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  • 中西理事が語るJリーグの“懐事情”。世界とアジアの市場に宣戦布告!(並木裕太)

    Jリーグの記念すべき20年目のシーズンも、J1最終節を残すのみとなりました。スポーツをお金で読み解く連載の第2回は、ずばりJリーグの「懐」を探ってみたいと思います。 20年前、華々しくスタートしたJリーグは今、ビジネスという側面から見た時、どんなステージに立っているのでしょうか。果たしてその未来は明るいのか? Jリーグ理事で競技・事業統括部長を務める中西大介氏に話を聞きました。 Jリーグが誕生した頃より、今の方が大きい。 並木   中西さんとは、もう10年来のお付き合いになりますね。今日はよろしくお願いします。 中西   よろしくお願いします。お手柔らかに(笑)。 並木   今年は2ステージ制導入を巡って、いろいろと大変なお立場だったかと思います。その2ステージ制については後でお聞きするとして、まずはJリーグの財政規模、サイズ感について簡単に教えていただけますか? 中西   Jリーグが

    中西理事が語るJリーグの“懐事情”。世界とアジアの市場に宣戦布告!(並木裕太)
  • 元浦和コーチ・モラス雅輝の挑戦。アジア人初の名門アカデミー入学!(木崎伸也)

    フォルカー・フィンケ監督時代の浦和レッズでコーチ、通訳を務めたモラス雅輝。レッドブル・ザルツブルクのスタッフとして宮恒靖と三都主アレサンドロの通訳も務めた。 「オーストリア・ブンデスリーガでは、 選手を育てて売るビジネスモデルに重点を置くのは 不健全だと考えられています モラス雅輝(元浦和レッズ・コーチ) もしJリーグにもこんなアカデミーがあれば、経営危機に陥るクラブを減らせるかもしれない。 オーストリア・ブンデスリーガ(以下、ブンデスリーガと略す)は自国のサッカーレベルを底上げするために、1996年に『スポーツマネージメント・アカデミー』を設立した。クラブ経営、スタジアム経営、移籍ビジネス、危機管理、戦略設定、人材マネージメント、タイムマネージメント、ライセンス制度といった専門知識を、約1年半に渡って学ぶ“超実践講座”だ。 その講座の第9期(今年1月にスタート)に参加しているたった1人

    元浦和コーチ・モラス雅輝の挑戦。アジア人初の名門アカデミー入学!(木崎伸也)
  • <欧州蹴球紀行・赤い悪魔を訪ねて> ベルギー ~サッカーと僕たちの幸福な関係~ - 海外サッカー - Number Web - ナンバー

    ウェールズ戦終了後、金網越しに選手たちと盛り上がるサポーターたち。この幸福感! 12年ぶりのW杯出場、ずいぶんと待たされたが、待った甲斐があっただけの結果を、ベルギー代表はブラジルで残してくれるかもしれない。 「どうやら最近、ベルギー代表がかなり強いらしい」。 そんな噂が聞こえてくるものの、実態はよくわからないまま。 FIFAランク急浮上の理由を探しに訪れた地で見つけたのは、 サッカーをめぐって織りなされる、稀有でハッピーな光景だった。 「サッカーの記事を書き始めたのは1983年からです。その後約20年間、ベルギーにとってW杯に出場するのはごく当たり前のことでした。ところが2002年を境に、この国のサッカーは一気にダメになった。原因は世代交代の失敗、それに尽きると思います。この11年間、まあきつかったですよ。今日は何点取って勝つのだろう、ではなく、今日は何点取られて負けるのだろう、と考えな

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  • 上原浩治の“出来すぎた”1年間。38歳の男を支える、等身大の反骨心。(菊地慶剛)

