目的が何であれ、手段は選ばなければいけないのに 分けて考えなくちゃいけないことを 分けずに“一緒くた”にして それが「良いのか・悪いのか」 無理矢理な二者択一を強(し)いるのは 分けて考えてしまったら、 不都合な真実が露見してしまうからだろうか たとえ、どんな理由や大義があろうと それが「手段を選ばない」ことの言い訳(わけ)にはならないのに。 “動機や目的”と、そのために用いる“手段”とは、 分けて考えなくてはいけない「別物」で、 たとえそれが、どんな良い結果をもたらすものだとしても そのために採(と)る手段は、 ちゃんと「選ばなきゃいけない」ものなのに。 人類は何故なのか、 目的が立派なら、 どんな酷(ひど)い手段を使っても「仕方ない」とばかりに 「正義のため」だとか「戦争を終わらせるため」だとか言って 大勢の人が死ぬことになる“手段”を平気で採用してきた。 そして、その“手段”が本当に