「オマージュ」は、丁寧な画面つくりで、映画監督である中年女性の人生と暮らしを見つめた素敵な映画でした。 ヒット作のないまま3作目の映画を公開したものの、やはり客足が伸びず、新作を撮る目処が立たない映画監督のジワン。そんな彼女のもとにちょっと風変わりな依頼が舞い込んできます。60年代に活動した韓国初の女性監督ホン・ジェウォンの映画『女判事』を再公開することが決定したものの、何故か一部分音声がありません。そこで、欠落したシーンの音声を、声優を使って新たに吹き込むという仕事でした。映画を撮れないので、アルバイトとして引き受けたのですが、その途中で彼女はフィルムの一部が失われていることに気づきます。彼女はホン監督の遺族や、この映画を編集した女性のもとを訪ね、真相を探っていくというのが物語です。 映画は、ジワンがスイミングスクールで水泳をしているところから始まります。なかなか前に進めない彼女。スウォ
1958年東京生まれの坪内祐三は、優れた書評家であり、類い稀な感性と博覧強記の作家でした。1997年の処女作「ストリートワイズ」に驚き、今までにない視点で靖国神社を捉えた「靖国」に圧倒されて以来、新刊が出れば買っていました。が、2020年心不全で亡くなりました。享年61歳。 彼の死後、妻の佐久間文子が書いた「ツボちゃんの話」(新潮社/古書1000円)は、25年間の坪内祐三との暮らしを振り返ったものです。佐久間は1964年大阪生まれで、朝日新聞に入社し、文芸畑を歩いてきました。冷静な視点で、坪内と共に生きた作家と、その時代の断片を生き生きと描いています。 「広津和郎の、『みだりに悲観もせず、楽観もせず』という一節がツボちゃんは好きで、たまに口にすることがあった。『どんな事があってもめげずに、忍耐強く、執念深く、みだりに悲観もせず、楽観もせず、生き通して行く精神』を、広津は『散文精神』と名づけ
ノンフィクション作家の梯久美子の作品については、何度かブログで書いたことがあります。今回ご紹介するのは「この父ありて」(文藝春秋/新刊1980円)です。 登場するのは、茨木のり子、石牟礼道子、島尾ミホ、辺見じゅん、石垣りん、萩原葉子など9人の女性作家とその父親です。父娘の関係をセンセーショナルに陥ることなく、客観的な視線で見つめた傑作だと思いました。まぁ、いくら客観的に描こうとしても、萩原朔太郎と葉子の親子、あるいは島尾敏雄・ミホ夫婦の凄まじい関係は、よく知られていることであり、まるでドラマを見ているようではありますが。 最初に登場する二人は知りませんでした。のちに修道女になった渡辺和子と父、錠太郎。二人目は歌人の齊藤史と父、瀏です。二人の父親は軍人で「2.26事件」に関係しています。錠太郎は青年将校に射殺され、一方の瀏は、反乱軍幇助の罪で禁固刑を言い渡されます。当時の絶対的な家父長制の家
著者は京都府立大学文学部准教授。ドイツ文学の専門家です。彼がヨーロッパ、アジアを巡った時の印象を綴ったのが本書「イスタンブールで青に溺れる」(古書/1400円)なのですが、普通の旅とは違うのです。 「四十歳になった年、発達障害の診断を受けた。診断を受けなければ、人生の最後の瞬間まで『ああ横道誠さん?ちょっと変わった人でしたよね』というあたりで終わったかもしれないのに、診断を受けて障害の当事者だということがはっきりし、困惑がないと言えば嘘になる。」とあとがきに書いています。 ASD(自閉スペクトラム症)と ADHD(注意欠如・多動症)とを併発した文学研究者が、一人で世界を旅して、何を見て、何を考えたかを記録したものなのです。 「ウィーンで僕は、毎日のように屋台のシュニッツェルを食べた。」シュニッツェルは、牛カツ、豚カツ、鶏カツのことです。それを「すっかり飽きてしまうまで、毎日できるだけ同じも
「闇で味わう日本文学 失われた闇と月を求めて」(笠間書院/新刊1870円)の著者中野純のプロフィールには「体験作家、闇歩きガイド」とあります。ナイトハイクのインストラクターで、夫婦で少女漫画の専門図書館「少女まんが館」を運営しています。純然たる文学専門家ではないせいか、一見難しく見える古典文学がぐっと身近に感じることができる一冊になっています。 「源氏物語」「今昔物語」「竹取物語」「雪女」「舞姫」といった日本文学の古典の名著から、野口雨情「雨降りお月さん」や加藤まさお「月の砂漠」などの童謡まで幅広くチョイスして、日本の夜を包み込む柔らかい闇、柔らかい月の情景、または憧憬を探り出し、さらに物語の場所に出向き、優しい闇や恐ろしい闇を体験します。 闇と同時に、日本人ほど月を愛してきた人種はいないと著者は言います。現代は中秋の名月、つまり秋の澄んだ空に輝くまん丸い月を好む人が一番多いのですが、古典
