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ルーズベルトがアメリカを救ったという神話は、歴史家や経済学者によってくつがえされようとしている。この問題について開かれた会議のもようをNYタイムズが報じている。 ルーズベルトが金融を緩和して銀行の連鎖倒産を止めたことは評価されているが、失業率はニューディールが始まってからも下がらなかった。ジャーナリストAmity Shlaesの『アメリカ大恐慌』は、その原因はルーズベルトが裁量的に市場に介入したからだと説明している。歴史家Richard Vedderも「ルーズベルトが実質賃金を高止まりさせたために労働市場の調整が阻害された」と論じた。 Anna SchwartzもRobert Lucasも、財政政策によって経済を刺激するというケインズの理論は、おとぎ話だと批判した。政府支出は民間需要をクラウドアウトするだけで、意味があるのは金融政策だけだ。 ニューディールを擁護する歴史家は、むしろル
献本に添付された編集者の手紙によると、著者(城繁幸氏)は当ブログの読者だそうだ。私も著者のブログをたまに読んでいるが、意見はほとんど同じだ。しかし大手メディアでわれわれのような意見を公言する人はなく、ウェブでも他には赤城智弘氏ぐらいだろう。 著者も書くように、橘木俊詔氏も樋口美雄氏も「非正規雇用の問題を解決するには年功賃金をやめる必要がある」という点では一致している。日本の解雇規制が強すぎることが非正規雇用の増加の原因になっているという事実は、政府機関であるOECDでさえ繰り返し指摘している。これは学問的には今さら論争するまでもない常識だが、労働経済学者はあまり発言しない。解雇規制を緩和しろというと「非人間的だ」とか「大企業の手先」などと罵倒されるから、もう懲りているのだ。 非正規労働の問題を雇用規制の強化によって解決しようとするパターナリズムが、与野党にも厚労省にも強い。彼らの発想は
民放連の広瀬道貞会長は、先週の定例会見で「260万世帯にデジタルテレビを支給せよ」という提案を発表した。テレビ1台10万円としても、総額2600億円という巨額の「景気対策」だ。ITproによれば、広瀬氏はこうのべたそうだ:政府の中で不況対策として地上放送のデジタル化問題を活用しようという声が徐々に出ている。我々も悪乗りするわけではないが,デジタル化問題が経済活性化に役立つならば,これを100%景気浮揚に活用すべき。かつて『補助金と政権党』という名著を書いた広瀬氏も気が引けているように、ドタバタでつくられる補正予算に悪乗りするのは、業界団体がバラマキ補助金を引き出すときの常套手段だ。このように露骨なロビー活動を繰り広げるテレビ朝日が、どの面下げて小沢一郎氏の政治献金を批判できるのか。 しかしすでに自民党と総務省の間で、追加補正に地デジ関連のバラマキを入れる方向で話が進んでいる。総額は1兆円
本書は、経済学でいえば『国富論』のような文化人類学の古典の新訳である。その最大の発見は、市場における交換より共同体の中の贈与のほうが人類史の大部分において普遍的だったということだ。中でも「ポトラッチ」と呼ばれる大規模な贈与は、儀式に招待した客に家に貯蔵した食物をすべてふるまったり、財産を村中に配ったりする。これは一方的な贈与だが、贈与されたほうは返す義務を負う。 この不合理なシステムをどう理解するかについては、いろいろな議論がある。モース自身は贈与をコミュニケーションの一種と考え、これがのちにレヴィ=ストロースが『親族の基本構造』で婚姻体系を女の交換として理論化するヒントになった。カール・ポラニーはこうした「象徴的交換」が市場の原型だと論じたが、これはブローデルも批判するように誤りである。市場は贈与と共存しており、一方が他方に転じたわけではない。 Carmichael-MacLeodは
