織田信長 ぼちぼち、元気にやっています。少し薬にも慣れた...んかなぁ。相変わらず食べられないけど。朝、指がこわばって文字なんて入力できなかったけど、それはほぼなくなった。関節もどこも痛くない。薬効いてきたんやろな。 で、ブログを書こうと言う気がまた起きてきた。 …
織田信長 ぼちぼち、元気にやっています。少し薬にも慣れた...んかなぁ。相変わらず食べられないけど。朝、指がこわばって文字なんて入力できなかったけど、それはほぼなくなった。関節もどこも痛くない。薬効いてきたんやろな。 で、ブログを書こうと言う気がまた起きてきた。 …
キーボードを、持ち歩く。 久しぶりに、スマホ用のキーボードを使ってブログを書いている。 いくつかキーが壊れてしまっているので買い替えないといけないのだが、壊れるくらいには使い込んでいたんだなと思った。 当時は、今のようにPCを普段から持ち歩くことが少なかったので、出先でもブログ…
祖母の白寿のお祝い 先日、満99歳(数えで100歳)になった祖母の白寿のお祝いをやった。 さすがに身体のあちこちに不具合が出てきており、そろそろ本格的に外出も難しくなってきたので祖母と一緒に家族で集まれるのはたぶんこれが最後だろう。 下は0歳から上は99歳までいるので、移動と諸々…
織田信長 ぼちぼち、元気にやっています。少し薬にも慣れた...んかなぁ。相変わらず食べられないけど。朝、指がこわばって文字なんて入力できなかったけど、それはほぼなくなった。関節もどこも痛くない。薬効いてきたんやろな。 で、ブログを書こうと言う気がまた起きてきた。 …
最近のインターネット-また君か。@d.hatena http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20090222#p2 最近ガード下とかで「〇〇参上」みたいなラクガキを見ないな。やっぱいまどきの若者的な自意識はへりくだった表現が NG になってるので(←だから自虐に耐えられない)、「参上」みたいな謙譲語は使わんということかな。となればいずれ「〇〇降臨」とか「〇〇巡幸」みたいな表現が出てくるのか。 マジレス魔界から来たマジレッサーデーモンたる俺なので無粋極まりないマジレスをしてしまうが、暴走族が書くところの参上は謙譲語ではないよね。ただ「来た」というだけの事実が書き残されるだけの価値を持ってしまう特別な存在、それが俺…という話であってさ。というのも、この参上という言葉、怪傑ズバットだったり忍者ハットリくんだったり超絶倫人ベラボーマンだったり銀河旋風ブライガーだったりとい
○月×日 今日から解体業のアルバイトをはじめる。 現場は郊外の山奥にある大きな一軒家で、ウワサでは幽霊が出るとか言われていたらしい。他の作業員はみな気味悪がっていたが、自分にはどうもピンとこない。 昼休みに弁当を食べたあと、用を足しに空き家の裏の茂みに入っていったら地面に四角い石柱のようなものが埋もれているのを見つけた。長靴で蹴って掘り起こし小便をかけて表面の泥を洗い流すと、名前と日付のようなものが彫られていた。どうも墓石のように見える。こんなところに転がしておくとは罰当たりな話だ。 ○月×日 ゆうべ変な夢を見た。 夜中にふと目をさますと枕元に女が座っている。ぼろぼろの白い着物を着て長い髪を垂らし、うつむきながらなにか小さな声でブツブツつぶやいている。なにやってるんだろうと思って観察していると、不意に自分の寝顔を覗き込むように顔を近づけてきた。髪の毛に隠れてよくわからなかったが、青白い顔に
織田信長 ぼちぼち、元気にやっています。少し薬にも慣れた...んかなぁ。相変わらず食べられないけど。朝、指がこわばって文字なんて入力できなかったけど、それはほぼなくなった。関節もどこも痛くない。薬効いてきたんやろな。 で、ブログを書こうと言う気がまた起きてきた。 …
私の名前は日興証子。 私の激動の半生と、これから迎える新しい運命について聞いてくださると聞き、恥ずかしながらやってまいりました。 まずは生い立ちから。 私は遠山の父の元に生まれました。昔から親戚の興銀おじさんにはかわいがってもらって・・その興銀おじさんの家から一文字もらって、うちの家は“日興”って改名したくらいです。 そのおじさんの家も今はもう別の名前に変わってしまってるんですけどね。 あの頃は楽しかったです。うちの家と、野村さんち、大和さんち、それに山一君のおうちは“四大証家”とも言われて、そりゃあ羽振りもよくて。 私もなんの苦労もなく育てられました。12月なんてほとんど毎日、銀座の高級店でご飯を食べてました。今から思うと信じられないかもしれませんが。 でも父が亡くなった頃からいろんなことが変わり始めて・・・そうそう、山一君ちが自己破産に追い込まれた時は本当びっくりしました。まさかそんな
上京してもう何年にもなる。東京では、ただの一匹も野良犬を見たことがない。おれはこのことをわりと重大に受け止めていて、さすがは大東京だ、犬畜生に生きる余地など残しはしないぜ、などと考えていたのだが、慎重に記憶を辿ってみれば、東京から遠く離れた故郷の村でさえも、ここ十年ほどは野良犬を全く見ていないのだ。 今からずっと前、おれがまだガキの時分には、村には沢山の野良犬がいた。おれの家の近所にも一匹の雌犬が暮らしていたのを覚えている。彼女はどちらかといえば醜かったが、とても大人しく、賢い犬だったので、近隣のガキどもにはわりと愛されていたように思う。 おれは彼女の足音を聴くのが好きだった。人間に比べればはるかに小さな彼女の足がアスファルトを叩き、とっとったっ、とリズミカルに音をたてるのを聴くと、何とも言えないような気分になったものだ。当時のおれは、どういうわけだか、足音をたてる動物は人間だけだと思い込
