遺物は同国東部のカタカマス近郊にある研究所にヘリコプターで運ばれていった。遺物の研究・保管のため、先ごろ開設された施設だ。(参考記事:「謎の古代文明の遺跡、ホンジュラス政府が保護へ」) 「

    謎の古代文明の遺跡、最後の悲劇物語る遺物が続々
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    holyagammon 2016/02/15
    "都市の最後の住民たちは、去り際に最も大切で神聖な品を集め、神々への最後の捧げ物にした"
  • 英南東沖の潜水艦の残骸、100年前の「Uボート」と判明

    (CNN) 英国沖の海底で発見された軍用の艦船の残骸について、100年前のドイツ軍の潜水艦「Uボート」であることがこのほど明らかになった。オランダ海軍のダイバーが調査に当たった。 この潜水艦の残骸は2012年9月、英エネルギー企業のスコティッシュパワー・リニューアブルズが南東部ノーフォーク州とサーフォーク州の沖合で洋上風力発電施設の建設に向けた海底調査を実施している際に見つかった。現場海域は沖合約90キロの地点で、濁った水質の影響で調査が難航し、発見から4年近くが過ぎてようやく艦船の特定が可能になった。 当初は1940年に行方不明となったオランダ海軍の潜水艦である可能性があるとみられていたが、同軍が調査したところ、第1次世界大戦中のドイツ軍のUボートだと判明した。 潜水艦の名称は「U-31」。大きさは全長約57.6メートルで、幅は約4メートル、高さは約4.6メートルある。スコティッシュパワ

    英南東沖の潜水艦の残骸、100年前の「Uボート」と判明
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    holyagammon 2016/01/23
    "海事考古学者、マーク・ダンクリー氏はU-31について、イングランド沖を航行中に機雷の爆発を受け、将校4人を含む乗組員35人全員を乗せたまま撃沈したと考えられていると説明"
  • 琉球王朝時代の橋の遺構発見 担当者「奇跡に近い」  | 沖縄タイムス+プラス

    県道153号の改良工事が進められている那覇市首里平良町の平良橋付近で、琉球王朝時代に建設された太平橋(たいへいきょう)(平良橋)につながる石積み道路の遺構が発見されたことが4日までに分かった。高さ約4メートル、幅約5メートルにわたって琉球石灰岩で造られており、市文化財課の担当者は「ここまできれいに残っているのは奇跡に近い」と話している。 » 基地と原発のニュースをフクナワでも 同課によると、太平橋はもともと木で造られた橋だった。尚寧王の命令により、1597年に浦添グスクから首里城に向かう道を整備する際に石橋に架け替えられた。1609年の薩摩侵攻時には、浦添方面から攻めてきた薩摩軍と橋の上で戦ったという。沖縄戦時に米軍の侵攻を阻むため、日軍が破壊した。  2011年に市の試掘により発見され、12年格的に発掘調査を開始。地中深くまで遺構が確認されたため、安全面に配慮し、ことし6月末から再び

    琉球王朝時代の橋の遺構発見 担当者「奇跡に近い」  | 沖縄タイムス+プラス
  • 木簡に「臭臭臭臭臭」…地下の正倉院展で展示 : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    奈良時代に平城宮で酒や酢の醸造を担った役所「造酒司(ぞうしゅし)」跡で出土した木簡(重要文化財)75点を3期に分けて公開する特別展「地下の正倉院展」(読売新聞社など後援)の第2期展示が先月31日、奈良市の奈良文化財研究所平城宮跡資料館で始まった。 注目は「臭い酢、ネズミが入っている」と書かれた木簡(長さ10・6センチ)。これまで表に「臭酢」などと書かれていることは分かっていたが、最近の調査で、不明だった文字が「鼠(ねずみ)」と読めることが判明した。 木簡には、「臭酢鼠入在」と書かれたとみられ、酢の入ったカメにネズミが落ち、異臭を放っていた様子を記したらしい。裏には「臭臭臭臭臭」と繰り返し書かれており、よほどのニオイだったことがうかがえる。 馬場基・主任研究員は「造酒司には米やこうじが大量にあったはずで、ネズミも巣くっていたのだろう。表には出てこない歴史を伝える面白い木簡を、ぜひ“チューイ”

    木簡に「臭臭臭臭臭」…地下の正倉院展で展示 : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
  • 川越の小川に大量の陶器手榴弾 戦後、投棄されたまま:朝日新聞デジタル

    太平洋戦争中、旧日軍が全国の焼き物生産地で作らせた陶器製手榴弾(しゅりゅうだん)の破片が埼玉県川越市の小川に大量に投棄され、野ざらしになっている。芸術品や生活に役立つ物を生み出していた窯元が、戦争に巻き込まれ、あらゆる資源が兵器生産に投入された戦時中の状況を今も伝える貴重な場所と、研究者は評価するが、保存の計画はない。一方、残された手榴弾を平和について考えてもらうきっかけにしようという取り組みも各地で始まっている。(諫山卓弥、加藤丈朗) 川越の陶器製手榴弾は、崖上から投げ捨てられたかのように数十メートルの範囲に集中する。破片を踏まずには川岸を歩けないほどだ。火薬や信管はないが、割れないで原形をとどめた物もある。 立命館大学の木立(きだち)雅朗(まさあき)教授(窯業〈ようぎょう〉考古学)によると、陶器製手榴弾の製作は1944年から始まった。市内に当時あった「浅野カーリット」の工場に全国から

