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ブックマーク / borges.blog118.fc2.com (6)

  • 鈴村智久の研究室 レジス・ドブレのメディオロジー、あるいはドゥルーズ=ガタリの逃走線について

    「 公式サイト Bienvenue sur le site de Régis Debray 」 メディア圏について レジス・ドブレの提唱している「メディオロジー」に注目している。 著作集は今後も読み進める予定だが、何故私が彼に関心を持ったのかを記しておく。 まず、ドブレには明瞭な「思想体系」がないからだ。 いわば、彼の思想は逃走線(ドゥルーズ&ガタリ)であり、完全な遊牧型の利便的ツールである。 更に、面白いことに、彼がカトリック教会について積極的に言及していることもあげられる。 ドブレのメディオロジーであるが、これは実はドゥルーズ&ガタリが『千のプラトー』で述べていたリゾーム論、或いはノマドロジーと「同じ」である。 ただ、問題意識がより鋭敏化されているので、ポスト・ドゥルーズ時代の思想家と規定できるだろう。 肝心のドブレの理論だが、解り易いように上にモデル図を作成しておいた。 A~Eは、「

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    mn_kr
    mn_kr 2008/12/05
    “「CATHOLIC DESIGN1・0」とは、「ジャケット」「ブーツ」「ブローチ」「ヘアスタイル」「ズボン」「マフラー」その他あらゆる偉大なる「身体論的マテリア」における徹底的なギヨーム・ド・ロリス主義を意味”
  • 鈴村智久の研究室 カトリックのオシャレについて

    ファッションは単なるセクシーよりも、偉大な概念を表現する」 by  クレイ・ウィーナー 最近、デザインの研究に集中しています。 デザインというのは、もちろん「デザイン」という学があるわけですが、それプラス、自分の外面のデザインですね。 前回も書きましたが、私はカトリックとして、月に一度は教会の皆さんの前で聖書を朗読する機会があります。 少しでもデザイン的に均整の取れた姿で前に立ちたいものですよね。 私はあまり派手なものは好きではないのですが、最近はかなり服に投資しています。 真剣に外面をデザインしていく中で、かなり世界観が変わってくるんですね。 地元にある「キング・ファミリー」という古着屋で、それほど高くはありませんがわりかし私が考えている「スタイリッシュ」なデザインに合った服を買っています。 今、私はヘアスタイルも地毛で、眼鏡もかけてしまっているのですが、次の給料でコンタクトに変えて、

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    mn_kr 2008/07/12
    ドブレ(debray)
  • 鈴村智久の研究室 小説の構想

    イポリット・フランドラン「若い男性の裸体」 小説の構想 「Web2・0」という現代的な主題から、一つ特化して「Page Not Found」に着目し、それらに関する10ほどの短編小説を『Alexandrie garçons』に編集した。 今、我々は何を描くべきなのだろうか? 「Web」という主題は、生涯追及するものではない。 それは、可能的に一つの主題としてあったのである。 Webを主題にすることに拘泥することには意味はない。 では、我々は、何を描くべきなのか? かくして、再び出発点に戻ったのであった。 今の時期は、デッサンを幾つも描き出す時である。 そのためには、主題が必要なのである。 では、その主題とは、何であるのか? 方法1 想像的私小説 エッセイ的な日常生活を中心にして、そこに虚構性を介在させる方法論である。 代表的な作家には、小島信夫、大江健三郎がいる。 これは比較的自由度が高い

  • 鈴村智久の研究室 ジャック・デリダ『雄羊』

    ちくま学芸文庫 雄羊 [原書名:B´ELIERS〈Derrida, Jacques〉 ] ISBN:9784480090201 (4480090207) 206p 15cm(A6) 筑摩書房 (2006-11-10出版) デリダ,ジャック【著】〈Derrida,Jacques〉・林 好雄【訳】 [文庫 判] NDC分類:135.5 販売価:\1,050(税込) (体価:\1,000) 2003年、ハイデルベルク大学におけるハンス=ゲオルク・ガダマー記念講演。 1981年、デリダと現代哲学の泰斗ガダマーの最初の出会いは、表面上不首尾に終ったように見えたが、実は当の対話、もはや途切れることのない対話がそのとき始まったことを示す。 また、もう一人の友であるパウル・ツェランの『息の転回』所収の詩「雄羊」の読解を通じて、詩こそが「真の対話」であり、他者との「出会いの秘密」であることを明らかにする

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    mn_kr 2008/03/28
    人間の死とその度ごとの「一つの世界の終焉」について
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