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和歌に関するkurumi85のブックマーク (13)

  • 告白したらふられたので「その女の子のことを想って過去に作った短歌から選んだ158首」を紙に印刷して本人に渡したら1首ずつ感想をくれた話【前篇】 - 鯖寿司が食べたい

    になりました! 前置き 実は、ぼくは一昨年の年末から「西村取想」という名前で短歌を作り、毎日1首以上をTwitterに投稿しています。 twitter.com 今回はその短歌にまつわる話です。 1ヶ月前に1年半ほど片想いをしていた女の子に告白をしたらふられました。普通だったらそこでお互いに気まずくなって関係がギクシャクしてしまうのかもしれませんが、ぼくは諦めが悪いというか打たれ強いというかタチが悪いというかなんというかなので、後日その女の子に「その女の子のことを想って過去に作った短歌から選んだ158首」をA4用紙(9枚)に印刷して「ラブレターです」と言って渡しました。その女の子は優しいというかなんというかなので「ありがとう!読んだら感想言うね!」と言って受け取ってくれました。 そしてさらに後日、ふたりでスカイプ通話をしているときに「そういえば感想まだ言ってなかったね。今から言うね」と相手

    告白したらふられたので「その女の子のことを想って過去に作った短歌から選んだ158首」を紙に印刷して本人に渡したら1首ずつ感想をくれた話【前篇】 - 鯖寿司が食べたい
    kurumi85
    kurumi85 2019/01/31
    世界……ですかね
  • 短歌自動生成装置「犬猿」(星野しずる)

    ■短歌を自動で生成しています。をクリックするとtwitterに投稿できます。 ■発表する際は筆名を「星野しずる」と付記するルールを提案しております。ご協力を。

  • 「ながきよのとおのねぶりのみなめさめ なみのりふねのおとのよきかな」という回文の和歌は、誰が詠んだ歌... | レファレンス協同データベース

    江戸時代、よい初夢が見られるように、印刷した宝船の絵を買い求め枕の下に入れて眠る、という風習があり、その絵にこの「ながきよのとおのねぶりのみなめさめ なみのりふねのおとのよきかな」(「長き夜の十の眠りの皆目覚め 波乗り船の音の良きかな」)という回文の歌が書いてあったそうです。 『典拠検索新名歌辞典』(中村薫 明治書院 2007)のP430-431に当該歌が掲載されており、出典、引用資料が掲載されていた。 そのなかで所蔵がある『嬉遊笑覧 4』(喜多村筠庭 岩波書店 2005)を確認すると、巻之八(P26-27)にこの歌についての記述あり。 いつ頃の歌かは定かでないことや、中国明代万暦二十年に刊行された日研究書『日風土記 巻五』に「琴譜廻文詞」としてこの歌が載っていること等が書かれている。 また、回文歌ということで、回文の方からもアプローチ。 『日のことば遊び』(小林祥次郎 勉誠出版 2

    「ながきよのとおのねぶりのみなめさめ なみのりふねのおとのよきかな」という回文の和歌は、誰が詠んだ歌... | レファレンス協同データベース
  • 第79回 雪舟えま『たんぽるぽる』

    私が雪舟えまの名を初めて知ったのは、2000年(平成12年)という区切りのよい年に刊行された『短歌研究』誌の創刊800号記念臨時増刊号「うたう」だったと思う。今から11年前に発行されたこの号は、現代短歌を俯瞰するために参照することが不可欠な雑誌となった。加藤治郎がよく「うたう」以前と「うたう」以後という言い方をする所以である。穂村弘・加藤治郎・坂井修一が審査員となった「うたう作品賞」という企画が、それまで歌壇に縁のなかった短歌作者を掘り起こしたのだ。そこには電子メールというインターネット媒体を用いた作歌指導というこの企画の方針が関係している。受賞したのは盛田志保子「風の庭」だったが、入選作に雪舟えまや佐藤真由美が名を連ね、候補作には天道なお、秋月祐一、天野慶、石川美南、加藤千恵、赤舞(今橋愛)、柳澤美晴、玲はる名らが居並ぶ壮観である。 「うたう」は新しい短歌作者の輩出というだけに留まらず

    第79回 雪舟えま『たんぽるぽる』
  • 小倉百人一首

    ねこいりねこ : 思いつきインフォメーション 小倉百人一首 番号 歌 詠み人 属性 要約 1 秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ 天智天皇 男 しけた仮屋 2 春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香具山 持統天皇 女 洗濯日和だ 3 あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を 独りかも寝む 柿人丸 男 ながーい夜 4 田子の浦に うち出でて見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ 山部赤人 男 遥か銀世界 5 奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき 猿丸大夫 男 ああ秋だな 6 鵲の 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける 中納言家持 男 夜は寒いな 7 天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも 阿部仲麿 男 故郷の月だ 8 わが庵は 都の辰巳 しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり 喜撰法師

