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ブックマーク / number.bunshun.jp (120)

  • 「近隣住民からのクレームで」完成したのにスケボーパークが一度も使えず…《日本ではスケボーをやる場所がない》問題(沼澤典史)

    「アマチュアの全国大会を開催できる格仕様だし、糀谷駅の改札から徒歩2分とアクセスも抜群。僕の店も、17年馴染んだ大森からウキウキしながら移転してきました。……ですが、近隣住民から苦情があって、パークは一度も利用されていません。これだけ五輪でスケートボードが話題になったいまもメドはたっておらず、まだまだ世間の目は厳しい。遮音パネルは首都高でも使われているものだし、建設前には地元説明会も京急電鉄が行なってくれているのですが」 高架下なのだからもともと騒音には慣れている地域のはずだが、新しいカルチャーへのアレルギーが先に立つのだろう。 「百歩譲って『音がうるさい』と言われるのはまだわかりますが、『見慣れない格好の人がうろうろしている』なんてクレームも来る。そんなこと言われたら哀しいでしょう。ただ、彼らの気持ちもわかります。スケートボードは、もう何十年も遊びとして認識されてきたわけで、スポーツと

    「近隣住民からのクレームで」完成したのにスケボーパークが一度も使えず…《日本ではスケボーをやる場所がない》問題(沼澤典史)
  • 「堀米雄斗効果でスケボー人口が急増している」ブームは本当か? スケボーパーク利用者は1.5倍、スクールの問い合わせは5倍も…(沼澤典史)

    先の東京五輪で正式種目となったスケートボードは、金メダル3、銀1、銅1を日にもたらし、全国を沸かせた。とりわけ、このメダル量産劇の先陣を切った堀米雄斗(22歳)は、圧巻の滑りに加えて、アメリカンドリームを実現したライフスタイルも世の大人たちの関心の的だ。 そんな彼の姿に触れたことで、スケートボード好きな子どもを抱える親たちの目の色が変わってきているという。スケートボードをはじめ、サーフィン、スノーボードなど、横乗り系商品を多く扱うムラサキスポーツのマーケティングマネージャー嶋田俊一郎氏に聞いた。 「日の多くの親御さんは子どもの遊びではなく、その人生の先を見据えた教育の一環という感じで、真剣に子どもにスケートボードをやらせています。五輪によってスケートボードがスポーツとして認識され、『我が子を未来の堀米雄斗に』とばかりに熱心にサポートする雰囲気が出てきました。今までは、みんな見よう見まね

    「堀米雄斗効果でスケボー人口が急増している」ブームは本当か? スケボーパーク利用者は1.5倍、スクールの問い合わせは5倍も…(沼澤典史)
  • 「律、お前は天才とちゃうで」「やることはガンバと全く一緒やねん」中学生の堂安や谷晃生、林大地を育てた名伯楽が語る秘話と今 (下薗昌記)

    しかし、空気を読むことは得意な少年が唯一苦手としていたのがPKのコースを読むことだった。 「大事な公式戦ではなかったけど、何回か晃生はPK戦で負けてたし、勝負弱いところもあってん。アイツのスケール感からしたら、ちょっとそこは気になるところやったね」(鴨川さん) ニュージーランド相手に、殊勲のPKストップを見せた谷のプレーを見た名伯楽は「あの当時から色々な経験を積んで来たし、もう当時とは違うんやね」と感慨深げに呟いた。 神戸でのスペイン戦、堂安の両親から受け取ったチケット 鴨川さんにとって、コロナ禍の中で行われている東京五輪は、指導者冥利に尽きる大会だ。 「ラッキーやったというか、こういう選手たちが若い時代に一緒に過ごせたのはなかなか凄いことやなって」 東京五輪の開幕を目前にした7月17日。ノエビアスタジアム神戸で行われたスペイン代表戦には、鴨川さんの姿があった。堂安の両親が用意したチケット

    「律、お前は天才とちゃうで」「やることはガンバと全く一緒やねん」中学生の堂安や谷晃生、林大地を育てた名伯楽が語る秘話と今 (下薗昌記)
    jose_1126
    jose_1126 2021/08/03
    ガンバ大阪アカデミー出身
  • 米国生まれの23歳・五十嵐カノアはなぜ日本国籍を選んだのか「日本在住の“おばあちゃん”の応援も…」《サーフィン銀メダル》(矢内由美子)

