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2011東日本大震災に関するkurumi85のブックマーク (37)

  • <大川小訴訟>生存教諭の尋問せず | 河北新報オンラインニュース

    石巻市大川小の津波災害を巡る損害賠償請求訴訟の口頭弁論が21日、仙台地裁であり、高宮健二裁判長は東日大震災の発生当時、校内にいた教職員11人のうち唯一生き残った男性教務主任について、遺族側の証人尋問請求を却下した。心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断されたことなどを考慮したとみられる。訴訟は6月29日に結審する。  地裁は同日までに計5人の尋問を実施。当時の校長は震災時不在で、津波に対する震災前の認識を述べるにとどまった。訴訟は教職員が学校への津波の襲来を予見できたかどうかが最大の争点だが、地裁は教務主任を尋問しなくても立証が尽くされたと判断した。  訴えによると、教職員は震災発生後の約45分間、児童に校庭で待機するよう指示。その後、津波が押し寄せ、訴訟対象の23人を含む児童74人と教職員10人の計84人が死亡・行方不明になった。

    <大川小訴訟>生存教諭の尋問せず | 河北新報オンラインニュース
  • 東日本大震災、仮設住宅に移るまでに起きたこと/佐藤一男 - SYNODOS

    前回の投稿「東日大震災、体育館避難所で起きたこと」では、震災から4年以上が過ぎているにもかかわらず想像をはるかに超える反響をいただきました。 「自分も考えます」「家族と話してみます」というコメントが多く、防災や減災に取り組んでくれる人が多い、思ったほど風化していないと感じることができ嬉しく思っています。防災の基は家庭教育だと思っています。備える・身を守る・避難する・二次災害を防ぐ。これは、学校で短期間に学ぶよりも家庭で子どもや孫に繰り返し「刷り込む」ように教えることが効果的だと思います。 一言で「防災」といえども、災害の種類によっても対策が異なります。地震のように現在の科学では詳細な予測が不可能なものから、台風・豪雨・豪雪のようにある程度予想可能なもの。津波や噴火や豪雨など、逃げることが有効なもの。深夜の豪雨や豪雪のように逃げることに危険を伴うもの。すべての災害に有効な手段はないとも言

    東日本大震災、仮設住宅に移るまでに起きたこと/佐藤一男 - SYNODOS
  • 「3.11帰宅ログ」からわかったこと

    ちょうど一週間前の2016年3月11日は震災から5年目の日。奇しくもあの日と同じ同じ金曜日だった。 思い出すなあ、あの日のこと。 あの2週間後にぼくは「首都圏帰宅ログ」という記事を書いた。東京・首都圏のみなさんがあの夜どうやって家に帰ったかをきいてまとめたもの。いわゆる帰宅難民のレポートだ。 あらためてみなさんの「帰宅ログ」を見てみると色々興味深いことが分かったので、それについてお伝えしたい。

    「3.11帰宅ログ」からわかったこと
  • あの日、津波に流された1冊の本が5年ぶりに図書館へ"返却"されるまで

    東日大震災で甚大な被害を受けた岩手県陸前高田市立図書館。津波によって建物は全壊、職員7人全員が落命した。蔵書8万冊もすべて流出したが、支援の手が差し伸べられ、現在は仮設の建物で運営されている。この図書館へ、1冊のが5年ぶりに“返却”された。タイトルは「防災講座 津波の心得」。津波にさらわれ、ボロボロになったこのは、今までどこで、何をしていたのだろうか?

    あの日、津波に流された1冊の本が5年ぶりに図書館へ"返却"されるまで
  • 東日本大震災から4年。三陸地方に伝わる言葉「てんでんこ」が伝えること(季節・暮らしの話題 2015年03月10日) - tenki.jp

