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literatureとhistoryに関するmicrotestoのブックマーク (16)

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    春の伊予国漫遊記。松山・今治と愛媛の魅力を満喫してきました。 法事を兼ねて愛媛観光へ 2024年のGWは、毎年恒例の名古屋帰省ではなく自宅でゆっくり過ごしておりました。というのも、4月に法事のため愛媛・松山に親族大集合というイベントがありまして、そちらをGWの旅行代わりにしたという理由です。法事は日曜日の予定ということ…

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    microtesto
    microtesto 2007/09/19
    via オシテオサレテ
  • 絓秀実「1968年」  - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    ちくま新書 2006年10月10日初版 著者は1949年生まれとあるから、わたくしより2歳年下ということになる。背表紙にある著者の写真はドテラをきてタバコをふかした狷介なおじさんという感じであるし、紹介には元「日読書新聞」編集長とある。この「日読書新聞」はほとんど目にしたことはなかったけれども、論敵を粉砕することのみをめざしているようにしか思えないすさまじい文がたくさん載っていた印象があり、おそろしそうなだなと思ったのだが、小阪修平氏とは違うあのころの見方を参照しようと思って読んでみた。 案に相違して文章はわたくしなどよりもよほど丁寧だし、読んで教えられたこともたくさんあったが、基的な部分で何がいいたいのかということがよくわからなかった。前半と後半では主張していることがまったく違っているような印象さえもった。いずれにしても小阪氏とはまったく違った視点からのである。 書は1970

  • 2006-10-15

    すが秀美『1968年』ちくま新書、2006年。 「革命的な、あまりに革命的な」の続編に位置づけられる書は、1968年の思想的転換点において「新左翼」の論理と行動がいかなるものであったか、またそれが今日的にいかなる意義を有しているのかを論じている。 書が、あまり知られていない事実の発掘につとめている点は興味深い、たとえば、従来の党派性から一線を引き反戦「無党派市民運動」としての側面が高く評価される「ベ平連」が、実際には共産党から除名されたか距離を置いた「ソ連派」の強い影響力の下にあり、事実、脱走米兵の幇助に重要な役割を果たした山口健二が、ソ連のKGBとつながりを持ち、1960年代末には中国において林彪事件に連座して逮捕監禁経験があるという、おおよそ「市民運動」はほど遠い距離であったということは、単純な反米・親共の構図ではなく、中ソ対立という東側の国際的変動が日の革新運動にいかに影響を及

    2006-10-15
  • 太宰治の共産党入党 - 絓秀実 『1968年』から - オシテオサレテ

    絓秀実 『1968年』を読みました。 1968年 (ちくま新書) 作者: スガ秀実出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2006/10/01メディア: 新書 クリック: 32回この商品を含むブログ (74件) を見る 読んだとはいっても、書の内容について論評することは私にはできません。書に対する質の高い論評は、下記のブログで読むことができます。 すが秀美『1968年』 - 歴史家見習いの研究日記 絓秀実「1968年」 - 日々平安録 私が今日書きたいのは、太宰治(1909-1948)と共産党との関係を述べた以下の箇所についてです。これには驚かされました。 戦後共産党の幹部であり、その文化部門の責任の地位にあった増山太助の『戦後期左翼人士群像』(柘植書房新社、2000年)によれば、太宰治は戦後すぐに共産党に(再)入党している様子である。 (中略) 太宰が戦後に共産党に入党し

  • Dr. Waterman's Desk: If Any Add Anything . . ., If Any Take Anything Away . . .

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    うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かししてを読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…

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    うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かししてを読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…

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  • 「文芸書が売れない」 - Living, Loving, Thinking, Again

    http://www.ikimono.org/diary/archives/420に曰く、 文芸書が売れないのは、文芸に関心を持つ人が減ったから。 単に数が減っただけでなく、まるで死に絶えつつある伝統芸能のように、その内実や楽しみ方を知る人が減り、生活の一部分という存在からフェードアウトしつつあるから。 この状態から脱却するためには売る方法を考えるのではなく、文芸が実はいかに楽しいものであるか、どうやって楽しんだらよいのか、という普及活動から始めなければならないかもしれない。でも、それだけでは「○○保存会」のようにそれに関わっている人々の間では異様に盛り上がっているけれど関わっていない人々にはちっとも影響を与えていない、という薄ら寒い有様になるので、どうしてもスターが必要でしょうね。当に書く力があって、そのうえ伝統の一部を破壊したりお約束を破ったりできるくらいどうしても自分がやりたいこと

