タグ

2011年10月30日のブックマーク (2件)

  • 関西じゃりン子チエ研究会:じゃりン子チエの街

    大阪が舞台になった小説漫画は多い。その多くはキタ、ミナミ、道頓堀、天王寺、新世界……など日中の誰もが知っている大阪である。 誰が最初に言いだしたのか知らないが、新世界あたりを案内するとき「じゃりン子チエの舞台になったのが、ここや」と紹介する人が多いときく。大阪のガイドブックなどを引っ繰り返してみても、そんなことは、どこにも書いていない。 81年にアニメ「じゃりン子チエ」(東京ムービー新社・毎日放送制作・全65話)が全国ネットで放送された初期の頃「ジャンジャン横丁」といった看板や通天閣が描かれるシーンが多かった。 アニメの後期部分では「通天閣」は姿を消したが「ジャンジャン横丁」という看板は、最後まで消えることはなかった。ところが原作に「ジャンジャン横丁」は1度も登場していない。通天閣も風景として2コマだけ登場しているが、チエの家の近所ではなかったり、はるか遠くの風景として描かれていたりす

    関西じゃりン子チエ研究会:じゃりン子チエの街
    maangie
    maangie 2011/10/30
    呉智英。
  • 「フランダースの犬」のドキュメンタリーはほんとに「滅びの美学」とか言ってんのかな? - in between days

    「フランダースの犬」日人だけ共感…ベルギーで検証映画 : ニュース : エンタメ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)(【追記】記事リンク切れ) 原作は英国人作家ウィーダが1870年代に書いたが、欧州では、物語は「負け犬の死」(ボルカールトさん)としか映らず、評価されることはなかった。米国では過去に5回映画化されているが、いずれもハッピーエンドに書き換えられた。悲しい結末の原作が、なぜ日でのみ共感を集めたのかは、長く謎とされてきた。ボルカールトさんらは、3年をかけて謎の解明を試みた。資料発掘や、世界6か国での計100人を超えるインタビューで、浮かび上がったのは、日人の心に潜む「滅びの美学」だった。 「負け犬の死」とか「滅びの美学」をわざわざ括弧書きにして日人の特殊性みたいなものが強調されてるんだけど、なんか違和感があるなあ。ということで調べてみました。 テレビアニメ「フラン

    「フランダースの犬」のドキュメンタリーはほんとに「滅びの美学」とか言ってんのかな? - in between days