JUGEMテーマ:青春(ヤングアダルト)小説 (「小説家になろう」さんにも重複投稿しています。小説家になろう版はルビ多めです。) 「テスト勉強やった?」「全然」 このやりとりを、あと何回繰り返さなければいけないのだろう。 繰り返されるたびに、嫌な感じの違和感に襲われる。 まるで「勉強なんてするな」と牽制し合っているようだ。 あるいは、周りの人間のダメさ加減を確認して、安心したいみたいだ。 勉強なんて全然していない、と言いながら、本当はテスト前、焼け石に水のような勉強をしている。 これくらいは「勉強をやった」うちに入らないからと、自分で自分を誤魔化して「勉強なんて全然してない」と口にする。 だけど、それを口にするたびに、嫌な感じの罪悪感に襲われる。 俺は、嘘をついているのだろうか。アイツらを騙しているのだろうか。 仲の良いクラスメイトとの、何気ない日常の中、ふと感じることがある。 「勉強なん
JUGEMテーマ:青春(ヤングアダルト)小説 (「小説家になろう」さんにも重複投稿しています。小説家になろう版はルビ多めです。) あの子は、自分の正しさを疑わない。 いつでも、正しいのは自分で、間違っているのは周りにいる誰かや何か――それがあの子の、この世界に対する認識だ。 いい加減つき合いも長いから、私もそれは知っていた。 知っていて……そんなあの子を密かに呆れた目で見ながらも、その歪んだ物の見方を、正すでもなく拒否するでもなく、ただ流して(・・・)きた。 言ったところで直るような性格でもないし、それで害が生じているわけでもない。 だったら、わざわざ友情の壊れるリスクを負ってまで指摘する必要はない――そう思っていた。 あの子は、相手を気遣ったり、相手に合わせたりすることがない。 ありのまま、素の自分を晒すことが友情の“あるべき姿”とでも言うように、いつでも自分の我を通す。 そして、周りが
過ぎたるは、なお及(およ)ばざるが如(ごと)しとは、よく言ったものだ。 行き過ぎた才能、斬新(ざんしん)過ぎる手法(しゅほう)は、いつの時代もすぐには評価されない。 文化人や審査員(しんさいん)といった人々は、口では「我々の想像を超える才能を求む」と言いながら、所詮(しょせん)は自分たちの想像の延長線上にある才能しか見出(みいだ)すことができない。 想像のナナメ上をカッ飛んだ才能は、そもそも視界に入りすらしないのだ。 この真実に辿(たど)り着(つ)くまで、俺も散々(さんざん)悩まされ、苦しんできたものだ。 何せ、地道(じみち)な思考錯誤(しこうさくご)を心が折れそうになるまで繰(く)り返し、それまでの能力の限界さえ超(こ)えて描いた“自分史上最高の傑作(けっさく)”が、まるでそこに存在しないもののようにスルーされるのに、通常運行以下の間(ま)に合わせで描いたような及第点(きゅうだいてん)ギ
夢を持て、夢を大切に――と、子どもの頃にはうんざりするほど言ってくるくせに、ある程度の年齢になった途端(とたん)、手のひらを返したように、現実を見ろ、夢みたいなことを言うな、と言ってくる。 大人たちのその矛盾(むじゅん)やちぐはぐさを、ずっと疑問に感じてきたが、最近やっとその答えが見えてきた気がする。 何のことはない。 大人たちは口では「夢を大切に」と言いながら、本当はこれっぽちも子どもの夢に価値を見出(みいだ)していないんだ。 泣く子に玩具(オモチャ)を与えるように、子どもには夢を見させておけば良いと思っている。 大きくなれば「もうそんなモノで遊んでいるんじゃありません」と取り上げてしまえる程度(ていど)の、そんな思いしか抱(いだ)いていないんだ。 白紙の進路調査票を前に、僕は昔を懐(なつ)かしむ。 小学校の頃(ころ)の文集なら“将来の夢”にどんなことを書いても許(ゆる)されたのに、今は
自分は、父のことをあまりよく知らない。 死に別れたわけでも海外へ赴任(ふにん)しているわけでもないのだが、父はいつも仕事に忙しく、家に帰って来てもあまり喋(しゃべ)らない。 だから、未だにどんな人間なのか、いまいちよく分からずにいる。 元々無口で、真面目なだけが取(と)り柄(え)なのだと、母は言う。 それを聞くたび、あまりよく知らないはずのこの人との、血の繋(つな)がりを意識する。……自分も、思いを口にするのが得意ではなく、周囲からは真面目と評されがちだから。 あまり嬉(うれ)しくない遺伝だと、いつも思ってきた。 真面目、堅物(カタブツ)、融通(ゆうづう)が利(き)かない――どれも、同年代の間ではあまり好まれない性質だ。 自分たちの年代なら、ノリが良くて面白くて、ちょっと不真面目なくらいの方が、ウケが良い。 自分だって、そんなことは理解している。 だが、間違っていると知りながら、わざとルー