  • アイドル短歌まとめ 2 - 来世はペンギンになりたい

  • サービス終了のお知らせ

  • 【ジャニヲタ文芸部 第0回お題「担当」】 短歌連作「未来をまた描いてる」 - いつかまたね 交点の先で

    ichigonokimi.hatenablog.jp Twitterで素敵な企画を見つけた。実際に大学で文芸部に所属していた身であるわたしは当たり前のように惹かれた。ジャニヲタ文芸部(仮)。ああ、なんて素晴らしい響き。語尾に付いた控えめなカッコカリまで含めて愛しい。記念すべき第0回のお題は「担当」。四六時中自担のことばかり考えているわたしは参加を決意した。 はずだった。 気づけば作品募集締め切りの日であったハロウィンをとうに過ぎ、暦は11月。あれだけハロウィンムード一色だった街はすでに来月に控えるクリスマスを見据えて、きらきらとイルミネーションが眩しい季節……いや、まだ11月だってば。そんなわたしの突っ込みも待たず無慈悲に時間は流れる。何が言いたいかというと、締め切りに間に合いませんでした。完全なる遅刻です。当に申し訳ありませんでした。 締め切りに間に合わなかったので、正式な参加資格はあ

    【ジャニヲタ文芸部 第0回お題「担当」】 短歌連作「未来をまた描いてる」 - いつかまたね 交点の先で
  • 浄土宗神奈川教区青年会

  • 三十六歌仙 - Wikipedia

    成立の過程[編集] 『三十六人歌仙伝』、『袋草紙』、『後拾遺抄注』他、諸典籍からの研究による成立過程は、寛弘5年(1008年)、公任が前十五番歌合(十五人の左右組で合計三十人)を編んだ時に、貫之を一番左方、人麻呂を十五番の左方に配し、貫之を人麻呂の上においた。そのため人麻呂を評価する具平親王との優劣論争となり、それぞれが選んだ秀歌十首ずつを出しあい番えたところ、人麻呂の勝となった(十首歌合。散逸)。その結果を受け、公任は前十五番歌合を発展させて三十人撰を撰び(散逸)、具平親王はそれを改撰した(歌仙歌合)。翌年の具平親王の薨去からまもなくの時期に、公任は三十人撰を改訂し三十六人撰を完成させたと見られている。この時点で七人増えたものの、元の三十人から清原深養父が外されて三十六人となった。 三十六歌仙扁額[編集] 三重県伊賀市の敢國神社(伊賀国一宮)には三重県指定有形文化財とされる三十六歌仙扁額

    三十六歌仙 - Wikipedia
  • 全日本かるた協会

    現代語訳 みかの原を分けて湧き出て流れる泉川、ううむ、いつ見たといってあの人のことが恋しいのだろうか。

  • 三流歌人なぜ選ばれた 百人一首めぐる5つのナゾ - 日本経済新聞

    誰もが一度は遊んでいるであろう正月の定番「百人一首」。飛鳥時代末から鎌倉初期までの約600年間のうち、小野小町ら和歌の達人100人の歌を選んだベスト版だ。恋の歌が多いことでも有名で少女マンガのテーマにもなり、最近は若い世代のファンも増えてきた。第1首の天智天皇から始まり第100首の順徳院で終わるこのアンソロジーは鎌倉初期の大歌人・藤原定家(1162~1241)が優れた歌を選(よ)りすぐって作った

    三流歌人なぜ選ばれた 百人一首めぐる5つのナゾ - 日本経済新聞
  • やまとうた 和歌

    最 終 更 新 日 平 成 二 十 七 年 三 月 二 十 二 日 た ね と な る む か ひ し と に の お 心 よ の べ い や つ ま も と あ こ ら と ば の は 京 極 為 兼 ◆更新情報 ◆新設コーナー やまとうたeブックス 2015.2.6更新 『拾遺愚草』資料集 2015.3.22更新 ◆創作和歌のために 和歌入門|和歌のための文語文法|和歌日記(更新停止中) ◆古典和歌 千人万首 2015.1.10更新|資料編(和歌に影響を与えた漢詩文)|百人一首 訓読万葉集 2014.7.14更新|八代集秀歌選|十三代集秀歌選 歌合|歌学・歌論|古玉聚|和歌歳時記更新|歌枕一覧 和歌雑記(休止中)|和歌リンク集 ◆BBS・blog 掲示板過去ログ|雁の玉梓(やまとうたblog) ◆その他 ご挨拶|Q&A集|アンケート集計|参考文献 随時更新 最終更新日:2015.2.6

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