Web2.0バブルが終わった。グーグルの大成功をみて多くの企業が参入したが、結局ものになったのはグーグルだけだった、とEconomist誌は総括している。それはビジネスとしては「2.0」なんかではなく、ドットコム・バブルと同じ広告モデルしかなかった。そして景気の影響をもっとも受けやすい広告ビジネスは金融危機で消滅し、また「核の冬」がやってきた。 資本主義の条件は持続的に利潤を生み出すことだが、その基盤となっている市場メカニズムは利潤を食いつぶす。マルクスもいったように、「商品経済は偉大なレヴェラー(水平主義者)」なのだ。利潤率は傾向的に低下し、国内で鞘が取り尽くされたあとは植民地から、そして植民地が独立するとグローバル資本主義による「経済植民地」から、それも限界が来ると金融資本主義によって・・・と絶えず新しい利鞘を追求する自転車操業が資本主義の宿命だ。 しかし利潤は市場や情報の不完全性
きのうの日経新聞の社説に、レセプトの電子化の話が出ていた。この話は昔、取材したことがあるが、いまだに電子請求の割合が「病院は57%だが診療所は4%にすぎない。歯科の請求にいたっては、いまだにすべて紙のレセプトに頼っている」という状況には驚いた。私の通っている歯医者さんの伝票はすべて電子化されているが、それを保険組合などに送るときは、全部わざわざ紙に打ち出しているわけだ。 おまけに政府の決めたレセプトの「完全電子化」を「原則電子化」に変え、3月中に閣議決定し直すよう求める声が自民党内に広がっているという。医師会などは「専用のコンピューターシステムを導入するための投資負担が重い」などという理由をあげているが、これは見えすいた嘘である。日経の社説も指摘するとおり、レセプトが電子化されると診療報酬の不正請求がチェックしやすくなるからだ。 レセプトのチェック体制は、信じられない前時代的なものだ。
経済学の「均衡」という概念はいい加減なもので、あす実現するか10年後に実現するかはわからない。特に経常収支は、どこの国でも不均衡が常態だ。日本の場合、貯蓄が投資を上回る部分を純輸出で埋めてきた。しかしこの状況も急速に変わっている。図のように日本の貿易収支は赤字になり、遠からず経常収支も赤字になろう。 何度も書いたように、日本経済の最大の懸案は、貯蓄が慢性的に投資を上回るISバランスの不均衡だ。これを解決する方法は、二つしかない。貯蓄に見合う水準まで投資を上げる拡大均衡か、投資に見合う水準まで貯蓄を下げる縮小均衡かである。しかし前者を実現する政策はとられず、公共投資や金融緩和でGDPギャップを埋める場当たり的な政策が続けられた。その不均衡がグローバル・インバランスの崩壊によって是正され、めでたく日本の宿題は解決するわけだ。 Economistも指摘するように、この傾向は一時的なものではな
本書のタイトルは「失われた10年」となっているが、戦後の日本経済を統計データでおさらいしたもので、90年代以降の話は後半だけだ。その失敗の理由を、著者は次の3つの要因に求める:不良債権によって金融システムが機能不全に陥った バブル期の過剰投資と過剰債務が、90年代の投資需要を抑制した TFP上昇率の低下によって潜在成長率が下がったこのうち彼が重視するのは1で、本書の大部分も金融システムの分析にあてられている。日本経済が高度成長期の「キャッチアップ型」から80年代以降の「グローバル型」への転換に失敗し、中枢機能が銀行と政府に集中した経済システムを残したままバブル崩壊に直面したため、金融システムが崩壊すると構造調整がまったくできなくなった。 しかし金融システムが機能しないと、なぜ実体経済に大きな影響が出るのだろうか。実は、この問題は理論的にははっきりしない。「貸し渋り」が起きていたとすれ
このごろ政府紙幣についての取材が、なぜか私のところに来るが、たぶん本職の金融経済学者は相手にしないからだろう(来週のSPA!にも出る)。私は「中間小説」も必要だと思っているので、ジャーナリストの素朴な疑問を大事にしたい。 彼らがよく質問するのは、「お札をどんどん刷れば、いずれはインフレが起こるのでは?」という話だ。これは素人だけの話ではなく、かつて「バーナンキ=野口の背理法」なるものをまじめに主張した自称エコノミストがいた。日銀が紙幣を無限に印刷すれば、いずれはインフレが起こるはずだ(そうでなければ通貨発行益で財政支出をすべてまかなえる)という話だが、これは通常のインフレとハイパーインフレの区別も知らない議論だ。 普通は、資金需要と通貨供給の一致するレベルで金利が決まると物価も決まる。今のように事実上ゼロ金利になったあとは、通貨を増発しても何も起こらないが、インフレ予想が変化する可能性