    11月2日に行なわれた優勝パレードでファンの声援に応える上原浩治。今シーズンはSNSなどを通じて、ファンとの交流を図ってきた。 レッドソックスの上原浩治投手。 彼の今シーズンを振り返ると、人が表現しているように“出来過ぎ”という言葉が最も適しているのだろう。 地区優勝、地区シリーズ、リーグ優勝決定シリーズ、ワールドシリーズの常に大事な局面で登板し、試合を決める最後の打者を空振り三振で締めくくる。如何に有能な脚家でも書けないような、あまりに出来すぎたクローザー夢物語のシナリオを体現してしまったのだ。 すでに報道されているように、シーズン途中から4人目(正確には4人目で5番目)のクローザーに指名されて以降、圧倒的な投球とともに、日米で“時の人”となった。 ただ、上原のチームでの存在感はシーズン開幕当初から眩いばかりの光を放っていた。 「コウジがMVPを受賞しても驚かないだろう」 ポストシー

    上原浩治の“出来すぎた”1年間。38歳の男を支える、等身大の反骨心。(菊地慶剛)
  • 10年後にしか分からないことがある。'03年ドラフトの成否を、今振り返る。(小関順二)

    2003年のドラフトからちょうど10年がたち、当時の指名選手の「成功・不成功」がとりあえず明らかになった。以下、成功選手の顔ぶれを見ていこう。 [註]成功選手の目安は、打者は通算500安打、投手は通算50勝、300試合登板(1セーブは0.5勝) 2003年ドラフトの成功選手。 日ハム ……自由枠・糸井嘉男(投手→外野手・オリックス移籍)、 4巡・押健彦(投手・ヤクルト移籍) ヤクルト……4巡・青木宣親(外野手・ブルワーズ移籍) ロッテ………1巡・内竜也(投手)、6巡・成瀬善久(投手) 巨人…………自由枠・内海哲也(投手)、2巡・西村健太朗(投手) 近鉄…………自由枠・香月良太(投手・巨人移籍) 西武…………7巡・G.G.佐藤(捕手・ロッテ移籍) 阪神…………自由枠・鳥谷敬(内野手) ダイエー……自由枠・馬原孝浩(投手・オリックス移籍) 3年ぶりに抽選がない無風ドラフトになったのは、それ

    10年後にしか分からないことがある。'03年ドラフトの成否を、今振り返る。(小関順二)
  • 「あきらめない男」古木克明が、ついに辿りついた野球人生の境地。(村瀬秀信)

    JR阿佐ケ谷駅前でポーズをとる古木。1カ月以上もプレーしていないとは思えないほどの、黒く精悍な身体つきだ。 かつてのライバルが放った最後の打球がレフトスタンドに吸い込まれた瞬間、古木克明は自然と立ち上がり、ガッツポーズを作っていた。 10月8日、ベイスターズ拠地最終戦。現役生活最後の打席で小池正晃が見せたホームラン。その「最後の打席」を見届ける為だけに、訪れた約1年ぶりのスタジアム。 小池とは1998年ドラフト1位と6位。“松坂世代”の同期であり、ポジションを競いあったライバルだった。堅実な守備と小技が巧みな打撃等、古木にないものを兼ね備えたスタイルで'05年にレギュラーに定着し、その後も大きな壁となり続けた小池の力は、古木が最も知っていたと言っても過言ではない。 「自分の持ち味はバント」 と最後まで言い続け、チームの為に自らを犠牲にしてきた小池が、プロ野球選手として最後の場面になって初

    「あきらめない男」古木克明が、ついに辿りついた野球人生の境地。(村瀬秀信)
  • 1試合でMLB投手1年分の酷使度!米指標で見る、マー君160球の衝撃。(生島淳)

    一を決めた瞬間の田中。星野監督は試合後に「考えられないような継投なんだけれども、どうしたって田中が行くと言うのでね。最後はあいつ(田中)がふさわしいだろうと。彼に託した」とコメントした。 “日シリーズ第6戦、田中将大、160球を投げる” “翌日の第7戦、連投で15球を投げ、セーブをマークする” このニュースを聞いたメジャーリーグのスカウトで、「田中推し」の人たちは生きた心地がしなかったのではないか。 アメリカでは、あくまで肩は消耗品。完全に回復することはなく、消しゴムのように擦り減っていくと考えられている。 日のマスコミ報道では、肩の消耗は感覚的なものでしかないが、アメリカでは肩の消耗度を図る数式がある。 決して科学的なものではないのだが、投手の酷使という点での「指標」になっている。 「田中の160球」をこの数式に当てはめてみると、驚くべき数字が導き出された。 “Pitcher A