    カノアはハワイ語で「自由」 「海の中の神様へ『ありがとう』と言いました」 海からなかなか引き揚げられないほどの悔しさが胸の中で渦巻いた。金メダルだけを目指してきたからこその感情。しかし、とめどなく流れる涙の意味を聞かれた五十嵐は、徐々に感謝の気持ちが膨らんでいったことを明かし、「ありがとう」の言葉が出た。その姿は多くの日人に感動を与えた。 五十嵐は1997年10月1日、米国カリフォルニア州サンタモニカで生まれ、「SURF CITY」として知られる同州のハンティントンビーチで育った。両親はともにプロサーファー。3歳の時にハワイの海で初めてサーフボードに乗り、ジュニア時代から各大会で大活躍し、13歳でプロになった。 ハワイ語で「自由」を意味する「カノア」という名前が日で注目を浴びるようになったのは、2016年8月にサーフィンが東京五輪の新競技として採用されることが決まってからだ。 日と米

    米国生まれの23歳・五十嵐カノアはなぜ日本国籍を選んだのか「日本在住の“おばあちゃん”の応援も…」《サーフィン銀メダル》(矢内由美子)
  • 《スケートボード》「鬼速いっすね〜」「ハンパねぇ」…NHKの“フランクすぎる”解説者・瀬尻稜は前人未到の道を拓いたプロライダー(吉田佳央)

    スケートボードの放送で「鬼速いっすね〜」「ハンパねぇ」などの“フランクすぎる”解説がSNSなどで話題になっている瀬尻稜さん。実はプロライダーとして世界の舞台でいち早く活躍したレジェンド的存在です。そこでその人物像がよく分かるインタビュー記事を再公開します。(初公開:Number Web 2020年6月5日) 日人スケートボーダーが世界の舞台で活躍するようになって久しい。 2016年に「X Games」のオースティン大会で女子パークの中村貴咲が日人初となる優勝を飾ったことを皮切りに、翌年には堀米雄斗や西村碧莉といった選手が台頭しエースへと成長。さらに最近はそれに次ぐ世代も続々と頭角を現し、今や日アメリカ、ブラジルと並ぶ世界の3大列強と呼ばれるようになった。 この要因には様々な事柄があげられるが、その大きな理由のひとつはスケートボードのファミリースポーツ化だろう。 両親が子育ての一環と

    《スケートボード》「鬼速いっすね〜」「ハンパねぇ」…NHKの“フランクすぎる”解説者・瀬尻稜は前人未到の道を拓いたプロライダー(吉田佳央)
  • 【遠藤保仁ジュビロ移籍】「周りのことを気にしたってねぇ」記録以上に大きな人間性(熊谷未希(Number編集部))

    10月5日、遠藤保仁のガンバ大阪からジュビロ磐田への期限付き移籍が正式に発表された。燦然と輝く公式戦1000試合出場を打ち立てるなど、日サッカー史に残るコントロールタワーは、その技術とともにメンタルも特筆すべきものがある。2019年開幕前、インタビュー時に遠藤が見せた人間性について再公開する。(初公開:2019/02/03) 今季、プロ生活22年目を迎えた39歳のレジェンド、遠藤保仁。J1通算出場試合数は歴代2位の602試合。今季、楢崎正剛の631試合を上回る可能性があり、注目を集めている。 日本代表の中心選手としても活躍し、2002年11月の日本代表国際Aマッチデビュー以来、152試合に出場。歴代最多記録保持者である。 これだけでも偉大すぎる記録だが、昨季は開幕戦でゴールを決め、Jリーグ連続シーズン得点記録も歴代トップの21年に更新した。さらに言うと、通算PK31得点もJ1歴代最多記録

    【遠藤保仁ジュビロ移籍】「周りのことを気にしたってねぇ」記録以上に大きな人間性(熊谷未希(Number編集部))
    jose_1126
    jose_1126 2020/10/05
    2019年の時に公開された記事です
  • 久保建英がいることで視える世界。カズを見て校庭を走り回ったように。(中野遼太郎)

