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ブックマーク / sanadada.com (3)

  • 【教科書と城】小学校歴史教科書の「城」の扱いを探究する~3社の教科書の比較から~

    概要 2023年度(令和5年度)に小学校の歴史学習で使われる教科書は、教育出版『小学社会⑥』、東京書籍『新しい社会 6 歴史編』、日文教出版『小学社会6年』の3冊が発行されている。 小学校歴史教科書の概要については、学習内容や方法を定めている小学校学習指導及び教科書制度を踏まえて、すでに以下のウエブサイトで整理している。 ・【教科書と城】小学校歴史教科書に登場する「城」の紹介~学習指導要領と教科書制度を踏まえて~ 稿では、小学校歴史教科書に取り上げられている城の文やコラムでの記述内容、写真・イラスなどの扱いが、教科書によってどのように違うのかについて探究する。 3社の教科書すべてに登場する城 『教育出版』・『東京書籍』・『日文教出版』の教科書すべてに登場する城は、吉野ヶ里遺跡(弥生時代)、鎌倉武士の館及び元寇防塁(鎌倉時代)、安土城(安土桃山時代)、江戸城(江戸時代)の5城である。

    【教科書と城】小学校歴史教科書の「城」の扱いを探究する~3社の教科書の比較から~
  • 【徳川家康と城】徳川家康誕生の城「岡崎城」の魅力を探究する~文献史料・絵図・発掘調査成果をもとに~

    概要 岡崎城(愛知県岡崎市)は1542年(天文11年)12月に徳川家康(幼名・竹千代)が産まれた城として知られている。 徳川家康は1569年(永禄12年)に浜松城(静岡県浜松市)に移るまで、織田氏・今川氏の元で人質生活を送った13年間を除いて14年間、岡崎城を居城とした。 岡崎城は15世紀後半に西郷氏が築城してから、松平氏や徳川家康の居城となり、豊臣秀吉の家臣・田中吉政の時期に外郭(総構え)を有する 近世城郭へと変わっていった。 その後も17世紀半ばにかけて、多康紀や多忠利により整備・拡張が行われ、東海道の要所にふさわしい城郭となった。 岡崎城の整備・拡張の詳細については、以下を参照いただきたい。 ・【どうする家康】徳川家康が生まれた城「岡崎城」~その歴史と城郭の整備・拡張を探究する 稿では、岡崎城の特徴や魅力について、文献史料や絵図、そして発掘調査の成果をもとに探究する。 内郭の縄

    【徳川家康と城】徳川家康誕生の城「岡崎城」の魅力を探究する~文献史料・絵図・発掘調査成果をもとに~
  • 【どうする家康】徳川家康が生まれた城「岡崎城」~その歴史と城郭の整備・拡張を探究する

    概要 愛知県岡崎市に所在する岡崎城は、2023年(令和5年)のNHK大河ドラマ『どうする家康』の主人公である徳川家康(幼名・竹千代)が生まれた城である。 今も岡崎城内には、1542年(天文11年)12月、徳川家康が誕生したときに使われた「東照公産湯(とうしょうこううぶゆ)の井戸」が残る。 徳川家康は1542年(天文11年)から1569年(永禄12年)に浜松城(静岡県浜松市)に移るまで岡崎城に居住した。 ただし、1547年(天文16年)から2年間は織田氏の領国・尾張国熱田(愛知県名古屋市)で、その後、1560年(永禄3年)までは今川氏の駿河国駿府(静岡県静岡市)で人質生活を送った。 徳川家康が浜松城に移った後は嫡子・徳川信康(1559年―1579年)が、次いで徳川家とゆかりの深い大名が城主を務めている。 岡崎城への交通アクセスは、愛知環状鉄道「中岡崎駅」より徒歩約15分、または名鉄東岡崎駅・

    【どうする家康】徳川家康が生まれた城「岡崎城」~その歴史と城郭の整備・拡張を探究する
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