あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る。――『ヨハネによる福音書』16:2、新共同訳 何度聴いても身も蓋もない詞だが、しかしここには怖ろしい真理がある。主観的な義しさは、何物をも救い得ない。中国発のチベット報道で「テロを行った僧侶を逮捕」というあからさまなでっち上げを聞くたびに、この詞がよみがえる。もちろんでっちあげというのは、私が現場を見たからいうのではなく、チベット亡命政府や支援団体の情報からわたしが推測していることであって、中国政府やその発表を信じる多くの中国人は逆のことを主張している。 先週の金曜日からヨハネ福音書の告別演説をぼちぼちと読んでいる。自分にはもはや外部をどうしようもない状況で心が折れないというのは、もはや自分の個体の力を超えた何かに支えられてでしかありえないという感覚が私にはあって、それは個人の精神には記憶の力・想起の力として現れるのではないか
![2008-06-10](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/06a15c64ba0ceec233d86d71001ebb29a9dcbf5d/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn.blog.st-hatena.com%2Fimages%2Ftheme%2Fog-image-1500.png)