    2011年3月11日に発生した東日大震災をきっかけに災害への意識が高まり、多くの家庭で防災グッズが用意され、避難経路、いざという時の連絡方法を確認しあうムーブメントが起きています。 とはいえ、心のどこかで「私の住んでいる所は大丈夫」「自分には関係ない」という心持ちの人がいまだ多いのも事実……。 そこで、2つの実話から「津波てんでんこ」「命てんでんこ」がもたらした貴重な教訓をご紹介します。 実話━━━ 東日大震災発生直後、街に鳴り響いた津波襲来を知らせるサイレン。港に近い水産加工会社で作業をしていた社員は、強い余震が断続的に続く中、作業場から外に飛び出し、辺りの様子をうかがいます。時同じく、社長室から作業場に駆け込んできた社長は、「津波てんでんこ」「高いところへ逃げろ」「早く逃げろ」と大声で連呼し、従業員を裏山の高台に避難させます。結果、社長の的確な指示によって、全従業員が命を取り留めた

    東日本大震災から4年。三陸地方に伝わる言葉「てんでんこ」が伝えること(季節・暮らしの話題 2015年03月10日) - tenki.jp
  • 5年前のスーパーひたち、駅に止まったまま:朝日新聞デジタル

    福島県南相馬市のJR常磐線・原ノ町駅。5年前の3月11日、午後3時9分発の上野行き特急「スーパーひたち50号」が、今も止まっている。雨だれの跡や大きなさびで、4両編成の白い車体はくすんで見える。 取り残されたのは、常磐線の一部が、東日大震災による津波や原発事故で、再開できないためだ。原ノ町駅から南46キロの竜田駅までの一部は、帰還困難区域に指定され復旧が進まない。北側も、約20キロ先の相馬駅までは運転を再開したが、その先の一部が津波で不通になっている。 今月中旬から、JR東日はこの車両の撤去を始める。同社によると、同型車両の多くが運用を外れ、再び走るのは難しいという。(写真・文 林敏行)

    5年前のスーパーひたち、駅に止まったまま:朝日新聞デジタル
  • 「私も家族と一緒にいたい」原発事故で壊れた家族。ひとり暮らす父の思い

    「僕だってきついですよ。子供の成長を見ることができなかった。もう一度、一緒に暮らしたいですよ。でも、もうチャンスはないのかな…」 東京都内の居酒屋、40代の男性の口からこんな言葉が漏れた。震災から5年のこの冬、会社帰りの彼を事に誘い、焼酎を片手に近況を聞いていた。 匿名を条件に取材に応じてくれた彼の名を、Tさんとしておく。Tさんは2011年の原発事故を機に家族と離れて暮らしている。2011年夏、と子供は西日に引っ越した。原発事故による母子避難だ。 Tさんはいま、首都圏近郊のアパートに一人で暮らしている。朝は午前7時には家を出る。帰りは遅ければ午後10時過ぎ。事は近所のスーパーで買った惣菜や外で済ませる。一人暮らしにも慣れてきた、と思うが悔いは残る。 「会うたびに娘の体は大きくなって、言葉を覚える。その成長をそばで感じることができないですからね」 亀裂の原因になった「の好み」Tさ

    「私も家族と一緒にいたい」原発事故で壊れた家族。ひとり暮らす父の思い
  • 福島第一原発3号機は核爆発していたのか?――原発事故のデマや誤解を考える/菊池誠×小峰公子 - SYNODOS

    小峰 どうして菊池さんと(「いちから聞きたい放射線のほんとう」)を書くことになったの? ってよくきかれるんで最初にちょっとだけ紹介しましょう。 菊池 知りあったのは小峰さんのバンド、zabadakのコンサートを見に行ったのがきっかけでした。 小峰 ええ。打ち上げの席で、フィリップ・K・ディックの翻訳もやってる物理学者でテルミン奏者でもある、と紹介されて、面白そうなひとだな、と。ロン毛だし。 菊池 だいたい第一印象は「ロン毛のひと」なのよね。その後はよくTwitterでおバカな話をしてましたね。 小峰 ああ、平和な時代でしたね。そこに震災が起きて…… 菊池 いろんなことが変わってしまった。 小峰 私は福島県で生まれ育ち、郡山の実家は地震でぐちゃぐちゃになっちゃったし、放射線問題も切実でした。もとから原発問題には関心がありましたし、恐れていた事故が現実になり、あの頃の絶望……どうしていいかわ

    福島第一原発3号機は核爆発していたのか?――原発事故のデマや誤解を考える/菊池誠×小峰公子 - SYNODOS
  • 震災資料のアーカイブ作成へ 県立大・県立図書館