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  • メッセージ

  • INSCRIPT Critique, Theory & Literature | インスクリプト

    2021年2月22日に事務所を移転し、電話・FAX番号が変わりました。電話は、042-641-1286、FAXは042-657-8123になります。 2021年2月22日に事務所を移転し、電話・FAX番号が変わりました。電話は、050-3044-8255、042-641-1286、FAXは042-657-8123になります。

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  • アルベール・カミュ、1945年8月8日付け『コンバ』紙社説 - fenestrae

    1945年8月6日の広島への原爆投下のニュースを受けて、アルベール・カミュは、8月8日付けの『コンバ(Combat)』紙に、それを取り上げる社説を書いた。『コンバ』はもともとレジスタンスの地下新聞だったものが、終戦により日刊紙になったもので、カミュは1943年から編集に参加、45年当時は主筆を務めていた。 原爆投下直後に書かれたこの社説は、フランスでは、知識人の同時代証言として、高校の歴史の教科書で抜粋が収められたりして、かなり有名なものだ。たぶん日語にも訳されており、何かには収められていると思うが、ネットで検索しても、訳はおろか、引用も社説の存在への言及さえもほとんど見られない。知識人カミュにについてのはやりすたりということもあろうが、原爆の人類史への影響の歴史をを見る上で古典的ともいえるこの文章が、日のネット世代の人々の目に触れないのは惜しいので、以下に訳出する。ある程度くだいて訳

    アルベール・カミュ、1945年8月8日付け『コンバ』紙社説 - fenestrae
  • Hugo Strikes Back!: 『三島由紀夫は少年文学』 深沢七郎

    引き続き、『生きているのはひまつぶし 深沢七郎未発表作品集』より抜書き。『三島由紀夫は少年文学』 深沢七郎 三島由紀夫が死んだときに、ああ、この人は自分の小説が少年の世界、文学少年のまんまの小説だっていうのを、四十五(歳)の目で見てわかったんだなと思った。三島由紀夫っていう人は頭が良かったから、自分の小説が四十五歳の人間が書く小説ではないということがわかったわけです。そこに、限界を感じ、絶望して、それで政治に走ったなって思ったね。結局、文学の世界が三島由紀夫をああいいうふうに殺してしまった。あんたもう、ダメですってね。  ある意味で、頭がいいということは自分を誤っちゃうね、ちょっと水泳がうまいからといって水泳を一生懸命やったり、柔道や剣道がうまいからといってやりすぎて、体をこわしちゃうのと同じことだ。”ちょっとした生兵法、大けがのもと”というのが三島由紀夫じゃないかな。あの人はお坊ちゃん育

  • 聖書学云々 - finalventの日記

    ⇒極東ブログ: ユダの福音書 よろしければ、聖書学を学ぶきっかけについてお聞きしたいです。そして学ぶことで内部的になにがどうなったのかに興味があります。 これは語る時によっていろいろ変わったりします。喧嘩をどっち側から見るかみたいな相の問題。 今思うと、私は、他の領域でもそうだけど、いい加減なウソ教えられると根に持つんですね。それを自分なりに解決しようと。 昨今ではそうでもなくなったけど、私が青春のころまでは、近代日の倫理の一つの型にキリスト教があったんですよ。そしていろいろな形でそれが浸透していた。その決着で聖書学も勉強しました。たいしたことはしてないんですが、実家の書架からギリシア語聖書やラテン語聖書、辞書なんかごろっと出てきてぞっとするくらいは勉強しました。 あと山七平、遠藤周作、森有正とか好きだったしとか。 で内部的にどう変わったか。これはよくわかりません。 学問として面白い面

    聖書学云々 - finalventの日記
    microtesto
    microtesto 2006/12/19
    聖書学は難度が高くて敬遠してたのだけれど面白そうですな。
  • 夏目漱石とカール・シュミット

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