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ブックマーク / www.heartlogic.jp (5)

  • 「録音笑いのないバラエティ番組を見られなくなった」 :Heartlogic

    「録音笑いのないバラエティ番組を見られなくなった」 はてなブックマークの人気エントリーより。記事の枕部分に興味を持ったので。 「以前からアニメを見ていたが、今はコメントがないとアニメが見れなくなった」という人間が増えている。2ちゃんねる等々でもよく見かける書き込みだし、自分の周りにもそんなことを話している人がいる。それは決して「このアニメはコメントがないと見れないほどの糞アニメだ」という意味ではなく、彼らは全てのアニメに対し普遍的にそれを感じているらしい。 それはオタクとしての「劣化」だ - Thirのはてな日記 ニコニコ動画のコメントは、テレビのバラエティ番組でよく使われる笑い声と似た性質を持つと考える。 この笑い声を「影響力の武器」では「録音笑い」と呼んでいて、誰も録音笑を好きな人はいないが、録音笑いがあるとテレビの視聴時間が伸び、満足度も高まるというデータがあるとしている。この録音笑

    maangie
    maangie 2008/05/09
    「社会的証明」
  • 「ひとの気持ちを考える」から「空気を読む」へ変わる時代の空気 :Heartlogic

    「ひとの気持ちを考える」から「空気を読む」へ変わる時代の空気 小さい頃「ひとの気持ちを考えて行動しろ」的なことをよく言われた。今どきの子どもも先生に言われるんだろうか? ひとの気持ちを考えることの難度は、ライフスタイルや価値観の多様化を受けてうなぎ登りに上がっていると思うが……。 近年では、この「ひとの気持ちを考える」に代わって「空気を読む」という言葉が使われているが、この2つの言葉は似ているようで、決定的な違いがある。 気持ち=自分のもの 空気=誰のものでもない 「ひとの気持ち」は各自に固有のものであり、対象によって正解・不正解が確実に判断できる。 一方で「空気」とは場を共有するみんなのもので、言い換えれば誰のものでもなくて、正解・不正解を個人の判断で決めることが難しい。発言力のある者が「ここの空気はこうなんだよ」とすることで、皆を無理矢理納得させられる。 つまり、ちと嫌な見方をすると、

    maangie
    maangie 2008/02/19
  • 「モノが豊かになって心が貧しくなった」を小さく実感 :Heartlogic

    「モノが豊かになって心が貧しくなった」を小さく実感 東京ドームシティの「おもちゃ王国」というところに行ってみた。基的には「有料の児童館」といった趣の場所で、入場するとダイヤブロック、トミカ、プラレールなど代表的なメーカー別のおもちゃがワンサと並んだブースで遊び放題になる。 なーんか居心地の悪いところだなあ……と思った。普通の児童館とはどうも雰囲気が違うのだが、それは「おもちゃが多い」というところから来ているように感じられる。 場内全体に「順番に遊ぼうね」とか「分け合って一緒に遊ぼうね」といった空気がない。これは、おもちゃが多いので、そういったことが必要ないためだと思う。実際、年末年始でかなり混雑していたにもかかわらず、遊ぶおもちゃがない、ということはなかった(フロアのスペースが不足気味だったが)。 だから、おもちゃが多いから奪い合いでケンカになることが(あまり)ない。これはまあ良いことだ

    maangie
    maangie 2008/01/06
  • 総務省、ネットの法規制を指向/角川歴彦氏、法規制が新しい試みを萎縮させていると批判 :Heartlogic

    総務省、ネットの法規制を指向/角川歴彦氏、法規制が新しい試みを萎縮させていると批判 通信・放送の法制を一化、総務省が研究会の最終報告書を公表(INTERNET Watch)* 総務省:通信・放送法制統合へ ネット情報も規制 - 毎日jp(毎日新聞) 「通信・放送の総合的な法体系に関する研究会」最終報告書の公表 総務省(報道資料) 全部読み切れていないが。なんというか、教育せず規制ばかりしていては、どんどん小さい馬鹿とたちの悪いアングラができるだけというか……。 確かにモラルの低いメディアが無駄に影響力を持つ状態というのも困るわけで、規制NOと脊髄反射したいわけでもないのだが、ポイントのPDFの最終ページ「中間取りまとめからの変更点」を読むと、大丈夫かいなと思わずにはいられない。 メモ: 何が有害と捉えているんだろうか。例えば「無料でゲームができるサイトに登録したら自動的に自分の分身がみす

    maangie
    maangie 2007/12/08
  • ミュシャが単なる萌え絵描きの元祖だと思っていたら大間違いだ :Heartlogic

    ミュシャが単なる萌え絵描きの元祖だと思っていたら大間違いだ アルフォンス・ミュシャといえば、ああいう絵を描いていた人、というぐらいの認識しかなかった。だから当然女と花とおいしいものに囲まれて愉快な一生を送ったんだろ、ぐらいのイメージを持っていたのだけど、そんな無根拠かつバカな思い込みは大間違いだった。この前に行ったミュシャ展で、その人生に大いに興味が湧いた。 おおざっぱに言って、自らの最も得意な一芸を磨き、都会で大成功して、晩年は故郷のために尽くした、というのがミュシャの人生だ。細かい部分は調べきれていないのだが、私にはじつに理想的な一生だと映る。 (1)偶然のチャンスを掴んで大出世 1860年、モラヴィア(現在のチェコ)に生まれたミュシャは、絵は得意だが勉強はダメ、というパッとしない少年時代を過ごしたようだ。19歳でウィーンの舞台装置などを作る工房に就職し、おそらくは今でいう「大道具さん

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