社会学 | 数年前のイギリス留学時代に書いたエッセイ(レポート)を日本語訳しながらこのブログで連載しています。最終学年の時はイギリス留学とは名ばかりで、実質自室にひきこもって「2ちゃんねる留学」状態で、ほとんど勉強しませんでした。しかし2年生の時は課題の提出期限の間際は徹夜で猛烈に勉強しました。今その当時のエッセイを読み返してみると、あ〜、自分にもセロトニンがほとばしる時期があったのかもなあ、と思います。気分は抑うつ状態だったけど、「ここぞ」という時には踏ん張る力があったような気がします。逆に最終学年の時は、「ここぞ」という時にぼ〜としてしまい、っていうか内心は「やらなきゃやらなきゃやらなきゃ!」と思いながら時間だけが経ってしまいました。。。学問の最前線を行くものでは決してありませんが、エンターテインメントとして楽しんで読んでいただけるとうれしいです。また、基本的に参考文献の情報も示してい
■[日記][雑記][写真][デモ]蟹光線 今日はデモ。 http://fnfukuoka.jugem.jp/?eid=185に書いてあるように、今泉→国体道路→中州→大博通り→呉服町→明治通り→天神西通り→大名紺屋町商店街(西通りと大名は行ったり来たりが数回)→警固公園という、かなり長いルート。2キロくらい?もっとあるのか。 今回は警察の許可を取ってのデモ。 19時に出発して、警固公園に戻ってきたのが21時半くらいか。 で、警固公園に戻ってきて、それぞれが何かしらの主張をやってたら(俺はそれを見てたら)、デモの人ともめる若いお兄さんが。 「お前ら迷惑なんだ。さっさと出て行け」とのこと。 「まあまあまあ」となだめて、「もう終わるからさ」と言っても、「今すぐ終われ」とのことで、かみ合わない。 で、もめごとが収まらないこともあり、デモ隊も主張を2人目くらい(もめ始めて)で終わらせて、撤収。それで
きのうの、大阪での「許すな! イスラエルのガザ侵攻 1・10緊急行動」は、約500名以上が参加をするという、予想よりも大きなデモになりました。 集会のお手伝いをしようと、一時過ぎに中之島の女神像前に到着すると「パレスチナの平和を考える会」のメンバーさんや、呼びかけ団体の方々がもう来られていて、横断幕やプラカード作りをされていました。プラカードはいろんなものが用意されていたのですが、わたしは、厚紙の表に「子供を殺すな!」「ボイコット!イスラエル!」などの抗議メッセージが書かれた用紙をはり、裏面にガザの虐殺で子供たちが負傷したり、怯えている様子や、瓦礫と化したガザの様子を、ネットなどからダウンロードをしてプリントアウトした画像を貼る、というプラカード作りのお手伝いをすることにしました。用意された画像に写っている、子供たちの痛ましい姿を見ながら、わたしは、このようなムゴたらしい現実が、今まさに
きのうは、「パレスチナ民衆虐殺に抗議する釜ヶ崎有志の会」による、アメリカ領事館前での怒りの抗議行動に参加をしてきました。 抗議行動の開始時刻は午後6時からでした。5時半に会社を終えて領事館前に駆けつけると、もう6時半前くらいになっていて、領事館前には、たくさんの人が集まって抗議行動を行っていました。前日、一緒に参加を決めていた同志が先に来ていて、参加者に混じって手作りのプラカードを抱えて立っていました。わたしも自分で作ったプラカードを手にその場に立ち、トラメガから聞こえてくる抗議メッセージを聞いていました。領事館前には、年末に参加をした抗議行動よりもたくさんの人が集まっていて、めいめいプラカードや、抗議の言葉を書いたパネルなどを手に、ガザ住民への虐殺に対する抗議の意思を示していました。空爆の開始から一週間以上も経ち、年を明けて、より一層残虐性を発揮していく、イスラエルによるガザの住民への
29日の、大阪のアメリカ領事館前での、ガザ虐殺に抗議する緊急行動には、関西各地から約35人が集まったそうでした。 集合時間の午後三時、アメリカ領事館前に到着すると、もう何人かの人々が来られていて、抗議活動の準備をされていました。わたしにメールをくださった、「パレスチナの平和のための関西連絡会」のKさんやYさんが、持って来られていたパレスチナの旗を、二本のポールにくくりつける作業などをされていました。わたしは、こんなに大きなパレスチナの旗を、いったいどこで手に入れられたのか、とてもビックリしたのですが、後から聞くと、Yさんたちによる手作りの旗なのだとかで、それを聞いたわたしは、もっとビックリしてしまったのでした。そういえば、在日韓人歴史資料館に行ったとき、解放直後、日の丸しか持っていなかった朝鮮人の人々が、自分たちで手作りしたという旗が展示されていたことを思い出しました。日の丸を作り変えた
研究先日の修論進捗発表会の後の打ち上げにて。あるM2学生がぽろっともらした「舞台裏の本音」に私は我が耳を疑った。その学生(以下、彼女)は、ある英語教育研究者の枠組み(仮に「鈴木(2000)」にしておこう)を利用して、修論のデータ分析を行っていたのだが、私には鈴木(2000)の枠組みを使う必然性がまったくわからなかった。でもまあ、この時期にそこを問うても遅すぎだし、指導教官がいいって言うんならそれで構わないんだろうし、そして結局は本人の問題なのだから、、、という2重3重の言い訳を理由に、その疑問点を飲み込んだのだった。しかしその後の打ち上げで、別の学生が彼女にその話題を振ったところ、思いがけない答えが返ってきたのだ!――どうして鈴木(2000)の枠組みを使ったの?どうして自分で作らなかったの?「え!?枠組みって、自分で作っても良かったんですか?」 * * * * * * ああ、この学生のなん
