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ブックマーク / www.homes.co.jp (9)

  • 続々誕生する高架下保育園。高架下ならではのメリット、苦労を聞いた

    中央線では東京都による三鷹・立川間の連続立体交差事業が行われ、2010年11月に完成。全長9キロにも及ぶ、長大な高架下空間が生まれた。その後、2012年から高架下を活用、店舗や広場その他様々な用途の施設が作られて来たが、そのひとつに保育園がある。 JR東日は2011年から「HAPPY CHILD PROJECT」と名付けられた子育て支援を通じた沿線活性化事業に取り組んでおり、その中心となる取組みが子育て支援施設の開設。2017年4月には101ヶ所に及んでおり、吉祥寺駅以遠の中央線沿線にも10ヶ所の子育て支援施設が作られている。 うち高架下には3ヶ所あり、そのひとつ、武蔵境駅と東小金井駅間にある定員62人の認可保育所グローバルキッズ武蔵境園を設計した石嶋寿和氏によると、中央線、JR東日をはじめ、他沿線でも高架下利用の保育園は増加傾向にあるという。「私自身、中央線以外でも赤羽、西船橋、その

    続々誕生する高架下保育園。高架下ならではのメリット、苦労を聞いた
  • アスコット社がワールド・トラベル・アワード 2018「アジアのリーディング・サービスアパートメント・ブランド」を3年連続で受賞 | 住まいの「本当」と「今」を伝える情報サイト【LIFULL HO

    LIFULL HOME'S PRESSは、住宅の最新トレンドや専門家による正しい住宅情報を発信していきます【LIFULL HOME'S PRESS/ライフルホームズプレス】

    アスコット社がワールド・トラベル・アワード 2018「アジアのリーディング・サービスアパートメント・ブランド」を3年連続で受賞 | 住まいの「本当」と「今」を伝える情報サイト【LIFULL HO
  • 佐久島の20年以上続くアートプロジェクト!年間10万人の観光客が訪れるようになるまで

    愛知県西尾市一色漁港からフェリーで約20分。三河湾に浮かぶ佐久島に到着する。 佐久島は、南知多町の日間賀島、篠島とあわせ「愛知三島」と呼ばれる離島のひとつ。歴史をひもとけば、海を生活の場とした海部族の末裔たちによって、江戸時代は海運業で繁栄した島だ。 この島に今、年間10万人を超える観光客が押し寄せている。島のあちらこちらにアート作品が点在する"アートの島"として、SNSを中心に話題となっているのだ。 とはいえ、この島がアートの島として有名になったのはずいぶん前のこと。何を今さら、とお思いの方もいるだろうが佐久島へ渡るフェリーの利用者数推移を見てもらうと、ここ2、3年で観光客の数がぐんと増えていることがおわかりいただけるだろう。 アートの島としての取り組みは、「三河・佐久島アートプラン21」として2001年から行政と島民、アーティストらが協働でスタートした島おこしプロジェクトであり、前身と

    佐久島の20年以上続くアートプロジェクト!年間10万人の観光客が訪れるようになるまで
  • “渋ビル”ブーム到来!?『名古屋渋ビル研究会』、街に潜む味わい深いビルの魅力を発信

    2017年4月にJRゲートタワーがオープンし、秋にはささしま地区にグローバルゲートの商業施設が開業予定と、名古屋駅周辺の再開発事業により続々と高層ビルが誕生している名古屋市。市の中心エリアである栄地区でも御園座が2017年12月に竣工予定と、新しいビルの誕生に話題が集中するなか、あえて古いビル、名付けて”渋ビル”を愛する『名古屋渋ビル研究会』(以下、渋ビル研究会)が密かに注目を浴びている。 先日紹介した、名古屋エリアの魅力を再発掘する大ナゴヤツアーズのプログラムにおいても同研究会がガイドを務める「ぶらり渋ビルさんぽ」は、定員がすぐに埋まってしまうほどで、地元ローカル局の情報番組でも取り上げられ、じわじわと人気が高まっているのだ。 『渋ビル研究会』とはいったいどんな会なのか? 主宰する謡口志保さんと寺嶋梨里さんにお話を伺った。 まずは”渋ビル”の定義について、お二人に説明してもらった。 「1

    “渋ビル”ブーム到来!?『名古屋渋ビル研究会』、街に潜む味わい深いビルの魅力を発信
  • ささしまライブ24、2017年10月の「まちびらき」で新たな名古屋の顔が誕生する!

