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ブックマーク / masayukilab.hatenablog.jp (6)

  • VRゴーグルで首を痛めた結果、頚椎にネジ6本打ち込むことになった話(後編) - まさゆき研究所

    あらすじ(詳しくはリンクを) ・右肩〜腕の痛み/痺れを感じて通院 ・頚椎ヘルニアの悪化した「頚椎症性神経根症」と診断 ・2年かけて4人の医師の先生に診てもらった末、意外に大がかりな手術となる「頚椎前方除圧固定術」を受けることを決定 2024年4月 四谷先生の診察(手術の1ヶ月前) 手術する前提で病院を変わったので、四谷先生との打ち合わせの焦点は「手術する/しない」ではなく、現実的な手術の日程とリスクなどについてとなる。 病変部を除去しても神経損傷はすぐに回復しないため、長い期間で回復を見ていく必要があること。手術しても10人に1〜2人ぐらいは症状の改善が無いこと。その他、気道や脊髄へのダメージのリスク、など。 「人間が人間に対して行うことなので。100%はありません」 四谷先生がクールに手術のリスクを説明していくにつれて、僕は手術に対する恐れより、こんなリスクが存在する作業を日々の業務にさ

    VRゴーグルで首を痛めた結果、頚椎にネジ6本打ち込むことになった話(後編) - まさゆき研究所
    ishiduca
    ishiduca 2024/06/08
  • VRゴーグルで首を痛めた結果、頚椎にネジ6本打ち込むことになった話(前編) - まさゆき研究所

    概要 VRゴーグルとロードバイクが引き金となって「頚椎症性神経根症」を発症。 右肩から指先までの痺れや麻痺が続く。 4人の医師の先生に診てもらった末、発症から2年3ヶ月後に骨棘除去&人工骨埋設&頚椎プレート固定をする「頚椎前方除圧固定術」を施術されることになった。 その顛末の話。 2022年2月 発症(手術の2年3ヶ月前) 原因は二つある。 VRゴーグルのボクシングゲームに夢中になりすぎたこと、もう一つはロードバイクでの通勤にいそしんでいたことだ。 もちろんこの二つをやっていても発症しない人は無数にいるので、もっと大元をさかのぼれば「首の形の遺伝的要因」ということになるのだけど、それでもはっきりと違和感を感じた日のことは覚えているので記録しておこう。 その冬、僕はダイエットの一環としてVRゴーグルをレンタルで借り、ボクシングゲームに挑戦していた。 楽しくボクササイズする「FIT BOXIN

    VRゴーグルで首を痛めた結果、頚椎にネジ6本打ち込むことになった話(前編) - まさゆき研究所
    ishiduca
    ishiduca 2024/05/31
    はっきりとした治療成績を望むなら、ガッと首の全面を切り。気道をかき分けて頚椎に到達し、病変部を削ったあと人工骨を埋め、プレートとネジで首の骨を固定する必要がある
  • 山手線一周チャレンジ・完結編 - まさゆき研究所

    昨年、秋葉原→池袋→目黒で一時停止していた山手線一周チャレンジ。 のこり3分の1ぐらいを今後は逆向きに歩いて、完歩することにした。 秋葉原から線路沿いに神田川を渡る橋。子供の頃から歩き回っていた界隈だったけれどこんな橋があるのは知らなかった。 30神田 九段の育ちなのでだいたい隣町なのだが、全く乗り降りしたことの無い駅。 日橋川を渡る、ながめのいい橋「竜閑さくら橋」。 ここからはダイナミックに蛇行する首都高速の様子をこれでもかというほど堪能することができる。 幸先のいい光景。 触れることの全くなかった田端や日暮里に比べ、この地区についてはそれなりに土地勘があるが、さっそく見たことのない風景だらけで、いい方向に期待を裏切られる。楽しい。 29東京 意表をついてみました。 こんな私鉄各停駅みたいな出口もあるんですね。 28有楽町 有楽町付近のガード下は、ガード下界隈の中でもとびきりの一等地、