    視座、という言葉があります。 ビジネス関連の書籍で頻繁に見かけるような言葉を冒頭から使い始めた僕を見て「賢いフリをするな」という幼馴染みの顔が浮かびますが、少しだけお付き合いください。 辞書で『視座』という言葉を引くと「物事を見る姿勢や立場」と書かれています。これは『座』という漢字が示すように「世界をどの座標(高さ)から切り取るか」ということを指していると僕は捉えています。 ひと昔前までこの言葉は(特にサッカーの世界においては)「あいつは意識が高い、意識が低い」という、より大きく抽象的な表現に包括されていたと思いますが、そこから『視座』という言葉を抽出することによって、その言及対象は「行為」から、その「視(み)ている先」へとすることができます。 質的な差を生み出すのは、意識の高いアクション(習慣)そのものではなく、その行為をどこに辿り着くためにしているのか、という部分です。 「意識が高い

    久保建英がいることで視える世界。カズを見て校庭を走り回ったように。(中野遼太郎)
  • 自粛で練習が減ったら球速アップ?この夏、高校野球で起きている事。(氏原英明)

    近年の甲子園は、膨大な練習と膨大な事を吸収できた"ガタイ”がいい選手が多い。しかし、もっと無理なく成長することができるとしたら……。 新型コロナウイルスはなかなか収束を見せないが、スポーツ界は徐々に活動が再開され始めた。プロ野球・Jリーグの2大プロスポーツが先駆けとなり、アマチュアスポーツも少しずつ活気を取り戻しつつある。 野球界も「withコロナ」の生活様式を進めている。プロ野球の取材をしていても、変化を如実に感じる場面がある。 プロ野球のパ・リーグを2連覇している西武は、ホームでの同一カード6連戦の最後の日、試合前のシートノックを行わなかった。またパ・リーグの首位・楽天は、中軸を担う3選手、浅村栄斗、ブラッシュ、ロメロの負担を休養日やDH起用で軽減しながら、チームをうまく循環させている。 そして彼らは、試合でハイパフォーマンスを発揮している。チームが好調なのもうなずける。 この流れは

    自粛で練習が減ったら球速アップ?この夏、高校野球で起きている事。(氏原英明)
  • 若き才能が伸びる霜田メソッドとは。レノファ山口のキャンプ潜入・後編。(飯尾篤史)

    レノファ山口のタイキャンプ初日。3種類のビブスが振り分けられたあと、選手たちが手にとったのは、なんと3色のハチマキだった。 オレンジ、白、紫のビブスと、赤、水色、黄色のハチマキ――。 トレーニング内容はハーフコートを使ったボール回し、いわゆる“鳥かご”である。 「赤!」と呼ばれた選手たちが“鬼”になってボールを奪いにいく。ビブスの色を呼ばれるか、ハチマキの色を呼ばれるか、分からない。だから、自分が何色のビブスを着て、何色のハチマキを巻いているか覚えておかなければならないし、ボールを回す側も、すぐに誰が“鬼”なのか判断しなければならない。 イビチャ・オシム監督をはじめ、多彩なビブスを使い分けるトレーニングは見たことがあるが、選手がハチマキを巻くのを見るのは初めてだった。 判断力だけじゃなく顔を上げさせる。 これは、霜田監督オリジナルのトレーニングである。 「最初にやったのは、'06年にY.S

    若き才能が伸びる霜田メソッドとは。レノファ山口のキャンプ潜入・後編。(飯尾篤史)
  • Jクラブは開幕前、何を鍛えている?レノファ山口のキャンプ潜入・前編。(飯尾篤史)

    25人も入れば一杯になるミーティングルームのスクリーンに映し出されているのは、ヨーロッパの試合映像である。 だがそれは、チャンピオンズリーグの一戦でも、欧州1部リーグの試合でもない。 FAカップのアーセナル対リーズ――。 しかも、フォーカスされていたのはロンドンの名門クラブではなく、イングランド2部リーグに属する後者だった。 リーズの選手たちがものすごい迫力で相手選手に襲いかかり、容易にパスを繋がせない。苦しまぎれに蹴られたボールを回収し、瞬く間に相手ゴールへと押し寄せる。 相手のカウンターになりそうな場面でも5~6人が全速力で帰陣し、アーセナルの速攻を阻止してしまった。 薄暗い室内で、霜田正浩監督が選手たちに熱っぽく語りかける。 「リーズはイングランドの2部だ。代表選手はひとりもいない。特別な選手もいない。それでも魂のこもったサッカーでプレミアに上がろうとしている。この迫力、このインテン