JUGEMテーマ:青春(ヤングアダルト)小説 (「小説家になろう」さんにも重複投稿しています。小説家になろう版はルビ多めです。) “国民的スター”になる人間というのは、予め運命で決まっているのだろうか。 「運も実力のうち」とはよく聞くが、どれほど努力を重ねても、運命に愛され、そういう星の下に生まれてきた人間には、結局勝てないものなのだろうか。 少なくとも私の世代では既に一人、スター選手が確定している。 メディアや皆が取り上げたがるのは、いつでも“天才少女”や“天才少年”の物語だ。 幼い頃から才能に恵まれていたり、優れたDNAを受け継ぐサラブレッドだったり……ドラマになりそうな“話題性”のある人間ばかりだ。 何ひとつ持たない私に、陽の光が当たることはない。 たとえ表彰台に上がる成績を収めたとしても、メディアが時間を割いて伝えるのは「不調でまさかのメダル無しに終わった“天才少女”」の涙と苦悩の
JUGEMテーマ:青春(ヤングアダルト)小説 (「小説家になろう」さんにも重複投稿しています。小説家になろう版はルビ多めです。) 世の人々の多くは、なぜか“一握りの天才”というものに、憧れや嫉妬を覚えるものらしい。 だけど、よく考えてみて欲しい。 全体から見て、ほんの数パーセントしか存在しない天才(ギフテッド)――それはすなわち“とてつもない少数派(マイノリティ)”ということに他ならないのだ。 大概のことが多数決の原理で動いていく現代社会において、それは圧倒的に不利な立場でしかない。 それなのに、なぜ人は、そんなモノに憧れたり妬いたりするのだろう……。 他人と違うというだけで、この世は何かと生きづらい。 口では個性を認めながら、実際には出る杭は打たれるのが世の習いだ。 考えてみれば当たり前の話なのだ。 大多数の人間は、「他人が自分より優れていること」を素直に喜んだりしない。 何をしたわ
マンガや小説やドラマの中なら、主人公が困難に陥(おちい)った時には、必ず“救いの手”が差し伸(の)べられる。 助けてくれる人だったり、苦境(くきょう)を突破するきっかけだったり……。 そういうものなのだと、幼い頃(ころ)は思っていた。 だけど、私が死にたいくらいに辛(つら)かったあの時、救いの手なんかどこにも無かった。 誰も助けてくれなかったし、解決の糸口さえ見当たらなかった。 ただ、耐(た)えて、耐えて、耐え続けて……時間が状況を変えてくれるのを待つことしかできなかった。 救いの手なんて結局、物語を上手く転がすための都合の良い道具に過ぎないんだ。実際には存在しないものなんだ――そう、自分に言い聞かせて、これまでにも数えきれないほど呑(の)み込んできた“悲しい現実”を、またひとつ無理矢理、喉(のど)の奥に押し込んだ。 時間の流れは、時にじれったく思うほど、じりじりと遅く感じられたけど、それ
1作が5~10分で読める(予定の)オムニバス青春短編小説シリーズ「青過ぎる思春期の断片」略して「青春断片」です。 シリーズ・コンセプトは「思春期の頃の自分に読ませてあげたい物語」。 オムニバス・シリーズのため、話ごとに設定・主人公・文体が変わります。 意図的にバリエーションを増やしている(多様な人生・多様な悩みを描くことを目標としている)ため、同じシリーズであっても、雰囲気や主人公の性格はだいぶ異なります。 奇数作が男性視点、偶数作が女性視点の予定。 自作サイト内にシリーズ作品へのリンク一覧を載せた「もくじ」ページも設置してあります。 (http://kotonohano25mori.web.fc2.com/ss3seisyun/seishun-novel-index.html)
結局、青春なんて、どこにあったんだろう。 三年間、これでも必死に努力してきたつもりだったのに、記録を出すどころか、地区大会の代表にも選ばれなかった。 学園ドラマやスポーツ漫画にあるような熱くてキラキラした青春は、俺の隣(となり)にいた、俺よりずっと才能も実力もあるチームメイトのもので、俺はまるで背景の名も無き観衆のように、そいつらの活躍を応援するだけだった。 一体、何のために毎日汗だくになりながら、辛(つら)い練習をこなしてきたんだろう。 いつかは見つけられるかも知れないと思っていた、競技に打ち込む意味も意義も、結局うすらぼんやりして見えないまま、今日でその辛い練習も終わる。 今まで何度も「苦しい」「辞めたい」と思ってきたはずなのに、いざ「今日で最後」となると湧(わ)き上がってくる、この感情は何だろう。 悔しさだとか未練だとか、そんなありきたりな言葉じゃ説明がつかない。 両手にすくった銀の
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