これまで日本の「失われた10年」は世界の笑い話だったが、最近は日本への「評価」が高まってきたようだ。Economistによれば、邦銀の不良資産はピーク時でGDPの35%だったが、米銀のそれはすでに40%を超えた。不動産バブルも、図のように日本のほうが軽かった。日銀の白川総裁の総括も興味深い:今回の世界的な金融危機の展開については、驚くほどの既視感に囚われます。日本の金融危機は比較的最近まで日本に固有の出来事として片付けられる傾向がありましたが、今回の苦い経験という対価を払いながら、大規模な信用バブルやその崩壊の意味について、認識が次第に深まってきているように思います。 会計、ディスクロージャーの面では、1990年代の日本に比べ、現在はその枠組みが格段に整備されていることは事実です。しかし、市場流動性が極端に細った複雑な金融商品の評価のあり方、オフバランス・ビークルの扱いなど、新たな課題が
一昨日の記事に安富歩氏から「スウェーデンモデルをどう見るか」というコメントをもらった。昨日ちょうど「北欧モデル」の話を、ある大学の研究所長としたところだった。北欧モデルの成功は「英米型の自由主義経済が効率的だ」という経済学者の多数意見に対する挑戦で、最近ではSachsとEasterlyが論争している。The Nordic states have also worked to keep social expenditures compatible with an open, competitive, market-based economic system. Tax rates on capital are relatively low. Labor market policies pay low-skilled and otherwise difficult-to-employ indiv
民主党が派遣労働の規制を強化する法案を、社民党などと共同提案するそうだ。菅直人代表代行は、きのうの記者会見で「これまで製造業への派遣禁止まで踏み込んでいなかったが踏み込む」とのべた。今の国会情勢ではただのスタンドプレーだが、政権を取って同じような法案を出したら通ってしまう。 46万人といわれる製造業の派遣労働を禁止したら、何が起こるだろうか。菅氏は派遣がすべて正社員として採用されると思っているのかもしれないが、企業の賃金原資は限られているので、そういうことは起こらない。ある企業に300人の労働者がいるとしよう。200人が正社員で100人が派遣、正社員の年収は400万円、派遣は200万円だとすると、賃金原資は 200人×400万円+100人×200万円=10億円 ここで派遣が禁止されて、正社員しか雇えなくなったら、何が起こるだろうか。賃金原資が変わらないとすると、雇用されるのは 10
最低賃金法の改正案が、国会で審議されている。労働組合などからは「これではワーキングプア対策にならない」「最賃を一律時給1000円に引き上げろ」などの要求が強い。しかし当ブログでこれまでにも説明したように、最賃規制は労働需要の不足をまねき、失業を増やすおそれが強い。 今回の改正のポイントは、生活保護との「整合性」だが、具体的な金額は規定されておらず、実効性は疑わしい。根本的な問題は、生活保護が働かないで貧しい人を対象にしており、働いても貧しい人を救済する制度がないことだ。働くより生活保護を受けたほうが高い所得を得られ、少しでも働くと生活保護の支給が打ち切られることが、労働のインセンティブをそいでいる。 この問題の解決策も、フリードマンが45年前に提案している。負の所得税である。これは課税最低所得以下の人に最低所得との差額の一定率を政府が支払うものだ。たとえば最低所得を300万円とし、ある
今年は、ケインズがあらためて注目された年だった。マルクスは完全に葬られたが、ケインズはまだ成仏していないようだ。今ごろ墓場からよみがえるのは彼も本意ではないと思うので、その意義と限界を簡単にまとめておこう(この記事は入門的ではない)。 『一般理論』は非常に難解な本である。脱線や重複が多く、前後で矛盾していて、統一的な理論モデルがどこにも書かれていない。これは「ケインズ・サークル」という研究会の記録をもとに書かれ、コアになったのはリチャード・カーンの乗数理論だったので、正確にはカーンとの共著だといわれる。この研究会のメンバーだったジョーン・ロビンソンも「ひどい本だ」と評した。特に岩波文庫の訳本は、絶対に読んではいけない。 乗数については、1933年にカレツキが(ポーランド語で)発表した理論のほうが数学的に明快だ。彼が依拠しているのは新古典派ではなくマルクスで、剰余価値率(マークアップ)が