    Jクラブは開幕前、何を鍛えている?レノファ山口のキャンプ潜入・前編。(飯尾篤史)
  • G大阪の秘密兵器は“FW”小野瀬康介。宇佐美貴史を超えるというリスペクト。(下薗昌記)

    2度にわたる沖縄キャンプを打ち上げたガンバ大阪が、開幕に向けて「秘密兵器」に磨きをかけている。 キャンプ最終日の2月1日、京都サンガと行った練習試合でガンバ大阪は6-1で圧勝した。抜群のキレを見せている宇佐美貴史は、4得点の大暴れに加えてポスト直撃弾も放つなど昨年終盤の好調さを維持。そんな和製エースと2トップを形成したのが過去1シーズン半、サイドを主戦場としてきた小野瀬康介だった。 昨年12月、小野瀬は迷いに迷っていた。攻撃サッカーでJリーグを席巻し、15年ぶりのリーグ王者に輝いた横浜F・マリノスからオファーを受けていたのだ。 待遇面もさることながら、小野瀬が魅力を感じたのは良質な攻撃サッカーを貫いてきたチャンピオンチームで、前線の駒として計算されていることだった。アンジェ・ポステコグルー監督が小野瀬の存在に目をつけていたという。 「待遇面もプロとして大事な条件。それもあるけど、点を取れる

    G大阪の秘密兵器は“FW”小野瀬康介。宇佐美貴史を超えるというリスペクト。(下薗昌記)
  • 実録・無法ウルトラスに潜入(5)“反社”の奥底にある文化と純粋さ。(弓削高志)

    2019年10月にNumberWebにて配信した『セリエA ダイレクト・レポート』の「脅迫、暴行、報復上等の半グレ集団。ウルトラスの実態を潜入記者が語る。」は、イタリアサッカーの暗部に迫る記事として、「もっと多くのエピソードを読みたい」など多くの反響を受けた。 そこで新春特別企画として、潜入取材した弓削高志さんが体験した生々しい実態を、全5回にわたってお送りする。最終回はクルバを率いるリーダーの言葉、そしてウルトラスという文化について――。 “ウルトラス”とは何者なのか。 場イタリアのグループの一員になった僕はある日、リーダーのカルミネに尋ねてみた。 「俺の前の仕事? 軽トラックの配送だよ。乳製品を工場から小売店に配達すんのさ。15年間毎日、毎日モッツァレッラ、モッツァレッラだぞ!?」 中肉中背。どこか左とん平を思わせるカルミネには愛嬌があって、彼はたいがいは人懐こい笑顔を浮かべている。

    実録・無法ウルトラスに潜入(5)“反社”の奥底にある文化と純粋さ。(弓削高志)
  • 実録・無法ウルトラスに潜入(4)「殺せ!」の怒号が響くダービー。(弓削高志)

    2019年10月にNumberWebにて配信した『セリエA ダイレクト・レポート』の「脅迫、暴行、報復上等の半グレ集団。ウルトラスの実態を潜入記者が語る。」は、イタリアサッカーの暗部に迫る記事として、「もっと多くのエピソードを読みたい」など多くの反響を受けた。 そこで新春特別企画として、潜入取材した弓削高志さんが体験した生々しい実態を、全5回にわたってお送りする。第4回はメッシーナとの「海峡ダービー」に臨んだ、レッジーナのゴール裏の壮絶な様子について――。 レッジョ・カラブリアという南イタリアの港町で、一人前の男として認めてもらいたいなら「ブッダーチ」という魚の名前を覚えることだ。 次に「Distruggiamo(ぶちのめそうぜ)」と付け加えれば満点だ。土地の人たちは拍手喝采してくれるだろう。 海峡で捕れる悪の雑魚「ブッダーチ」は、対岸の隣町メッシーナを揶揄する蔑称だ。メッシーナとの「海

    実録・無法ウルトラスに潜入(4)「殺せ!」の怒号が響くダービー。(弓削高志)
  • 実録・無法ウルトラスに潜入(3)ローマの街中で浴びた火炎瓶攻撃。(弓削高志)

