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ブックマーク / www.aozora.gr.jp (5)

  • 作家別作品リスト:宮武 外骨

    1867~1955。香川県生。明治中期から昭和期にわたって活躍したジャーナリスト。1887年に出した『頓智協会雑誌』で、大日帝国憲法を風刺したため不敬罪で発禁となり、投獄される。その後、8万部を売ったといわれる『滑稽新聞』や『スコブル』『面白半分』『震災画報』など個性的な雑誌を次々に発行する。彼が生涯に発行した新聞・雑誌は40点以上にものぼる。また、風俗史家としての側面を持ち、『猥褻風俗史』『賭博史』の著作を自分の出版社である半狂堂・有限社から刊行したり、学者と在野の好事家を集めて明治文化研究会を結成した。東京大学法学部の「明治新聞雑誌文庫」を設立者でもある。多彩な活動ぶりから、奇人と誤解されることが多いが、戦前という時代に反骨精神を貫いた希有な人物であろう。ちなみに、「外骨」は名である。(河上進) 「宮武外骨」

  • 石原莞爾 新日本の進路 石原莞爾將軍の遺書

    一、人類歴史は統制主義の時代にある フランス革命は專制主義から自由主義えの轉換を決定した典型的自由主義革命であり、日の明治維新もこの見地からすれば、自由主義革命に属する。自由主義は專制主義よりも遙かに能率高き指導精神であつた。しかるに第一次大戰以後、敗戰國もしくは後進國において、敗戰から立上り、或は先進國に追いつくため、自由主義よりも更に能率高き統制主義が採用された。ソ連の共産黨を含み、あらゆる近代的社會主義諸政黨、三民主義の中國國民黨、イタリアのフアツシヨ、ドイツのナチ、遲れ馳せながらスペインのフランコ政權、日の大政翼賛會等はいづれもこれである。依然として自由主義に止つた諸國家も、第二次大戰起り、ドイツのフランス、イギリスにたいする緒戰の壓倒的勝利、さてはドイツの破竹の進撃にたいするソ連の頑強なる抵抗を見るにおよんで、自由主義をもつてしては到底統制主義の高き能率に匹敵し得ざることを認

    maangie
    maangie 2013/08/09
    蒋介石。毛澤東。ハリー・S・トルーマン。ヨシフ・スターリン。カール・マルクス。日蓮。フランシスコ・フランコ。ベニート・ムッソリーニ。アドルフ・ヒトラー。
  • 狩野亨吉 天津教古文書の批判

    天津教古文書の批判に先だち、私は如何なる因縁で天津教の存在を知つたか、又如何なる必要あつて其古文書を批判するか、この二點に就いて説明して置きたい。 昭和三年五月の末に、天津教信者の某々二氏が拙寓に訪れ、その寶物の寫眞を贈られ、兼てその據地なる茨城縣磯原へ參詣を勸められた。私は寫眞を一見して、其原物の欺瞞性を感知し甚だ怪しからんことを聞くものかなと思つたが爭ふことを止めて穩に歸した。しかし主なる一人は有力なる金主であると察せられたので、同氏の將來を思ひ、直に書面を以て寫眞に對する愚見を述べ、天津教の警戒すべき所以を知らせた。其後何等の挨拶もないので、この警告が何程利いたか分らない。 昭和五年十二月天津教關係者が警視廳の取調を受けた時、須く彼等が皇室歴史に對して施したところの錯迷狂的加工を追究し、嚴重の處分を爲すべきものであつたと思ふが、左樣な徹底的の處置が講ぜられなかつたものと見え、其後

  • 坂口安吾 不良少年とキリスト

    もう十日、歯がいたい。右頬に氷をのせ、ズルフォン剤をのんで、ねている。ねていたくないのだが、氷をのせると、ねる以外に仕方がない。ねてを読む。太宰のをあらかた読みかえした。 ズルフォン剤を三箱カラにしたが、痛みがとまらない。是非なく、医者へ行った。一向にハカバカしく行かない。 「ハア、たいへん、よろしい。私の申上げることも、ズルフォン剤をのんで、氷嚢をあてる、それだけです。それが何より、よろしい」 こっちは、それだけでは、よろしくないのである。 「今に、治るだろうと思います」 この若い医者は、完璧な言葉を用いる。今に、治るだろうと思います、か。医学は主観的認識の問題であるか、薬物の客観的効果の問題であるか。ともかく、こっちは、歯が痛いのだよ。 原子バクダンで百万人一瞬にたゝきつぶしたって、たった一人の歯の痛みがとまらなきゃ、なにが文明だい。バカヤロー。 女房がズルフォン剤のガラスビンを縦

  • 坂口安吾 もう軍備はいらない

    原子バクダンの被害写真が流行しているので、私も買った。ひどいと思った。 しかし、戦争なら、どんな武器を用いたって仕様がないじゃないか、なぜヒロシマやナガサキだけがいけないのだ。いけないのは、原子バクダンじゃなくて、戦争なんだ。 東京だってヒドかったね。ショーバイ柄もあったが、空襲のたび、まだ燃えている焼跡を歩きまわるのがあのころの私の日課のようなものであった。公園の大きな空壕の中や、劇場や地下室の中で、何千という人たちが一かたまり折り重なって私の目の前でまだいぶっていたね。 サイパンだのオキナワだのイオー島などで、まるで島の害虫をボクメツするようにして人間が一かたまりに吹きとばされても、それが戦争なんだ。 私もあのころは生きて再び平和の日をむかえる希望の半分を失っていた。日という国と一しょにオレも亡びることになるだろうとバクゼンと思いふけりながら、終戦ちかいころの焼野原にかこまれた乞

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