私の父は、厳(きび)しい人だった。 間違(まちが)ったことを決して許(ゆる)さない、四角四面(しかくしめん)な“掟(おきて)の神”。 いつでも絶対の“正解”を持っていて、私が“不正解”な言動をすると、すぐ叱責(しっせき)された。 間違ったことをする私は、人間として正しくないのだと、人格や存在を否定された。 私は父を恐れていた。 いつも父の顔色を窺(うかが)って、ビクビク生きてきた。 出すべき答えは、世の中にとって(・・・・・・・)の正解ではない。父にとって(・・・・・)の正解だ。 世間的には合っていそうな答えでも、父にとって正解とは限らない。 正解を選べないと、父は機嫌(きげん)を悪くする。 世の流行の、アレは嫌いでコレは好き、物の考え方・感じ方、食事の順番、後片付けのやり方、勉強の優先順位……本来“正解”なんて無いはずなのに、父の中には“正解”があり、それ以外は“間違い”なのだ。 父好み
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