    県立大と県立図書館は25日、盛岡市盛岡駅西通1丁目の同図書館で、東日大震災関連資料のデジタルアーカイブ(保存記録)づくりのワークショップを開いた。図書館内の震災関連資料コーナーの利活用につなげる。 学生ら約10人が参加。同大と同図書館が協働で研究している試作システムを活用して図書館内の蔵書や資料を基にキーワードを出し合い、「子どもと交流」「ボランティア団体の支援」など震災に関わるテーマをそれぞれ決めて独自のアーカイブづくりに着手した。 被災地を取材して得た資料も加え、来年2月に成果を報告する。 同大ソフトウェア情報学部3年の学生(20)は「資料に触れて感じた問題点を後輩らに伝えたい」と意気込む。同学部の富沢浩樹講師(40)は「アーカイブづくりを通して情報が詰まった震災関連資料コーナーの活用を促し、被災地の今を知るきっかけにしてほしい」と期待していた。 【写真=デジタルアーカイブ作成に向け

    震災資料のアーカイブ作成へ 県立大・県立図書館
  • 被災地を搾取し被害を拡大してきた「フクシマ神話」――ニセ科学とデマの検証に向けて/林智裕 - SYNODOS

    はじめまして。福島県在住の林智裕と申します。 東日大震災および東京電力福島第一原子力発電所の事故から4年半以上の年月。当にさまざまなことがありました。これからそのことについて、特に今回は震災後に流れたデマがどのように現地を苦しめてきたのかを、少しお話をさせていただこうと思います。 ひとつ最初におことわりしなければなりません。 今回の内容に限らず私が震災について、福島について書く内容は確かに福島の声のひとつではあるものの、決してそれだけが福島を代表するものではないということです。敢えて断定での書き方が多くなりますが、これから書く内容は、福島の全てではありません。 それは発言に自信が無いからではありませんが、私よりも語るにより相応しい当事者がいるからか?と問われれば実は答えに困ります。 その理由として原発事故はその性質上極めて社会問題と深く関わり政治的な要素を含むために、通常の災害ではあま

    被災地を搾取し被害を拡大してきた「フクシマ神話」――ニセ科学とデマの検証に向けて/林智裕 - SYNODOS
  • 東日本大震災、体育館避難所で起きたこと/佐藤一男 - SYNODOS

    東日大震災。 東日全体で21000人もの人が命を失い、または行方不明となりました。私も被災し岩手県陸前高田市米崎小学校の体育館で二ヶ月間にわたり避難所生活をしながら避難所運営を経験しました。 多くの人に助けられ過ごした時間です。この場をお借りして、日中の人に御礼を述べさせていただきます。 来であれば、避難所運営の一例として記録と御礼だけに留めるべきことですが、次の万が一の時のために避難所運営の改善点とご支援をいただいた際に気になった点を記させていただきます。 両親とと一男二女の7人暮らしをしていました。両親とも同じ米崎町生まれで、昭和35年のチリ地震津波の被害も経験しています。は同じ岩手県内でも内陸の一関市生まれなので、結婚するまで津波に対する防災教育を受けずに育ちました。 震災時、子どもは小学校一年の長女と保育園年長組の次女は学校と保育園へ。1歳6ヶ月の長男は自宅でと一緒で

    東日本大震災、体育館避難所で起きたこと/佐藤一男 - SYNODOS
  • 「姉歯物件は大震災でビクともしていなかった」と長谷川豊が言ってんだけどさ - やまもといちろうBLOG(ブログ)

    明らかに長谷川豊は調べずに印象だけで書いていると思うんだよね。 あの姉歯物件は東日大震災でビクともしていなかった。「臭いものには目をつむる」マスコミに蔓延している体質 http://www.peeep.us/038d665c 確かにあの事件では姉歯設計がスケープゴートになり、横行していた強度計算の偽装が多数隠蔽されたのは大人の解決としてもちょっとなあと不動産投資をする側としては思うわけですよ。 でもそれはマスコミの「臭いものには目をつむる」話とはまったく無関係でね。 また、「東日大震災でビクともしていなかった」というけれども、いまでも競売案件では姉歯物件は事故物件として調査・告知義務があり、私の知るだけでも8棟の姉歯物件は非破壊検査からの補強工事を施している物件ばかりなので、当然のように現行法での強度基準をクリアしているわけですよ。 逆に、具体名を出すと拙いので伏せるけれども、補強工事