    1試合でMLB投手1年分の酷使度!米指標で見る、マー君160球の衝撃。(生島淳)
  • 球団買収は、いくらならお買い得?買い物上手はSB? 楽天? DeNA?(並木裕太)

    球団創設9年目にして、初めてリーグ優勝を果たし宙を舞う楽天・三木谷浩史オーナー。買い物上手は、空を飛ぶのも上手だった。 2004年オフにプロ野球界に新規参入した楽天イーグルスが、球団創設9年目にして初のリーグ優勝、そして日シリーズ進出を果たしました。ソフトバンクがホークスを買収したのも2004年オフの出来事です。さらに2011年には、DeNAがベイスターズを買収。この10年で、実に3つの企業が新たにプロ野球チームのオーナーになったことになります。今年9月にはロッテ身売りの憶測が(これまでもたびたびあったこととはいえ)一部週刊誌で報道されるなど、今後も「プロ野球チームの売買」に関する動向からは目が離せません。 果たして、楽天、ソフトバンク、DeNAの「買い物」はお買い得だったのでしょうか? スポーツをお金で読み解く新連載、その第1回のテーマとして、複数球団のコンサルティングに携わってきた立

    球団買収は、いくらならお買い得?買い物上手はSB? 楽天? DeNA?(並木裕太)
  • ブランコが見据える二冠王への道。 移籍で目覚めたチームバッティング。(田口元義)

    塁打は19差と届きそうにないが、バレンティンとの打率差はわずか.002。打点は6点差でリードし、2人で三冠を占めることは確実な状況。最後のつばぜり合いを制するのはどっちだ。 殺伐とした雰囲気はない。むしろ、互いに健闘を誓い合うような、そんなタイトル争い。 目下、打点王。打率も含め二冠王も射程圏内のDeNA・ブランコ(32)は、三冠王を目指すヤクルト・バレンティン(29)との関係性をこのように語る。 「自分がピッチャーであればライバル視するんだろうけど、お互いバッターだからね。そういう意識を持ったことはないよ。彼とはアミーゴ(友達)なんだ。お互いに『いい仕事をして、素晴らしい成績を残そう』と、いつもそんな話ばかりしているよ」 圧倒的なパフォーマンスで神宮球場を支配した9月30日のヤクルト戦。ふたりは、確かにエールの交換をしていた。 3回、バレンティンが自身の日記録を更新する59号をレフ

    ブランコが見据える二冠王への道。 移籍で目覚めたチームバッティング。(田口元義)
  • <わたしの愛する山遊び> 旅のルポライター・土井正和が愛する「温泉名山」 ~「登る」と「浸かる」は1セット~(小堀隆司)

    温泉を知り尽くした“登山好き”のルポライターが オススメする名湯&名山とは? 見逃せない情報がいっぱい! 好評発売中の雑誌Number Do「日百名山を再発見~あの山はもっと遊べる!~」では、山登りの楽しみ方を様々な角度から切り込んでいます。 今回は土井正和さんが語った「温泉名山」を全文公開します! 「山は趣味で、温泉仕事」 そう語る土井正和さんは、各地の温泉や観光地の魅力を伝える“旅のルポライター”だ。 山は趣味と言いながら、学生時代から南アルプスなどの山々に単独行を繰り返してきた格派。『温泉名山1日トレッキング』など、数多くのガイドを世に送り出してきた土井さんが掲げる、登って、浸かれる、極上山旅のプランとは――。 百名山の半分以上が温泉とセットにできるんです。 山歩きって、楽しいけどキツイ。汗だくになってそのまま帰るより、下山場所の近くに温泉があれば、それに浸かってから帰

    <わたしの愛する山遊び> 旅のルポライター・土井正和が愛する「温泉名山」 ~「登る」と「浸かる」は1セット~(小堀隆司)
  • かっこ悪くても、キヨシにいてほしい!CSを逃したDeNAの監督辞任騒動。(村瀬秀信)