    2019年10月にNumberWebにて配信した『セリエA ダイレクト・レポート』の「脅迫、暴行、報復上等の半グレ集団。ウルトラスの実態を潜入記者が語る。」は、イタリアサッカーの暗部に迫る記事として、「もっと多くのエピソードを読みたい」など多くの反響を受けた。 そこで新春特別企画として、潜入取材した弓削高志さんが体験した生々しい実態を、全5回にわたってお送りする。第3回はローマ遠征で受けた“洗礼”について――。 夜のレッジョ・カラブリア中央駅は、約1000人のウルトラスとそれを取り囲む警官隊でごった返していた。 2003年1月25日土曜日の時計の針は22時を回っている。もうすぐローマ行き夜行列車「インターシティ・ノッテ796号」の発車時刻だ。 「立ち止まるな! 早く乗れ!」 駅周辺とホームには気色ばった警官たちの怒号と彼らのけたたましい警笛が響いている。僕は、レッジーナのウルトラス約100

    実録・無法ウルトラスに潜入(3)ローマの街中で浴びた火炎瓶攻撃。(弓削高志)
  • 実録・無法ウルトラスに潜入(2)「オレたちのイ中間」と白い煙。(弓削高志)

    2019年10月にNumberWebにて配信した『セリエA ダイレクト・レポート』の「脅迫、暴行、報復上等の半グレ集団。ウルトラスの実態を潜入記者が語る。」は、イタリアサッカーの暗部に迫る記事として、「もっと多くのエピソードを読みたい」など多くの反響を受けた。 そこで新春特別企画として、潜入取材した弓削高志さんが体験した生々しい実態を、全5回にわたってお送りする。第2回はセリエA・レッジーナに所属した中村俊輔への愛情、そしてクルバの実態について――。 合言葉はなくても、見張りはいた。 ウルトラス「ボーイズ」の部は、シチリア島との連絡船が発着する港に近い広場から少し入った路地にあった。 指定された番地には半地下へ潜る階段があり、レッジーナのクラブカラー、深紅色に塗られた入り口の鉄格子が部外者の侵入を頑なに拒んでいる。窓の類は見当たらず、外から中の様子はまったく窺えない。 クルバ(ゴール裏)

    実録・無法ウルトラスに潜入(2)「オレたちのイ中間」と白い煙。(弓削高志)
  • 実録・無法ウルトラスに潜入(1)「火薬のデパート」と化すゴール裏。(弓削高志)

    2019年10月にNumberWebにて配信した『セリエA ダイレクト・レポート』の「脅迫、暴行、報復上等の半グレ集団。ウルトラスの実態を潜入記者が語る。」は、イタリアサッカーの暗部に迫る記事として、「もっと多くのエピソードを読みたい」など多くの反響を受けた。 そこで新春特別企画として、潜入取材した弓削高志さんが体験した生々しい実態を、全5回にわたってお送りする。第1回は中村俊輔が所属した南イタリア・レッジーナのゴール裏へ足を運んだ際の衝撃について――。 『ボルゲッティ』という珈琲リキュールを見るたびに、僕はスタジアムのゴール裏スタンドを思い出す。 「クルバ」と呼ばれるゴール裏へ行くときには、いつもアルコール25度のそれを2杯呷ってから行くことにしていた。 過激派サポーター「ウルトラス」の住み処に踏み入ろうとするなら、頭と体を“戦闘態勢”にしていく必要があった。とても素面ではやっていられな

    実録・無法ウルトラスに潜入(1)「火薬のデパート」と化すゴール裏。(弓削高志)
    jose_1126
    jose_1126 2020/01/06
    イタリア・レッジーナの事例
  • 引退・明神智和の魂は今もガンバに。遠藤保仁、山口智、藤春廣輝の秘話。(下薗昌記)

    長野パルセイロで過去3シーズン、J3のカテゴリーを戦ってきた明神智和が今季限りでの現役引退を発表した。その翌日となる12月3日、かつての僚友だった遠藤保仁に驚きは全くなかった。 「知っていましたよ」と話す遠藤にはこの秋、明神人からLINEを通じて「今年で辞めようと思っている」と連絡があったという。 ボランチというサッカー用語を生み出したブラジルは、このポジションをしばしば、こう表現する。 カレガドール・デ・ピアノ(ピアノの運び手)。 ピアニストとなる攻撃のタレントのために、重いピアノを運ぶ労働者、つまるところ黒子である。 明神がピアノを運び、遠藤が奏でる。 10年間所属したガンバ大阪で、ピアノを運び続けてきた明神だったが、そのピアノの鍵盤を叩き、攻撃サッカーという魅惑のメロディを奏でてきたのが遠藤だった。 チーム内での役割はまるで対照的だが遠藤は言う。 「中盤から前の選手を気持ち良くプレ