    今年4月17日に「JRゲートタワー」の商業施設がオープンし、「大名古屋ビルヂング」「JPタワー名古屋」など、高層ビルの開業ラッシュが続いた駅前の再開発が一段落した名古屋。3月29日には名古屋鉄道から名古屋駅再開発の計画が発表され、全長400mの横に長い高層ビルに注目が集まっているが、その完成はリニア中央新幹線が開業する2027年と、まだ遠い。 そんな名古屋で今、最も熱い視線が注がれているのが、名古屋駅の南に位置する「ささしまライブ24」地区の再開発である。 2005年、日国際博覧会「愛・地球博」のサテライト会場として注目を集めた同地区。名古屋駅の至近にある貴重な大規模空間を有効活用しようと、その後も「国際歓迎・交流の拠点」をコンセプトに新たなまちづくりが進められてきた。 「愛・地球博」の開催に合わせてオープンした商業施設「マーケットスクエアささしま」、ライブホール「Zepp Nagoya

    ささしまライブ24、2017年10月の「まちびらき」で新たな名古屋の顔が誕生する!
  • 岡崎の化け猫伝説が復活!? ハリウッドスタッフも参加する映画『猫になりたい』が進行中

    監督は愛知県田原市出身で「ぴあフィルムフェスティバル」で入賞歴のある尾崎香仁(よしひと)さん。主演は愛知学泉大学の現役大学生、横山一葉さん(写真右)、主人公の彼氏役には「名古屋おもてなし武将隊」の二代目秀吉を務めた岡崎市出身のタレント・菅沼翔也さん(写真右から2人目)、主人公の友人役は地元アイドルグループで活動していた齋藤ELIKAさん(写真中央)に決定 先回、岡崎市制100周年を市民参加で祝う「新世紀岡崎チャレンジ100」(以下チャレンジ100)について紹介した。“市民が自らのアイデアで地元の魅力を創出する”というテーマのもと、一年間にわたってさまざまなプロジェクトが開催された「チャレンジ100」は、一般の部のほかに学生の部と連携の部という枠が設けられた。今回は連携の部で採択された「岡崎プロモーションプロジェクト」について紹介したいと思う。 同プロジェクトは、“岡崎再発見”として岡崎映画

    岡崎の化け猫伝説が復活!? ハリウッドスタッフも参加する映画『猫になりたい』が進行中
  • 映画ロケ誘致、アニメ制作でまちはどう変わるのか―。岡崎市で「映画×まち」シンポジウム開催

    最近、映画でまちおこしという話をよく耳にする。フィルムコミッション(以下FC)を作り、ロケを積極的に誘致することでまちおこしをしている地域が増えてきているらしい。FCとは、映画やドラマなどのロケを誘致したり撮影協力、エキストラの手配など映像制作の支援を行う非営利団体組織のことだ。 全国各地のFCの活動を支援する特定非営利活動法人ジャパン・フィルムコミッションのホームページによると、2017年4月現在で同団体に加盟しているFCの数は116にのぼる。地方でのFCは、非加盟も含め増え続けているという。 また、2005年3月に公表された国土交通省、経済産業省、文化庁による「映像等コンテンツの制作・活用による地域振興のあり方に関する調査」(※)内では 「地域振興の観点からは、映画等のロケーションの誘致による直接的な経済効果だけでなく、映画漫画、アニメーションなどの舞台への観光客の誘致による経済効果

    映画ロケ誘致、アニメ制作でまちはどう変わるのか―。岡崎市で「映画×まち」シンポジウム開催
  • 解体か、再生か。著名な建築物の運命は? ~中銀カプセルタワービル(東京・銀座)~

    建築家の故黒川紀章氏の代表作のひとつとして知られる、東京・銀座の「中銀カプセルタワービル」。11階建てと13階建ての2棟で形成され、カプセルタワービルの文字通り140ものカプセルがボルトで固定された、かなり個性的なデザインの建物だ。カプセルは着脱可能で、メタボリズム(新陳代謝)という建築理念を象徴する、世界的にも高い評価を受けている建築物だ。 この中銀カプセルタワービル、老朽化による解体か、それとも保存・再生の道を辿るか、価値ある建築物ゆえにその狭間で揺れている。ビルは1972年に完成。建築後45年近く経ち、老朽化が進んでいることも事実だ。一方で、世界的にも評価が高いこのビルを保存・再生しようと考える有志も数多い。 「プロジェクトの発足は2014年11月です。保存派のオーナーや住人、外部の有志の方など30人ほどで活動を行っています」と語るのは、「中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト

    解体か、再生か。著名な建築物の運命は? ~中銀カプセルタワービル(東京・銀座)~
  • 博物館明治村に保存された建物から近代建築の歴史を追う

    「博物館明治村を歩く。明治~昭和初期の名建築に出合う!明治村の成り立ちと歴史」では、愛知県犬山市にある「博物館 明治村」の歴史や成り立ちについて紹介した。今回は、明治村に保存された貴重な建造物から見える、近代建築の歴史についてレポートしたい。 明治時代の幕開けで、日に欧米から文化がどっと流れ込んだ。洋装を取り入れ、洋べ、鉄道が走り、ガス灯で明るく照らされる。その影響は主に都市部が大きかったと思われるが、かなりのスピードで広まっていったことだろう。建築も然り。それまで培われてきた木造建築の技術の素晴らしさももちろんあるが、石造りやレンガ造りの洋風建築が見られるようになった。産業革命の進行と共に、鉄、セメント、ガラスを用いる近代建築の礎が築かれたといわれる。 政府がまず手掛けたのは、洋式工場の建設だったという。世界遺産となった富岡製糸場もそのひとつで、近代化を進めることで、輸出品だった

    博物館明治村に保存された建物から近代建築の歴史を追う
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