かつて「若者の理解者」と言われたこともある著者は、この頃、ふと気づくと「私は若者が嫌いだ」とつぶやいていることがあるという。著者が嫌いな若者はこんな若者だという。すぐ音を上げて逃げる若者居場所がない、とさまよいすぎる若者「キレた」「オチた」「真っ白になった」と言えば許されると思う若者...(中略)...巷では、「ネトウヨ」「シュガー社員」「うつ病セレブ」があふれ、「誰でもよかった」殺人も頻繁に世間を騒がす。若者はかつてより弱くなり、かつてより自分に甘くなったのか。もし、そうだとすれば、それは自己責任か? それとも社会の犠牲者なのか?本書は、そんな疑問を著者がじっくりと考えてみた思考の記録である。Amazon.co.jpの「出版社/著者からの内容紹介」より 私の感想「著者(ちょしゃ)」と「若者(わかもの)」はよく似ている。見間違えやすいんだなーということがわかりました。
思えば、だいぶ遠いところまで来てしまったものだなと、この記事(次は、トラメガを持って東工大に行きますーーポストモダニズムを体で感じて、人類に希望をもった話 - (元)登校拒否系)を読んで思った(記事の本論とはあまり関係ないが)最初、ここのブログ主が「女教師なにがし」ではなかったころ、このブログは主に英語教育や教育問題を扱うテキスト系左翼ブログだった。特に「日本の英語教育がここが変!」というのを伝えたいというのが根底にあった。といっても勘違いしてもらいたくないのだけれど、「10年やってもしゃべれないから英語教育は変!」とかそういう意味ではなくて、一般の人や英語教師や研究者が「英語教育」を語るときの立ち振る舞いとか、その背後の社会認識が、著しく変だなーとずっと思ってたってのがある。特に「小学校英語」はその傾向が顕著で、<まともな思考力をもったいい大人(e.g.大学教員)がどうしてこういう破綻
府教委宛の陳情・要望書には何か所定の様式はあるのか…、と探していたら、吹田市のホームページ(吹田市|学校教育部教育総務課 大阪府教育委員会に対して要望書を提出いたしました)にて、吹田市長から府知事宛に「平成20年度大阪府予算及び公の施設に係る見直しについて(要望)」が出されていたのを発見。大阪府立国際児童文学館に関する部分のみ引用します。 4 公の施設の見直し対象とされる本市所在の府立国際児童文学館については、児童文学に関する資料センター、情報センター、国際的研究機関として府民の誇るべき資産であるのみならず、子どもを対象とした数多くの催しの実施により、児童文学を通じて健やかな子どもを育む拠点的施設の機能を果たしている。本市では、子育て青少年の拠点施設の整備を近接する阪急山田駅前で進めているが、同施設内で整備する図書館も含め児童文学館との連携した事業展開が大きな意義を有する。同施設の見直しに
現在に至るまで、大阪府立国際児童文学館の廃館と府立中央図書館への統合という大阪府の方針自体は継続され、廃統合準備も着々と進められています。 これまでも、個人的に館の存続を求めるパブリックコメントを書いたり、ファックスやお手紙を送ったりもしていたのですが、事態もますます切迫しているため、改めて大阪府教育委員会宛に館の存続を求める要望書を送ろうと考えています。ただ、今までのように個人名で送るよりも、たとえば「大阪府立国際児童文学館の利用者有志の会」として、団体名義での要望書を送るほうが、若干なりとも説得力が増すのではないかと考えました。 というわけで、過去の[大阪国際児童文学館]関連記事の主旨をご理解いただけ、有志としてご協力いただける方を、この場で募らせていただきたいと思います。とはいえ、わたしはこういう活動の経験は皆無であり、現在の生活もいろいろと不如意のため、筋が悪いところや不手際も多々
Inspired by 10万はてなポイントを進呈します。東浩紀の歴史修正主義を基礎づける記述が<デリダの文献にある>ことを発見できたら - (元)登校拒否系 私(歴史修正主義云々で)ヒトラーの人間力が計り知れねえ!デリダ※彼の人間力は約270万です(1998ベネッセ調べ)私そんなに高かったのか。人間力ってどうやって計ればいいんですか?デリダなんというか、ある人を直視して、なんとなく頭に浮かんだ数字、それが人間力です。私 え、そんな大雑把だったんすか、がっかりだー!!デリダレス乙です。素敵です。他人のことよりも自分の幸せをまず何よりも考えて下さい。 人間力に関しては、複雑な計算式がないこともないのですが、場所が場所なのでコメントを控えました。空気を読む、というやつです。そんなエアリーダーな私の人間力は、いま、660万くらいです。私他人が幸せになれない世の中で生きてたって、幸せになれません。
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