    引退・明神智和の魂は今もガンバに。遠藤保仁、山口智、藤春廣輝の秘話。(下薗昌記)
  • 堂安律&食野亮太郎をタフにしたG大阪U-23と、育成リーグへの懸念。(下薗昌記)

    G大阪U-23時代に間勲(左、当時栃木SC)とマッチアップした堂安律。公式戦出場機会を得ることで試合勘を磨いていった。 今年でJ3リーグに参入して4年目となるガンバ大阪U-23。このガンバ大阪の弟分はセレッソ大阪U-23やFC東京U-23と比べると、最もJ3リーグを戦う恩恵を受けたクラブだと言っても過言ではないだろう。 順位だけを見れば昨年の6位が最高成績だが、J3のカテゴリーを経験した若手から既に何人かが世界に羽ばたいている。 堂安律は2016年のルーキーイヤーこそトップチームに定着しきれなかったが、J3リーグで21試合10得点。別格の存在感を見せ、翌年には早くもオランダへと旅立った。 今年1月の始動段階ではJ3を主戦場とした野亮太郎もJ3リーグで8試合8得点。早々にガンバ大阪U-23を「卒業」する格好となり、トップチームで輝きを放ったかと思えば、8月にマンチェスター・シティに完全移

    堂安律&食野亮太郎をタフにしたG大阪U-23と、育成リーグへの懸念。(下薗昌記)
  • ガンバの有望株を日本語で励ます、アデミウソンは天才肌かつエエ奴。(下薗昌記)

    世代別ブラジル代表にも名を連ねたアデミウソン。宇佐美貴史らとの連係でガンバらしい攻撃力をもっと見せてほしい。 ガンバ大阪北海道コンサドーレ札幌を2-1で振り切ったルヴァンカップの準決勝第1戦は、良くも悪くもアデミウソンらしさが発揮された一戦だった。 5日前に行われたJリーグでも同じカードが実現したが、アデミウソンは1得点2アシストの大活躍。5-0という圧勝を牽引したプレーは、かつてU-21のブラジル代表で背番号10を担った男のそれだった。 しかし、気まぐれなブラジルの天気同様、アデミウソンの出来は読みづらいのも事実である。 ルヴァンカップの顔合わせでは開始早々の1分、倉田秋のパスに抜け出し、相手GK菅野孝憲の頭上を越すループシュート。しかしこの絶好の先制機で、シュートはゴールをとらえることはできなかった。 難しいゴールを決める一方で……。 ブラジル屈指の名門、サンパウロの下部組織で育った

    ガンバの有望株を日本語で励ます、アデミウソンは天才肌かつエエ奴。(下薗昌記)
  • 早川史哉、1302日ぶりのJリーグ。白血病から笑顔のカムバック。(安藤隆人)

    笑顔の復活だった。 早川史哉が1302日ぶりにJリーグのピッチに帰ってきた。 早川は筑波大学から2016年にアルビレックス新潟に加入。ルーキーイヤーからいきなり開幕スタメンを掴むなど、順風満帆なプロ生活をスタートさせた。しかし、白血病という恐ろしい病魔に襲われた。サッカー選手という、一度は叶えた目標を手放さなければならないところまで追い込まれた。それでも、彼は心折れることなく、情熱を消すことなく、想像を絶する過酷な治療とリハビリの日々を経て、復活の日を迎えた。 J2第35節のホーム・鹿児島ユナイテッドFC戦。リーグ戦は2016年3月12日の横浜F・マリノス戦以来の出場だった。カップ戦を含めると同年3月27日ルヴァンカップのサガン鳥栖戦以来、1287日ぶりの出場だった。 突然の白血病発表から約3年半。公式戦のピッチ上にいる背番号28に、新潟サポーターたちは誰よりも大きな声でコールし、チャント

    早川史哉、1302日ぶりのJリーグ。白血病から笑顔のカムバック。(安藤隆人)
    jose_1126
    jose_1126 2019/10/09
    フミヤの復活!