    監督とはとかく批判されるもの。ファンから続投を望む声があがることはそう多くない。中畑監督はその声とどう向き合い、どんな結論を下すのだろう。 CSを逃せばこうなることは覚悟していた。 9月24日、阪神に6-1で敗れたベイスターズはクライマックスシリーズ進出の望みが絶たれ8年連続Bクラスが決定。3位どころか、気が付けば最下位も見える状態となった。 試合後の囲み取材でCS消滅を報道陣に問われた中畑監督は、「それに向けて頑張って来たけど、力及ばず。私を含めチーム全体の力が及ばなかった。私の中で決意を持って挑んだシーズン。やるべきことをやってきた。最後まで責任を全うしてその後は考えられない。来季のことは考えていない」と言い、来季続投の意思があるかを問われると、「まったくの逆。責任を取らなきゃいけないと考えている」と今季限りで辞任する考えがあることを示唆した。 昨年10月8日。横浜スタジアム最終戦。試

    かっこ悪くても、キヨシにいてほしい!CSを逃したDeNAの監督辞任騒動。(村瀬秀信)
  • <ロングインタビュー> ジョゼ・モウリーニョ 「私は以前よりも良い監督になった」(ロブ・ビーズリー)

    クラブの内外に“敵”を作り、レアル・マドリーを去った男は、 6年振りに“愛される場所”に帰還を果たした。スペインを去る決断、 プレミアに復帰した理由を、余すことなく赤裸々に語り尽くした。 ――今回のチェルシー復帰は、実に6年ぶりになる。まずは古巣に戻ることを選んだ理由から聞かせてもらえるだろうか? 「自分が戻るべき場所に戻ってきたんだ。私はサッカー界で最も重要な国々で仕事をしたいと思ってきた。だからこそイングランド、イタリア、さらにはスペインを渡り歩いたわけだが、この間も将来の身の振り方は、心の命ずるがままに決めたいと公言し続けてきた。それがイングランドに、そしてチェルシーに復帰するという選択だったんだよ」 ――とはいっても、かなり勇気の要る決断だったと思う。レアル・マドリーを率いるというのは、どんな監督にとってもキャリアの頂点となるはずだ。 「たしかにレアル時代も悪くはなかった。特に監督

    <ロングインタビュー> ジョゼ・モウリーニョ 「私は以前よりも良い監督になった」(ロブ・ビーズリー)
  • <Jリーガーも体感> “toto”が変える地域スポーツ(福田剛)

    今年、一般社団法人セレッソ大阪スポーツクラブは toto助成金を受けて、クラブハウスの新設や グラウンドの芝生化を行なった。地域住民も巻き込んだ 新たな総合型地域スポーツクラブの在り方を、紹介する。 第24節終了時点で勝点39の5位と優勝を狙える順位につけているセレッソ大阪。2012年は14位(勝点42)、2011年は12位(勝点43)と過去2年間の低迷時期を考えると、大躍進と言える。ボランチとしてチームを支える扇原貴宏は、好調の理由をこう語る。 「1つ上の学年に螢君(山口螢)、丸君(丸橋祐介)、その上には曜一朗君(柿谷曜一朗)とユース出身の近い世代がお互いに刺激し合いながらプレーできているのが、いい流れを生んでいると思います。環境面で言えば、新しいクラブハウスとグラウンドができたことも大きいですね。練習が終わるとすぐに水風呂に浸かってアイシングできたりと、設備が充実したおかげで、疲労が溜

    <Jリーガーも体感> “toto”が変える地域スポーツ(福田剛)
  • <FIFAマスターで学んだもの> 宮本恒靖 「僕が考える日本サッカーの未来図」(佐藤俊)

    FIFAマスターの学生としてこの1年、イングランドやイタリアで 多角的にサッカーについて学んできた宮恒靖。新たな視点を得た彼の目に コンフェデの結果や日サッカーの行く末はどう映っているのか――。 7月、FIFAマスターの卒業式の数日前。 スイス・ジュネーブから1時間半、ニューシャテル湖を望むニューシャテル大学の構内で宮恒靖を待っていた。 「久しぶりやねっ」 時間通り、笑顔で、黒のリュックを背負って現れた宮とは、昨年10月にイングランド・レスターで会って以来だった。あの頃はピカピカの新入生で学生生活にも授業にもまだ慣れておらず、表情にも余裕がないように見えた。だが今はすっかり落ち着き、元選手で現役の学生というより、まるで文化人のような雰囲気を漂わせていた。 「近くにチーズバーガーの美味しい店があるんで、そこ行きます?」 そう言うと、真夏の日差しが照りつける中、ゆっくりと歩き出した。

