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economicとphilosophicalに関するmicrotestoのブックマーク (4)

  • 『風船社会の経済学』読書メモ(2)

    サティシュさんが書いた序文を抜粋、かれの近著『君あり、故に我あり』につながるものがすでにここにある。 === 序 リアリティーの全的把握 E.F.シュマッハーが私たちに遺した課題は、「小さい」ということを一般論にとどめないで、その概念を具体的な用語として定着させること。保健・教育・農業・商業・工業などのあらゆる分野で小さいということが、いかに役立ち、実現可能であるかを知ること。 この専門化された社会で、私たちが直面する危険はリアリティの一面だけ、あるいは一特性だけをとらえて、リアリティの全体であると考える傾向があること。 シュマッハーの友人たちも、彼のことをある人は適正技術の闘士だと思い、別の人は有機農業の代表者、さらにはエコロジー、環境、オルタナティブエネルギーの使徒だと考えているが、彼の全体像を見ることができていない。多元的リアリティを見る努力が必要。 だから、この8人の思想から全的視

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  • まあこんな感じ、マルクスと価値のこと - finalventの日記

    お金とは何かを明らかにしたマルクス もっとも、マルクスも言い方も分かりにくいことが多い。例えば、第一章商品の第一節の題名は、「商品の二つの要素:使用価値と価値」となっているが、使用価値と価値を分けて考えるとはどういうことか。そもそも、使用価値は価値の一つではないのかと言いたくなる。初っぱなから分かりにくいのだ。 実は、マルクスのいう「価値」と「使用価値」は別物なのだ。それは文を読んではじめて分かることである。それでは不都合だということでフランス語版では「使用価値と交換価値つまり来の価値」と変えてある。では、マルクスの言う「価値」とは交換価値のことかというとそうでもない。 まず、「価値」と「使用価値」は別物ということ。ただ、経済学的には前者はナンセンスとさらっと捨てられるのだろうと私などは思う。 マルクスはまず、価値というのを、なんつうか神秘的なドクサとしているとしてもいい。これは自然

    まあこんな感じ、マルクスと価値のこと - finalventの日記
  • マルクスの「労働価値」はなぜ消えたのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「貨幣は貨幣であることで貨幣である」 岩井克人の「貨幣論」(ASIN:4480084118)では、マルクスの「資論」(ASIN:4003412516)で展開された価値形態論が脱構築されている。マルクスの示した価値形態の図式を循環論Zへと展開することで、貨幣という形態には、マルクスがこだわった「価値に表されている労働」による根拠づけのような外部要因が入り込む必要がないことを示す。「貨幣は貨幣であることで貨幣である」とうことだ。 ではこれによって労働価値説はもはや葬り去られるのだろうか。ある意味で正しく、ある意味で正しくない。岩井はこのような循環論の他の例として「言語」を上げている。これは柄谷が、マルクスの価値形態論をソシュールの言語論で説明することと同じ意味であり、貨幣が構造主義的構造を持つことをしめす。 だから東は岩井の貨幣論をデリダの構造主義批判である「否定神学」と言った。すなわちマル

    マルクスの「労働価値」はなぜ消えたのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
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