今週のASCII.jpにも書いたが、朝日新聞が初の赤字に転落したのは、業界にはけっこう衝撃的なニュースだったようだ。これは欧米ではすでに起こっていることで、遅かれ早かれ避けられない。日本では再販制度で守られてきたぶん、独占利潤の崩壊が遅れただけだ。 では新聞サイトで購読料モデルが成り立つかというと、Economistのような高級紙(誌)かポルノサイト以外は無理だろう。広告モデルも、Facebookでさえ赤字だ。"Groundswell"にも書かれているように、Web2.0は既存企業を補完するビジネスで、それ自体で黒字になることはむずかしい。今どき『情報革命バブルの崩壊』とかいう恥ずかしいタイトルの本を出す評論家もいるが、そんなことはとっくにわかっている。問題は、そこから先の「情報が無料に近づいてゆくウェブで、ビジネスは成り立つのか」ということだ。 実は、これは資本主義はじまって以来の難
私は学生時代に、先生の下請けで『ケインズ全集』の下訳をやったことがある。第1次大戦後の賠償問題についての事務的な書簡で、訳していて疲れたが、彼の官僚としての優秀さを実感した(その先生が死去したため、訳本はいまだに出ていない)。よく知られているように、ケインズはヴェルサイユ条約でドイツに莫大な賠償を課すことに反対したが、結局フランスに押し切られた。このときケインズの案が通っていたら、第2次大戦は起こらなかっただろう。 本書を読むと、ケインズの本質は経済学者ではなく、官僚あるいは政治家だったことがわかる。政治というのは「総合芸術」であり、経済学はその一部にすぎない。ケインズも、経済学は「モラル・サイエンス」のテクニカルな手段だと考えていた。「わが孫たちの経済的可能性」というエッセイ(1930)には、次のような一節がある:I draw the conclusion that, assuming
世の中には、いかにも経済学用語っぽいbuzzwordを振り回して、一般人をたぶらかすニセ経済学者がけっこういる。彼らの話は、大学1年生の教科書にはない「中級」の言葉を使うのが特徴だ。それを一般サラリーマンが読むだけなら害はないが、官僚や経営者がそれを信じて誤った政策や経営方針を決めると、多くの人が迷惑する。そこで、不定期に「中級経済学事典」と銘打って、こうした間違いをただすことにした。 最近の経済危機にからんで、情報の非対称性という言葉がよく使われる。たとえば金子勝氏は、いろいろな著書で繰り返しこのように書く:市場には、プレーヤー同士がお互い情報を完全に知りえないという「情報の非対称」がつきまとっています。慶応大学では、こんな初歩的な間違いを講義で教えているのか。教師の品質管理は、どうなっているのだろうか。情報の非対称性(私的情報)とは「お互いが知らない」ことではなく、principal
古川享氏が怒りを爆発させた「お馬鹿なIME」問題は、Vistaで一段とひどくなった。特にいらつくのは、新たに発生するようになった不可逆誤変換だ。たとえば「ひずむ」という言葉を誤ってひずみとタイプして「歪み」と変換し、確定してから間違いに気づいてctrl+BSで復元すると、ゆがみとなってしまう。いくら変換キーを叩いても湯上、油上・・・などが出てくるばかりで、もとの入力「ひずみ」にたどりつけない。ところが「ゆがむ」と入力して「歪む」と変換して確定してからctrl+BSを押すと、今度は「ひずむ」に戻って「ゆがむ」は出てこない。 これはアルゴリズムが間違っている。本来は入力した文字列をメモリに残しておき、ctrl+BSを押したらそれを復元すればいいだけなのに、確定した漢字から辞書を検索して逆変換するから、こういうおかしなことになるのだ。しかも「ゆがみ⇔歪み」「ひずむ⇔歪む」という1対1の対応で学
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