    川越の小川に大量の陶器手榴弾 戦後、投棄されたまま:朝日新聞デジタル
  • NHK NEWS WEB よろい人骨 遺跡が語る古墳時代像

    よろい人骨 遺跡が語る古墳時代像 5月28日 16時25分 群馬県の遺跡で3年前に見つかった、よろいを身に着けた古墳時代の男性人骨。その後、さまざまな分析が進められ、「渡来系の地域の有力者」といった人物像が示されています。 一方、周辺では今も発掘調査が続けられ、鉄器を作っていた鍛冶炉の跡や周囲から遮蔽された空間など、古墳時代の地域社会の実像に迫る多くの手がかりが得られています。 「よろい人骨」にとどまらない多様で重要な調査成果。どんなものがあるのでしょうか。 (ネット報道部・高橋俊雄) 火砕流で落命 4人の骨 人骨は平成24年の11月、群馬県渋川市の金井東裏遺跡で見つかりました。男性がよろいを身に着けたまま、うつぶせの状態で倒れていたのです。 近くには成人女性や乳幼児の人骨もあり、合わせて4人の骨が確認されました。 遺跡の10キロほど南西には榛名山があり、古墳時代の6世紀はじめ

    NHK NEWS WEB よろい人骨 遺跡が語る古墳時代像
  • 47NEWS(よんななニュース)

    「日でこんなに人気になるとは…」韓国ドラマはなぜ世界的ヒット連発? 始まりは20年前「冬のソナタ」の熱狂 自信を持った制作陣、ネトフリも追い風に 戦争犯罪を裁く国際裁判所は「正義」をどう実現しようとしているのか 「人道に対する罪、座視しない」「法の支配を促進する」…2人の日人裁判官が語ったこと

    47NEWS(よんななニュース)
  • 「ドン・キホーテ」の作者か?捜索チームが棺発見 スペイン

    三位一体女子修道院の地下室のアルコーブの中から見つかった棺の一部。セルバンテスのイニシャル「M.C.」と記されているのが分かる(2015年1月26日公開)。(c)AFP/Sociedad de Ciencia Aranzadi 1月27日 AFP】小説「ドン・キホーテ(Don Quixote)」の作者、ミゲル・デ・セルバンテス(Miguel de Cervantes)の遺体捜索が行われているスペイン・マドリード(Madrid)の女子修道院で、セルバンテスのイニシャル「M.C.」と記された棺の一部が見つかった。スペインの研究チームが26日に明らかにした。 セルバンテスの埋葬場所をめぐる謎を解き明かすため発掘作業を行っていた研究チームは、先週末に三位一体女子修道院(Convento de las Trinitarias Descalzas)の地下室のアルコーブ(壁のくぼみ)の中から棺の一部を発

    「ドン・キホーテ」の作者か?捜索チームが棺発見 スペイン
  • 47NEWS(よんななニュース)

    9年前に夫他界、87歳女性が終活で考えた「残った資産は社会貢献に」…自宅も売却、計4000万円を救急車両購入に寄付

    47NEWS(よんななニュース)
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    holyagammon 2015/01/15
    いつかの段階で破壊されたから埋まってたわけで。
  • 宮内庁、大阪・岬の陵墓を公開 「淡輪ニサンザイ古墳」:朝日新聞デジタル

    宮内庁は5日、垂仁(すいにん)天皇の皇子、五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)の墓「宇土墓(うどのはか)」に指定している大阪府岬町の陵墓「淡輪(たんのわ)ニサンザイ古墳」(前方後円墳、全長172メートル)の発掘調査現場を報道関係者に公開した。午後は考古・歴史学の学会代表らに公開する。同古墳の体が発掘調査されるのは初めて。 宮内庁は墳丘の整備工事を前に、古墳の裾部分を20カ所発掘。墳丘は農業用水に使われた堀の水の量を増やすために後世に削られており、築造時の全長は200メートル前後だったことが分かった。現在、前方部と後円部の間から突出する「造り出し」は南側だけに残っているが、当初は北側にもあったことも確認された。 南側の造り出しには墳丘表面を覆った「葺(ふ)き石」がよく残っており、古墳体との間から円筒形と朝顔形の埴輪(はにわ)が列になって出土。上面や周囲から家や盾、貴人にさしかける蓋

    宮内庁、大阪・岬の陵墓を公開 「淡輪ニサンザイ古墳」:朝日新聞デジタル
  • 奈良で出土の皿、ローマ帝国から? 化学組成ほぼ一致:朝日新聞デジタル

    奈良県橿原(かしはら)市の新沢千塚(にいざわせんづか)古墳群(国史跡)の126号墳(5世紀後半)で出土したガラス皿の化学組成が、ローマ帝国(前27~395年)領内で見つかったローマ・ガラスとほぼ一致した。東京理科大の阿部善也助教(分析化学)らの蛍光X線分析で分かった。国内の古墳出土品のガラス器がローマ伝来と科学的に裏付けられたのは初めて。 126号墳から皿とセットで出土した円形切子(きりこ)ガラス括碗(くびれわん=口径約8センチ、高さ約7センチ)の化学組成も、阿部さんらの分析でササン朝ペルシャ(226~651年)の首都、クテシフォンの王宮遺跡「ベー・アルダシール」で見つかったガラス片と同じと判明している。遠方の起源の異なるガラス器が5世紀の日に伝来したことを示すもので、幅広い東西交流の実例として注目されそうだ。 皿は口径14・1~14・5センチ。透明な濃紺色の高台のある平皿で、表面に鳥や

    奈良で出土の皿、ローマ帝国から? 化学組成ほぼ一致:朝日新聞デジタル