    <FIFAマスターで学んだもの> 宮本恒靖 「僕が考える日本サッカーの未来図」(佐藤俊)
  • <元主将の回想と提言> 宮本恒靖 「コンフェデからW杯へあと1年で何ができるか」(木崎伸也)

    W杯出場を決めた代表に残された時間は多くない。 コンフェデに挑むザックジャパンは、この舞台で何を得て、 来るべき番にどう繋げるべきなのか。ラスト1年のプロセスを もっとも良く知る男に、“コンフェデ活用術”を聞いた。 コンフェデで何を掴み、W杯にどうつなげるか――。決してレベルが高くないアジアにいる日本代表にとって、最も重要なテーマのひとつだ。 その“ラスト1年”のプロセスにおいて、元日本代表キャプテンの宮恒靖は、歓喜と悔しさの両方を味わって来た人物である。 現在、宮はFIFA大学院の授業のため、スイスに滞在している。首都ベルンの目抜き通りのカフェの席に着くと、選手時代と変わらぬ引き締まった表情でゆっくりと語り始めた。 「コンフェデは特殊な大会ですよね。タイトルがかかっているから真剣味はある。けれどW杯予選ほど『負けちゃいけない』というプレッシャーはない。だからレベルの高さを楽しみなが

    <元主将の回想と提言> 宮本恒靖 「コンフェデからW杯へあと1年で何ができるか」(木崎伸也)
  • メジャーで躍動する永遠の野球小僧。天衣無縫な川崎宗則、本当の価値。(菊地慶剛)

    5月26日のオリオールズ戦で逆転のヒットを放ち、ファンの声援に応える川崎宗則選手。ここまで(6月5日現在)の成績は打率.214と無安打が続き低迷している。正遊撃手のレイエス選手の復帰も迫り、正念場に立たされている。 「サンキュー ベリー マッチ。マイ ネーム イズ ムネノリ カワサキ。アイ アム フロム ジャパン。アイ アム ジャパニーーーーーズ!!!」 5月26日のオリオールズ戦。チームをサヨナラ勝ちに導く決勝2点ツーベースを放ち、ヒーローインタビューに登場したブルージェイズの川崎宗則選手が発したこのフレーズは、日はおろか全米中で話題となった。 ESPNなどのスポーツ番組で取り上げられる一方で、MLBの公式サイトでもビデオとしてアップロードされ、さらにYouTubeなどでも公開され、瞬く間に人々の心を掴んでいった。 これ以降、川崎の認知度は全国規模で急上昇し、今や遠征先でもファンから声

    メジャーで躍動する永遠の野球小僧。天衣無縫な川崎宗則、本当の価値。(菊地慶剛)
  • <韓国人Jリーガーの想い> 若き3人のコリアンはなぜ“イルボン”を選んだのか。~金民友、呉宰碩、チョ永哲~(慎武宏)

    政治歴史に領土問題。隣国ゆえの宿命か、ときに日韓はいがみ合う。 だがその窮屈さをものともせず、多くの韓国人フットボーラーは イルボン=日を新天地に選んできた。創立20周年を迎えたJリーグで、 先人たちが歩んだ道をなぞりつつ、新たな地平を切り開く 23歳の若者、三者三様の奮闘記。 忘れられない言葉がある。Jリーグ初の韓国人選手である盧廷潤(ノ・ジョンユン)の言葉だ。ジーコやリネカーなど大物外国人との対決を求めて、大学卒業後の1993年に来日した彼は言った。 「失敗したら二度と韓国には戻れない。そんな覚悟で日の土を踏んだ。何しろ韓国では裏切り者と罵られていたから」 当時は日韓関係が今よりも険悪で、韓国では“日サッカーは格下”と見なす時代だった。盧廷潤の年俸は大物外国人より格段に安く、新婚のと広島市内のスーパーのタイムセールに通って生活費を切り詰めながら年俸の多くを両親に仕送りしていた

