「永遠と」じゃねえ 「延々と」だ 「永遠と喋っててぇ〜」詩か 「永遠と回っててぇ〜」だから詩か 「永遠と続いててぇ〜」恋人か
最 終 更 新 日 平 成 二 十 七 年 三 月 二 十 二 日 た ね と な る む か ひ し と に の お 心 よ の べ い や つ ま も と あ こ ら と ば の は 京 極 為 兼 ◆更新情報 ◆新設コーナー やまとうたeブックス 2015.2.6更新 『拾遺愚草』資料集 2015.3.22更新 ◆創作和歌のために 和歌入門|和歌のための文語文法|和歌日記(更新停止中) ◆古典和歌 千人万首 2015.1.10更新|資料編(和歌に影響を与えた漢詩文)|百人一首 訓読万葉集 2014.7.14更新|八代集秀歌選|十三代集秀歌選 歌合|歌学・歌論|古玉聚|和歌歳時記更新|歌枕一覧 和歌雑記(休止中)|和歌リンク集 ◆BBS・blog 掲示板過去ログ|雁の玉梓(やまとうたblog) ◆その他 ご挨拶|Q&A集|アンケート集計|参考文献 随時更新 最終更新日:2015.2.6
今回は敬語の「させていただく」「させていただきます」の誤用問題について考えてみましょう。 インターネットで「させていただく」「させていただきます」を検索しますと「させていただく症候群」とか「させていただきます 誤用 乱用」といったキーワードが入った記事タイトルが多数見つかりました。「させていただく」「させていただきます」問題には、侮り難い深い病理がひそんでいるのかもしれません。 大辞泉は「させていただく」を以下のように説明しています。 させていただ・く 相手に許しを請うことによって、ある動作を遠慮しながら行う意を表す。「私が司会を―・きます」 また新語探検は、次のように解説。 させていただく 最近の若者に目立つことばづかい。もともとは、自分の行為を相手に許可してもらい、それによって相手に対してへりくだった気持ちを表すことばだが、最近では「私は○○高校を卒業させていただきました」とか「先生の
内閣告示第二号 送り仮名の付け方 一般の社会生活において現代の国語を書き表すための送り仮名の付け方のよりどころを、次のように定める。なお、昭和三十四年内閣告示第一号は、廃止する。 記 昭和四十八年六月十八日 昭和五六年一〇月一日内閣告示第三号 改正 前書き 一 この「送り仮名の付け方」は、法令・公用文書・新聞・雑誌・放送など、一般の社会生活において、「常用漢字表」の音訓によつて現代の国語を書き表す場合の送り仮名の付け方のよりどころを示すものである。 二 この「送り仮名の付け方」は、科学・技術・芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない。 三 この「送り仮名の付け方」は、漢字を記号的に用いたり、表に記入したりする場合や、固有名詞を書き表す場合を対象としていない。 「本文」の見方及び使い方 一 この「送り仮名の付け方」の本文の構成は、次のとおりである。 単独の語 1
私が日本語入力について思っていることを書いてみる。 自分としては、デフォルト以外の日本語入力システムとして、ATOK と Google 日本語入力ぐらい(まあ、Baidu IME とかもあるが)しかないのが心の底から残念でたまらない。 雑誌の特集などで、Google 日本語入力と ATOK に単語や文章を変換させて精度を比較しているものを見かける。まあ総合的には同じぐらいの結果になっている。だが、実際に長い間使っているとわかるのだが、Google 日本語入力の間違え方のほうが「理不尽」なのだ。どうしてこれがこうなる? と思わず言いたくなるような。その点、ATOK は弱い部分が前もってわかる。アニメやゲームなど、マニアックな変換には弱い。しかし、ATOK である程度日本語の文章を打ち慣れた人にとっては、そういう「難しいだろうな」と思うようなところは、打つ前からそのことがわかるものだ。 ATO
外郎売(ういろううり)は、享保3年1月2日(1718年2月1日)、江戸森田座(守田座)において『若緑勢曾我』(わかみどりいきおいそが)の中で二代目市川團十郎によって初演された、「ういろう」の由来、薬効を早口言葉で演じるせりふ芸である。もともとは歌舞伎の劇中で演じられる趣向のひとつであり、歌舞伎十八番に選定された天保3年(1832年)以降、「助六」の劇中で演じられるのが通例となり、せりふ芸から長唄を交えながら演じられるように変化していく。その後、大正11年(1922年)に初めて単独で上演され、昭和55年(1980年)の十代目市川海老蔵による上演以降は、本来のせりふ芸としての色彩が強い形で単独にて演じられている。また俳優やアナウンサーや声優の練習材料として優れたものであると評価されており、練習教材として広く用いられている。 昭和15年(1940年)5月、九代目市川海老蔵演じる「ういろう」 「外
漢語の「必須」などの「須」の字の訓読のために「すべし」のク語法から作られた。 「須」の古典中国語としての意味は前置詞で、意味は「need to」、「する必要がある」。 そこから一般化した日本語としては、当然、妥当、必要、義務、の意で使われ、通常は述語もまた義務や命令の意味の言葉(「べし」など)で受ける。 例:「友と交わるには、 すべからく三分の侠気を帯ぶべし」 しかし義務の意を含まない文に応用されて近年、「必然的に」「当然のように」「そうあるべきこととして」という意味用法が派生した。この点について「すべての」の意で誤用されるとしばしば指摘されるが、この派生義を「すべての」の意味であると捉えるのは正確ではない。本来の用法が当為の意味を含まない断定文に応用されたとき、「そうするのが当然」の語気が「そうであるのが当然・必然」の意味にずれたと見るべきである。 たとえば、「美しいひとの精神はすべから
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