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コミュニケーション能に関するm25moriのブックマーク (3)

  • 正解探しの怖がり鸚哥

    私の父は、厳(きび)しい人だった。 間違(まちが)ったことを決して許(ゆる)さない、四角四面(しかくしめん)な“掟(おきて)の神”。 いつでも絶対の“正解”を持っていて、私が“不正解”な言動をすると、すぐ叱責(しっせき)された。 間違ったことをする私は、人間として正しくないのだと、人格や存在を否定された。 私は父を恐れていた。 いつも父の顔色を窺(うかが)って、ビクビク生きてきた。 出すべき答えは、世の中にとって(・・・・・・・)の正解ではない。父にとって(・・・・・)の正解だ。 世間的には合っていそうな答えでも、父にとって正解とは限らない。 正解を選べないと、父は機嫌(きげん)を悪くする。 世の流行の、アレは嫌いでコレは好き、物の考え方・感じ方、事の順番、後片付けのやり方、勉強の優先順位……来“正解”なんて無いはずなのに、父の中には“正解”があり、それ以外は“間違い”なのだ。 父好み

    正解探しの怖がり鸚哥
  • 花咲く話の種を探して、私は今日も言の葉を「はなつ」

    この国では、人の口から発せられる“意味ある音”を、植物になぞらえる。 言(こと)“葉(ば)”。話の“種”。話の“接(つ)ぎ穂(ほ)”。話に“花が咲く”。 昔の人たちは、何を想って、この名付けをしたのだろう。 人の口から放たれた“言(こと)”が、視(み)えざる葉になって空(くう)に繁(しげ)り、他の人のそれと重なり合って、花を咲かせる――そんな空想(ゆめ)でも、視ていたのだろうか。 私も時折、そんな妄想に浸(ひた)る。 私の唇(くちびる)から零(こぼ)れた葉っぱが、蔓(つる)を伸ばし、さらなる葉を繁(しげ)らせ、花束(はなたば)のように、たくさんの花を咲かせる――そんな幻を、夢見る。 実を言うと、おしゃべりは少し苦手だ。 自分の言葉に、自信が持てない。 私には、皆を笑わせるような面白い話はできない。気の利(き)いた話題は出せない。 いつも、皆の輪の中で、誰かに話を振(ふ)られるのを待っている

    花咲く話の種を探して、私は今日も言の葉を「はなつ」
  • 言葉よりも、魔法の笑顔で

    保育士を目指している、と言うと「あぁ、子どもが好きなんだね」という顔をされる。 確かに子どもは好きだし、可愛いと思うけど、私が保育士になりたい当の理由は、そんなに単純なものでも純粋なものでもない。 子どもが好きだと言うより、“子どもじゃないもの”が苦手なのだ。 昔から、同年代の子と遊ぶより、まだ言葉もロクに喋(しゃべ)れない年下の子をあやす方が得意だった。 同年代以上の人間は難しい、と思っていた。 ささいな言葉の行き違いで、怒ったり、傷つけ合ったり……あるいは、自分の言った言葉が全く別の、思いもよらない解釈をされて、誤解から人間関係がこじれたり……。言葉ひとつに気を遣(つか)う。 まだ言葉も話せない赤ちゃんなら、ただにっこり笑いかけてあげるだけで済(す)むのに。 人と人とが想いを伝え合う手段は、言葉だけとは限らない。 目と目を交(か)わすアイコンタクトに、抱擁(ハグ)などのスキンシップ、

    言葉よりも、魔法の笑顔で
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