    <韓国人Jリーガーの想い> 若き3人のコリアンはなぜ“イルボン”を選んだのか。~金民友、呉宰碩、チョ永哲~(慎武宏)
  • <CSKA監督&選手が語る本田圭佑> レオニード・スルツキ 「私はホンダに攻撃の自由を与えている」(木崎伸也)

    各国の代表が名を連ねるCL常連の強豪クラブにおいて、 田圭佑は、気が付けば“替えの利かない選手”になっていた。 モスクワの地で、国籍と言葉の壁を超えてリスペクトされる 男の素顔が指揮官とチームメイトの証言により、浮かび上がる。 来であれば、田圭佑はもっとロシア語を勉強すべきだったのかもしれない。 スルツキ監督は残念そうに言った。 「ホンダはロシア語を少し話せる。けれど、期待しているほどには良くならなかった」 CSKAの練習中、田は「ダーバイ!」(さあ行くぞ)といったロシア語をよく口にするし、約2年前、モスクワのカフェで取材したときには、ロシア語で淀みなくエスプレッソと水のセットを注文してくれた。一般的な日人に比べたら、かなり話せる方である。ただ監督からすると「まだまだ物足りない」ということなのだ。 ロシア代表MFのザゴエフも、監督と同じように感じていた。 「ホンダとは英語で話すん

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  • <HONDA Method> ソルティーロが本田圭佑を超える日 連載第4回 「異端から生まれる異端とは」(榎森亮太)

    この5月で1周年を迎えたソルティーロ。 田と過ごした3週間の合宿では、毎日のように議論を交わし、 新たなビジョンが拓けてきた。 日に帰国していた田圭佑と過ごした3週間で、僕は心身ともに鍛え上げられました。 田のリハビリ合宿は、吐き気を催すほどキツいメニューでした。 3月下旬から4月中旬にかけて、田は足首の治療とリハビリのため、国内で合宿を張りました。この間の僕の主な仕事は練習、洗濯、ミーティング。午前中は田のトレーニングをサポートしながら、自らもメニューをこなす。それは今思い出しても吐き気を催すほどきつい練習で、僕の心拍数は恐らく200をはるかに超えていたに違いありません(笑)。 合宿最終日に行なわれた練習試合では、右サイドバックとして30分だけ出場させてもらいました。ダニエウ・アウベスばりの攻撃的精神を発揮する僕のポジショニングに対して、田は「それ、おかしいやろ」と突っ込み

    <HONDA Method> ソルティーロが本田圭佑を超える日 連載第4回 「異端から生まれる異端とは」(榎森亮太)
  • 時機を逸したモウリーニョの進退決定。違約金と会長の地位を巡る暗闘とは?(横井伸幸)

    就任初年度に国王杯、2年目はリーガとタイトルを獲得しながら、今季は無冠に終わったモウリーニョ。新天地は古巣チェルシーが有力と言われているが……。 5月20日、マドリーのペレス会長がモウリーニョの解任を発表した。 「ようやく」という思いは一部のマドリーファンの間にもあったに違いない。 3年前の5月末、バルサの天下を一刻も早く終わらせたいペレスは、直ちに結果を出す手腕に期待し、大金を払ってモウリーニョをインテルから引き抜いた。新聞雑誌の写真やテレビの画面で映えるモウリーニョの容姿や、強いリーダーシップも自分が求める監督像にマッチしていた。 果たして1年目、モウリーニョは会長としてのペレスに唯一欠けていたタイトル“国王杯”を獲得した。 ペレスはモウリーニョの要望を聞き入れ、会長第一期からの盟友であるバルダーノをGM職から解き、監督にさらなる権限を与えた。 2年目、モウリーニョはバルサのリーガ4連

    時機を逸したモウリーニョの進退決定。違約金と会長の地位を巡る暗闘とは?(横井伸幸)