    山手線一周チャレンジ・完結編 - まさゆき研究所
    ishiduca
    ishiduca 2023/10/03
  • 2023上半期 寄席メモリーズ - まさゆき研究所

    育児のトンネルを抜け、昨年から始めた寄席通い活動。 昨年はまだコロナ2類指定だったのもあり、TXで定期的に浅草に通うだけで精一杯だったが、今年はもっと狙いを持って活動の幅を広げることにしてみた。 1月 正月初席@東洋館 浅草の3階、普段は漫才やってる会場で行われてた会。 喬太郎トリを初めて見る。 天どん師匠の、何をやらかすか分からない危うい雰囲気を初めて味わい、衝撃を受ける。最初は当に「すれすれの人が出てきたんじゃないか!?」と驚いた。 正月顔見世@浅草演芸ホール 落語協会の新年顔見せ。 「なるほど、こういうものなのか〜」と感心。 1月31日 喬太郎・三三 二人会@サンパール荒川 堀ノ内/三三  時そば/喬太郎  午後の保健室/喬太郎  転宅/三三 初めてのホール落語。 小春日和だったので、三ノ輪〜南千住の界隈を散歩。史跡「小塚原の刑場」など。 ホール落語は普段行かない駅に行くきっかけに

    2023上半期 寄席メモリーズ - まさゆき研究所
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    ishiduca 2023/08/16
  • あの頃の僕らが笑って軽蔑した神経痛 - まさゆき研究所

    僕の父親は晩年、中程度のアルコール依存に陥り、家族はそれに悩まされてきたのだが、そもそものかけ違いは「神経痛」だったように記憶している。 定年後はバス旅行や山歩きに行きたいな、などと話していた父だったのだが、定年早々どっちかの足の神経痛を患ってしまい、外出が億劫になってアルコール依存傾向を強めてしまったのである。 僕はまだ20代で神経痛などなったことも無く、全然共感できなかったので、「あんなにやりたいって言ってたのに酒ばかりになっちゃうわけ?」と失望の気持ちばかりを父親に持ったものだった。 さて僕のことであるが、2022年の後半は神経痛&関節痛との闘いであったと言っても過言ではない。 2月から痛みだしていたのだが、秋以降は頚椎ヘルニアで右腕が痺れ、テニス肘で右肘が痛み、右腕が完全に使い物にならなくなった。(コピー用紙の束も持てないレベル) しかも、どちらもサイクリング&ベンチプレスと、健康

    あの頃の僕らが笑って軽蔑した神経痛 - まさゆき研究所
    ishiduca
    ishiduca 2023/02/06
    "僕の父親は晩年、中程度のアルコール依存に陥り、家族はそれに悩まされてきたのだが、そもそものかけ違いは「神経痛」だったように記憶している"
  • 山田が死んで、もう4年になるのだな - まさゆき研究所

    この時期になると亡くなったあの人を思い出す、というのは誰しもあると思うが、僕にとって正月という季節は、4年前に亡くなった山田のことを思い出す季節だ。 山田祐資(やまだ・ゆうすけ)は大学の1つ下の後輩、2019年1月6日に難治性のがんが寛解せずに38歳でこの世を去った。常にシニカルでコミカルで酔狂を気取る彼は、彼らしいスタイルを保ったまま、自分の死生をしっかり見つめながらこの世を去っていった。 2017年4月18日 NHK EテレハートネットTV「がんと共に歩む力を」より その飄々とした姿は全くもって「山田らしく」、不自然なところは無いかのように僕の目に映っていたのだが、あれから4年経ち、一つの言葉をきっかけとして彼の胸中にまた思いを巡らせている。 『“がん”になったと言うと、哀れみの目で見られる』 これは、別のがん患者の方がこの記事で語っていた言葉だ。 がんになっても... | 生き方 |

    山田が死んで、もう4年になるのだな - まさゆき研究所
    ishiduca
    ishiduca 2023/01/03
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