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  • ミラノ万博日本政府代表がブログで暴言 「復興は不要だと正論を言わない政治家は死ねばいいのに」

    経済産業省出身で、現在は日貿易振興機構(JETRO)で2015年にイタリア・ミラノで開かれる国際博覧会の日政府代表を務める男性が、東日大震災の被災者を中傷する書き込みをブログにしていたことが2013年9月26日わかった。 復興増税について、 「年金支給年齢をとっくに超えたじじぃとばばぁが、既得権益の漁業権をむさぼるため」 などと罵倒に近い内容をつづっている。 13年6月には、復興庁で被災者支援を担当していた元参事官=総務省官房付に異動=が、ツイッターに「左翼のクソども」などと市民団体を罵倒する書き込みをしていたことが問題化したばかり。すでに問題の書き込みは削除されているが、今回のケースは日を代表する立場の人物によるものだけに、さらに波紋が広がりそうだ。 復興増税は「じじぃとばばぁが、既得権益の漁業権をむさぼるため」 問題の発言は、震災発生から半年が経った11年9月25日に書き込まれ

    ミラノ万博日本政府代表がブログで暴言 「復興は不要だと正論を言わない政治家は死ねばいいのに」
  • 終らない震災〜被災地で露呈する人間のきたない本質を隠し、美談を振りまくメディアの罪

    元新聞記者という経験を活かし、社会の暗部に切り込んだ小説で話題を呼んでいる作家・相場英雄の最新作『共震』(小学館)。2011年3月11日(以下3.11)に起こった東日大震災の、今なお続く厳しい現状をテーマにしたミステリー小説を上梓した。 著者である相場氏への前回のインタビューでは、執筆に対する思いやそれまでも道のりを聞いたが、今回はさらに踏み込み、被災地取材中に現場で見た生々しい出来事を語ってもらった。 ●震災直後の被災地の実情 ぼくは、3.11の大震災の前から、何度も東北の街を訪ねていました。ほとんどは『みちのく麺い記者・宮沢賢一郎シリーズ』(小学館文庫/双葉文庫)の取材だったのですが、自腹旅行も多かったです。現地に友だちもたくさんできました。 そのシリーズの最新刊が出たのが、10年の10月で……大震災の約半年前。石巻編(『偽計-みちのく麺い記者・宮沢賢一郎』 <双葉文庫>)で終わ

    終らない震災〜被災地で露呈する人間のきたない本質を隠し、美談を振りまくメディアの罪
  • たえず泣き暮らしていたわけではない 候補たちは福島の2年半を見ているか (安積咲)<参院選・特別コラム>(gooニュース) - goo ニュース

    震災から2年半が経ち、被災地の話題も、被災地外ではすっかり少なくなったと聞いています。その度に「被災地を忘れないで」と声を涸らしている人の声をたびたび耳にします。まだまだ復興の遠い場所で、取り残されて行く不安感がどれだけのものか、被災地と呼べるほどの場所ではない郡山市に住む私には、到底分かるとは言えないのですが。(福島県郡山市在住・安積咲) けれどもある時期にのみ、思い出したように被災地の話が持ち出されます。それが選挙期間です。特にこの福島県については、被災復興よりも先に原発事故の話題が目立ちます。福島を語ることは原発事故を語ることである――という約束事が出来てしまっているかのようです。 あの震災の前まで、福島県といえば、日の都道府県の中でも格段に地味で、印象の薄い、東北の田舎でしかありませんでした。その位置もろくに知られず、外国人に至っては聞いた事もないという人の方が多かったでしょう。

    たえず泣き暮らしていたわけではない 候補たちは福島の2年半を見ているか (安積咲)<参院選・特別コラム>(gooニュース) - goo ニュース
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    kurumi85
    kurumi85 2013/06/19
    なんていうか本当につらい
  • 「福島の子供たちに内部被ばくゼロ」の WBCの測定下限は 300ベクレル/Kg。 作為を見抜け! - 木下黄太のブログ  「福島第一原発を考えます」

