今年1月で創設150年を迎えた警視庁。明治7年に発足したばかりの首都警察が初めて直面した「難題」には、西郷隆盛らの挙兵による西南戦争(10年)があった。明治維新を通じ、近代国家建設に向けて歩みだした日本で、首都警察は約1万人を動員して「警視隊」として組織し、政府軍の勝利に貢献した。隊には、かつて戊辰戦争で〝賊軍〟の汚名を着せられた旧会津藩士たちの姿もあった。 従軍手帳東京都千代田区の警視庁本部2階の参考室に、古ぼけた警察手帳と従軍手帳が展示されている。手帳の主は、西南戦争で殉職した篠沢虎之助・2等巡査。従軍手帳には銃弾が貫通した痕が残っており、戦いの壮絶さをうかがわせる。 篠沢は旧会津藩出身で、戊辰戦争の際には、武家の少年を集めた「白虎隊」の隊員として従軍した経験を持つ。維新後、明治7年に警視庁3等巡査を拝命。10年2月、西郷の挙兵に合わせて、警視隊の一員として大分県へ派遣された。 警視隊
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