大阪出身で京都大学卒業の作家、万城目学には関西を舞台にした小説が何点かあります。京都が舞台の「鴨川ホルモー」、奈良が舞台の「鹿男あおによし」、大阪が舞台の「プリンセス・トヨトミ」など奇想天外な物語ながら小説を読む醍醐味に溢れた作品が多く、私の好きな作家の一人です。 今年、十数年ぶりにエッセイ集「万感のおもい」(夏葉社/新刊1760円)が出ました。その中に「京都へのおもい」と題した章があります。2017年に京都新聞に掲載された三点を含めたものですが、京都の夏の大文字送り火について書いています。これが名文です。 「大学に通うべく京都で下宿していた五年間のうち、送り火を見たのは二度だったけれど、あの肌を不快に押し包む夜の湿気、大文字山の斜面におぼろに浮かぶ炎の等間隔、火が消えると同時に訪れる寂蓼の気配、さらに給水タンクにおそるおそる立つ感覚は、今もって忘れられない。」 ん?給水タンク?? 「そう
なんて素敵なタイトルなんでしょうか! 川内有緒が散骨をテーマにした「晴れたら空に骨をまいて」(ポプラ社/古書1050円)。皆さんはどうお考えでしょうか。死んだ後、お墓に入りたいですか?それとも一部だけでも好きだった場所に散骨して欲しいですか? 私は散骨派です。 本書には、親しい友人や家族を見送った五組の人々が登場します。この人たちの共通点は、世界のどこかに遺骨を撒いたという一点です。 著者の母親の友人の畠中さん。旅行好きで世界を飛び回っていた夫を亡くし、「土の中に入れてしまうのは可哀そうじゃない?あれだけ旅が好きな人だったんだもの。」と散骨を決意します。 「『自分らしく生きる』という言葉が叫ばれるようになって久しいが、その人生には必ず『死』という終わりがある。そこで彼女は、さらにその人らしく自由な形式で見送ってあげようと考えたのだ。そうすれば、戸籍上は終わってしまった人生でも、穏やかに故人
津野海太郎といえば、晶文社で編集者として雑誌「WonderLand」に携わり、植草甚一、リチャード・ブローディガンの本に関わった人としてご存知の方も多いでしょう。また、劇団「黒テント」の演出家として腕をふるっていたと思い起こされる方もおられると思います。そして、早くから電子書籍の啓蒙に関わり、「季刊・本とコンピュータ」誌編集長を務めていて、私も書店員時代に貪り読んでいました。 1938年生まれですから、今84歳、の新刊が出ました。タイトルは「かれが最後に書いた本」(新潮社/新刊2310円)です。 のっけに登場するのが女優の樹木希林について。2018年、津野が、ある雑誌に載っていた樹木希林の対談の中で、ポール・ニザンの小説「アデン・アラビア」の有名な冒頭文「ぼくは二十歳だった。それが人の一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい。」をさらりと暗唱するシーンを見つけます。1966年、樹
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある、人と栖と、またかくのごとし」 高校の古典の授業で習い、誰もが暗記した「方丈記」の出だしの文章です。作者は鴨長明、書かれたのは鎌倉時代で、「徒然草」「枕草子」と並んで日本三大随筆とされています。当時、都を襲った地震、火災、竜巻、飢饉、などの災害が書き込まれていて、災害文学の原点とも言われています。 関東大震災、太平洋戦争、そして東日本大震災の後など社会が大きな災害に遭遇して緊急事態になった時々に注目され、リバイバルされてきました。そしてコロナの大流行の中、また新しい「方丈記」が登場してきました。 一つは解説を養老孟司が担当した「漫画版方丈記」(文響社/古書600円)、帯には「不安な時代に共感度100%」とあります。そして、一人出版社としてユニークな本を出
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