    Unknown (EFASW) 2013-04-12 03:00:30 染色体検査、心電図検査、血液検査(ゲルマ機での測定含む)を行った上で、被曝専門医の診察を受ければ良いのですが、日の現行の医療システムでそれが確立されている例を見たことはないですね。 政権が変わっても背景にいる勢力が変わる訳ではないので、政府も目先の関東経済圏維持に固執しているのがよくわかります。 個々での自己防衛としては、木下氏が提示している検査項目の追尾が正しいといえます。 他、排出の努力を併用しながら、となるでしょう。 退避が一番なんですが… 放射性物質の体内蓄積は男性の方が上なんで、女性の認識が遅いのが問題です。 男性が倒れても過労扱いですから(倒れた職員、血液検査してませんし)。 検査は、必要です。 飯舘村で原発爆発事故当日外で遊んでいた1歳時がWBCで内部被曝ゼロだったのをTVで放送していた (大阪市民)

    「福島の子供たちに内部被ばくゼロ」の WBCの測定下限は 300ベクレル/Kg。 作為を見抜け! - 木下黄太のブログ  「福島第一原発を考えます」
  • Google Japan Blog: 福島県浪江町 町長 ストリートビューの公開によせて

    メディア関係者向けお問い合わせ先 メールでのお問い合わせ: pr-jp@google.com メディア関係者以外からのお問い合わせにはお答えいたしかねます。 その他すべてのお問い合わせにつきましては、ヘルプセンターをご覧ください。

    Google Japan Blog: 福島県浪江町 町長 ストリートビューの公開によせて
  • 東日本大震災から2年に寄せて(再稿) - やまもといちろうBLOG(ブログ)

    結構頑張ってエントリー書いて、パブリッシュしたはずが消えてしまった…。 諦めず、気負わず、忘れない、というエントリーを大震災に寄せて書きましたが、回線不良で消えました。願わくは、皆様の心の中で読み上げていただけますれば、これに勝る幸甚はございません。 — やまもといちろうさん (@kirik) 2013年3月11日 めげずに言いたかったことだけ書く。 ■忘れないようにしたい あの時、いろんな人がいろんな場所で災害を経験した、そのことを忘れないようにしたいです。 当たり前のことなんだけどさ。 ■気負わないようにしたい 二年経っても傷跡は癒えない、というのは簡単です。 でも過ぎてしまったことを考えすぎてもしょうがないじゃないですか。 できることをやろうという気持ちでいいと思います。 失ったものを取り返すという気持ちだけでなく、より新しいものを生み、育む気持ちで。 ■諦めないようにしたい 実を結

    東日本大震災から2年に寄せて(再稿) - やまもといちろうBLOG(ブログ)
  • 震災・津波 流された人が笑顔で手を振っていた「ニコーっと笑って、お前もか、って」 | 大槌みらい新聞

    流された人が笑顔で手を振っていた「ニコーっと笑って、お前もか、って」 配信=2013/02/07 記事=耳塚 佳代 Tweet 大槌町町 臼澤良一 64歳 当日は自宅にいたんですよ。事業の報告書を書いていたんです。あとはファイルに綴じるだけだったので、るんるん気分でインデックスを付けていた。そうしたら、とんでもない大きな揺れ。一度も経験したことがない、当に恐ろしい揺れ。うちが潰されるんじゃないか、死んでしまうんじゃないかという。プリンタやパソコン、棚とかレコードとか、ぜーんぶ(崩れてきた)。前にも進めない。早く止まってくれないかと思っていたが、当に長いんですね。 やっと揺れが終わって、そしたらうちのが「お父さん津波だから逃げよう」って、1階から声が掛かった。テレビも電気も全部付かない。ラジオのスイッチ入れて聞いたら、3メートルの津波だと。親父の代からあそこに住んでいたけど、ここま

    震災・津波 流された人が笑顔で手を振っていた「ニコーっと笑って、お前もか、って」 | 大槌みらい新聞