夢を見た。 学校へと向かう、いつもの電車の中。 既(すで)に眠りの中だと言うのに、なぜか夢の中でも眠り込んでしまっていた。 気づけば、いつもの駅を乗り過ごし、夢の中でハッと目を覚(さ)ました。 見渡すと、そこは見知らぬ山の中だった。そして、一面が紅葉の絶景だった。 動画や写真の中でしか見たことのない――否(いな)、それ以上に極上で、胸に迫(せま)る、圧倒的な秋色の稜線(りょうせん)。鮮(あざ)やかな、朱(あけ)と黄金(こがね)のモザイク模様(もよう)。 電車の窓という窓が、その景色で埋(う)め尽(つ)くされていた。 電車がレールを進むたび、朱金(しゅきん)の木々が、わずかに角度を変えながら、横に流れていく。 硝子(がらす)一枚隔(へだ)てた向こうは、色鮮やかな紅葉黄葉(こうようこうよう)の洪水(こうずい)。 まるで、絢爛豪華(けんらんごうか)な万華鏡(まんげきょう)の中を、電車の速度でくぐ
あらゆることを「ヤバイ」「エグイ」「死ね」で表現する子供たちを想像してみてください。彼らはボキャブラリーが乏しいことによって、自分の感情をうまく言語化できない、論理的な思考ができない、双方向の話し合いができない――極端な場合には、困ったことが起きた瞬間にフリーズ(思考停止)してしまうんですね。これでは、より問題がこじれ、生きづらさが増すのは明らかです。 以前はこうした実情を、〈うまくいっていない子〉に共通の課題だと認識していました。ところが数年前から、各地の公立学校に講演会や取材でうかがうことが増えるなかで、平均的なレベルとされる小・中学校、高校でも、現場の先生たちが子供たちの国語力に対して強い危機感をもっていることがわかりました。言葉によってものを考えたり、社会との関係をとらえる基本的な思考力が著しく弱い状態にあるという。 ©iStock.com そしてあるとき僕自身、都内の小学4年生の
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