《38年にわたって医師ではない自分が島の健康管理に貢献してきたことを自負するとともに背筋が冷たくなる》 この言葉を残したのは、沖縄県にある離島・阿嘉島で医介輔として活動した西田由太郎さん(享年96)だ。 医介輔という言葉を聞き慣れない人も多いかもしれない。医介輔とは深刻な医師不足解消のため、戦後の沖縄で設けられた医療職で、当時の琉球列島米国民政府が日本軍の衛生兵など医療業務経験者に対して資格を与えた。6月23日に沖縄は「慰霊の日」を迎えたが、医介輔は沖縄における戦後の厳しい生活を支えてきたのだ。 戦時中、満州で衛生兵として陸軍病院に勤めていた西田さんは、医介輔としてアメリカ統治下時代の1953年から38年間に渡り、阿嘉島など沖縄の離島医療に従事した。島の診療所は医療設備なども限られている上、本島への急患搬送で今のようにヘリが使われることもない。そうした環境での医介輔としての生活には、多くの