織田信長 ぼちぼち、元気にやっています。少し薬にも慣れた...んかなぁ。相変わらず食べられないけど。朝、指がこわばって文字なんて入力できなかったけど、それはほぼなくなった。関節もどこも痛くない。薬効いてきたんやろな。 で、ブログを書こうと言う気がまた起きてきた。 …
お久しぶりです。フミコ・新垣栗山ゆま蛯原クリステル璃子です。お正月休みに、お兄ちゃんの行く末を心配したお母さんが、お兄ちゃんにお見合いを薦めてきました。お相手は知り合いの娘さんです。24歳のOLさん。お相手の趣味がコスプレと聞いた途端にお兄ちゃん、「コスプレが趣味なんてブスに決まってる。埼玉県出身?あーもう全然話にならない!俺は自分を安売りしねーぞ」なんて根拠のない戯言を台所の蛇口に向かって大声で言ってました(趣味コスプレの人ごめんなさい!)。誰も聞いていないのに、お兄ちゃん、また重圧に負けちゃったみたいです。初対面の人と会うときはお酒の力を借りないと話をすることはおろか、目も合わせられない駄目なお兄ちゃん。そんなお兄ちゃんが素面で若い女の人と会うなんて無理なことはお母さんもよくわかっているはずなのですが…。 お兄ちゃん、本当はすごく興味があるくせに恐いから、面倒くさい、忙しい、それどころ
煙草を吸わなくなってからかなりの時間が経ったけれど、あのころ毎日のように吸っていたホープの苦い味を一生忘れることはないと僕は思う。 真夜中に携帯電話が鳴って、浅い眠りの淵にいた僕はくいっと頭のうしろを引っ張られるようにして目覚めた。授業中。落書きだらけのコクヨ学習机を枕に居眠りをして教師からワイシャツの後ろ襟を引っ張られたように「くいっ」と。傍らでは一昨日から一緒に暮らし始めた「ゆきえ」が大きなオッパイを抱え込むようにして寝息を立てている。僕はまだ部屋にゆきえがいることに慣れていない。すーすーというゆきえの身体が発する音の寂しさは、僕に別れのときが近づいていると感じさせた。 こんな時間に鳴る電話がいい内容を運んできたためしがない。バイクで四トン車の下に突っ込んだクラスメイトの青い顔がよぎる。深く息を吸い込み、左の手のひらで宙を握ったり放したりして寝惚けた心と身体を繋げてからドコモを開く。液
織田信長 ぼちぼち、元気にやっています。少し薬にも慣れた...んかなぁ。相変わらず食べられないけど。朝、指がこわばって文字なんて入力できなかったけど、それはほぼなくなった。関節もどこも痛くない。薬効いてきたんやろな。 で、ブログを書こうと言う気がまた起きてきた。 …
仕事納めの朝、総務のマヤちゃんが銀色の脚立を肩に担いで僕のところに現れた。目を合わせると顎で行く方向を示し、歩いていく。言葉もなしに。自尊心だけは人並み以上に高い僕は「Aカップ風情が、何を偉そうに」とデスクにあるローションティシューを一枚、乱暴に引き抜き、そのプルーンエキス配合の保湿成分に唾をペッと吐き棄てた。それからティシューを掃除のオバサンが嫌な思いをしないよう丁寧に丸いボール状にしてゴミ箱に捨て、子犬の愛らしい小走りでマヤちゃんを追った。 「今から神棚のお水、お酒、お札、縄を交換しようと思います」と脚立を担いだままマヤちゃんは言った。天井より少し低いところ、ミニバスケットのゴールくらいの高さの壁に神棚はあった。「しょうがないなあ」と言ってクールに肩車をしようとしゃがみこんだ僕をマヤちゃんは完全に無視して、脚立を乱暴にガチャンと置き脚を開いてセットすると、お酒を持って一段二段と登り、「
まだ私がなんとなくサンタさんの存在を信じてた頃、たぶん小学一年生のときだったと思うけれど、サンタさんからのプレゼントのコートに、手書きの手紙がついていたことがあった。 「サンタさんじゃよ。冬は寒いので外に行くときはこれを着なさい。お母さんのいうことをよく聞くんじゃぞ。サンタより」 手紙にはそんなことが書いてあった。右下にはコマのイラストが書いてあるおよそクリスマスらしくない和紙に書かれたサンタさんの字はガタガタで、たぶん手がかじかんでたんだな、ということに気づいたのは、それからずっと後、机の奥に入れていた紅茶の箱から、その手紙を改めて発見した時だった。 一年生になったのは、私に弟が生まれた年であり、私の一人っ子が終わった年でもある。 その年まで、クリスマスの夜は、ツリーのしたにサンタさんあての手紙とお菓子と、暖かい飲み物を用意しておくのが習慣で、プレゼントのリクエストはお母さんがサンタさん
織田信長 ぼちぼち、元気にやっています。少し薬にも慣れた...んかなぁ。相変わらず食べられないけど。朝、指がこわばって文字なんて入力できなかったけど、それはほぼなくなった。関節もどこも痛くない。薬効いてきたんやろな。 で、ブログを書こうと言う気がまた起きてきた。 …
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