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ブックマーク / yuki19762.seesaa.net (4)

  • 顔を憎んで鼻を切れば、唇も消える: 私の外のもうひとりの私

    ある奇妙な現象が、周囲で頻繁に起こるようになったのは、十代最後の半年間のことでした。その頃わたしはまだ学生で、週三回ほど居酒屋でアルバイト。バイト先の常連客は、同世代か少し上くらいの子たちが多く、気安く口を聞く間柄。発端は、居酒屋の常連のひとりだった大学生の証言です。彼は先日、赤のミニ・クーパーを運転するわたしを見掛けたという。しかし、わたしは車はおろか、免許すら持っていなかった。別人だろうと答えましたが、彼は首を捻ります。そうとはとても思えない。それほど似ていたのらしい。 でも、わたしではありえません。彼も最終的に「では別人なのだろう」と納得しました。そしてわたしもただのそっくりさん情報としてそれを処理。けれど以後、そんなことが頻発するようになります。ここで見た、あそこで見たという友人知人の報告が、毎日のように続いたのです。だが、そんなはずはない。彼らがわたしを見掛けたという場所は、今ま

    maangie
    maangie 2008/03/16
    いかにも恐そうなので、読まない。
  • 顔を憎んで鼻を切れば、唇も消える: 「扉は開かれた」 ーハリー・ベリーの受賞スピーチと第74回アカデミー賞ー

    2002年の春に催された、第74回アカデミー賞のことを、わたしはよく覚えている。もう10年以上前のことと、実はつい先日まで勘違いしていたのだが、それがどういう年だったか、どんなショーだったかは、忘れていないし、忘れられない。前回のスティーブ・マーチンからウーピー・ゴールドバーグに司会が代わり、ロサンゼルスのシュライン・オーディトリアムからハリウッドのコダックシアターへ会場は移った。9月に同時多発テロが起こったため、会場の周囲は厳戒態勢で、レッドカーペットを歩くスターたちの姿は見られなかったが、式は豪華絢爛。この頃のオスカーは、年に一度のアメリカのお祭りという感じで、ほんとうに華やぎがあった。この頃というか、この年までは。なにしろ冒頭、金色のレオタードに身を包み、白い羽をクジャクのように背負ったウーピー・ゴールドバーグが、空中ブランコに乗って天井から降りてくるのだ。シルク・ド・ソレイユは幻想

    maangie
    maangie 2008/03/09
  • 顔を憎んで鼻を切れば、唇も消える: if もしも〜

    『あなたが殺されて、このブログが公開されたら、弥生さんのポエムの比ではないくらい非難されると思いますよ』(http://yuki19762.seesaa.net/article/24800216.htmlのコメ欄より) もしもわたしが今、事件を起こして捕まったとしたらもちろんのことだが、事件に巻き込まれて死んだとしても、まったく油断はできないと思う。たとえば男に刺されるとか、なにか怨恨が絡んでいそうな殺され方をしたとする。そうしたら、中津川事件の被害者の少女や桶川ストーカー殺人の被害者の女性のように、あることないこと噂を立てられて、過去をほじくり返されて、もちろんこのブログもすごい早さで発見されて、扇情的な部分を抜き書きされて、扇情的な記事に仕立て上げられるだろう。欲求不満だのセックスレスだの書き連ねている箇所を取り上げられて、夫と上手くいっていなかったと決めつけられて、不倫の果ての殺人か

    maangie
    maangie 2007/09/21
    すばらしい。(「面白い」というタグを付けていたが、再読して、別に面白い話ではないことに気づいたので、変更)
  • 顔を憎んで鼻を切れば、唇も消える: 天国からのラブレター 本村洋・弥生著

    恋愛というのは人生の恥部であり、またブラックホールであると思う。なぜなら人は、とくに女は、恋愛をするとポエムを書く。抗い難いポエム欲が湧いてきて、ついつい綴ってしまうのだ。そう、ポエムを。詩ではなく、ポエムを。これはもう事故のようなものだろう。今までさんざんポエマーを嘲笑してきたわたしだが、そんなひねくれ者だって例外ではなかった。荒んだ人間も恋愛中のポエム欲には逆らえない。だから書いた。そうポエムを。こんなわたしがポエムを!手紙やメールや口頭で、わたしは過去、恥ずかしいポエムを吐いてきた。仕方がないではないか。だって恋をしていたのだもの。いかなる女もあの湧き上がるポエム欲には抗えない。どんなにとりすました女だって、きっと裏ではあんなポエムやこんなポエムを書いているはず。恋とは、ことほどさように滑稽で不細工で、気色が悪いものだ。 「天国からのラブレター」は、そんな人生の汚点、決して人様には見

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