歴史上、この地は「曙」よりこのかたペローリア帝国の一部となったことはなく、リンリディからの移住者と、赤の平原からのペント騎馬遊牧民とのあいだの戦闘緩衝地であった。それゆえ、すばらしい農地の広がりと大河アーコス河の流れにもかかわらず、オラーヤにはたくさんの人が住んだことも、重要な都市文化がきずかれたこともなかった。だがマグニフィクス帝の意を汲んだホン・イールによって帝国に併合されて以来、いまでは活発な帝国領土拡大のひとつの中心となっている。 人々 ペント人たちと状況に応じて和戦を結びながら、歴史時代のほとんどを通じてカストック信徒のコサックたちがこの地を占有してきた。遊牧民が「恐怖の夜」でついに敗北を喫すると、この地は「赤の平原」への植民運動の基地として開拓民に解放された。コサックたちには生きるための戦いにくわわることのできる者すべてを受けいれるという古き伝統があり、植民者をこころよく迎えい