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劣等感に関するm25moriのブックマーク (2)

  • こんなにも不出来な私でも、生きていく他ないので。

    陽キャじゃないから他人と話せないだとか、コミュ力が無いから上手く関係性が築(きず)けないだとか、人づき合いの成否を性格(キャラ)や能力(スペック)のせいにする人間は多い。 だけど、私は知っている。 他人と上手くつき合えるかどうかは、結局のところ、自分に“ゆとり”があるかどうかだ。 気楽に他人と話ができる心の余裕(よゆう)、他人の心情や事情を酌(く)める精神の余裕――それがあるかどうか、だ。 どんな人格者でも、コミュニケーションの達人でも、自分のことしか考えられない切羽詰(せっぱつ)まった状況(じょうきょう)では、他人を思いやっているゆとりなんて持てない。 まして、気づけば自分のことでいっぱいいっぱいの私なんて、尚更(なおさら)そんなゆとりがあるわけがない。 私は元から、自分に自信の無い人間だ。 元から、自分が他の人間と“違(ちが)う”ことを自覚している。――それも、悪い方向で。 いつも、何

    こんなにも不出来な私でも、生きていく他ないので。
  • そつ無く生きられない僕は、空気になりたいと希う

    僕はどうやら、生きているだけで他人を苛(いら)つかせてしまうらしい。 その場に居(い)るだけで、他人を不快にさせてしまうらしい。 だったら、誰の目にも映らない“空気”になれたら良いのに、と思う。 存在が消えるわけではなく、ただ誰からも認識(にんしき)されなくなる、透明(とうめい)な気体に。 誰からも疎(うと)まれず、そこに居ることすら気づかれない、ただその場に漂(ただよ)うだけの“空気”に……。 以前から薄々、気がついてはいた。 僕は普通の人よりだいぶ、要領(ようりょう)が悪い。雑な言い方をすれば、鈍臭(どんくさ)い。 他の人間ならそつ無くスムーズに熟(こな)せることに、何故(なぜ)だか妙にモタついてしまう。 小学生の頃は、大縄跳(おおなわと)びの中に入るのが苦手だった。 タイミングが掴(つか)めずに、何時(いつ)までもずっと、縄の回転を見送ってしまう。 やっとの思いで飛び込めても、大抵(

    そつ無く生きられない僕は、空気になりたいと希う
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