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ブックマーク / innhatrang.hatenadiary.org (3)

  • land and ground 「ベトナムから東浩紀に挑戦する」

    『思想地図』が出版されるようである。予告どおり、ここに完成稿を公開する。もとより勝手な「挑戦」であるから、その結果については読む方の判断にゆだねたい。 「トランスクリティークとポストモダン」 なお、これまでいささか冗長な「草稿」を公開してきたが、稿はそれとは独立した単独の論稿である。それでも、稿を読んで細かい議論に興味をもった方には、「草稿」と「『世界共和国へ』を読む」は参考になると思う。サルトルについては、あらためて時間をかけて取り組むつもりである。 また、稿の完成に先立って柄谷行人氏とお会いする機会があった。後半部分は、そのときのやりとりに着想をえて書いたものである。付記するとともに、この場を借りてあらためて柄谷氏に謝意を述べたい。 鈴木 基 ポスト・モダンな言説の「嵐」は、すでに少数の学者・批評家の範囲をこえて吹きまくっている。私自身の書いたものがその原因の一端であるといわれる

    land and ground 「ベトナムから東浩紀に挑戦する」
  • 2008-04-24 - land and ground [「トランスクリティークとポストモダン」草稿]柄谷行人を読む(37)補論II:「日本ポストモダニズムの<起源>:柄谷行人、浅田彰、東浩紀」前編

    柄谷行人の「言語・数・貨幣」は、第二章から唐突に議論の様相が変化する。この論稿は、「内省と遡行」(1980年)以降の柄谷の試みの集大成となるべく、1983年4月から雑誌「海」に連載がはじまった。しかし、その議論は途中から動揺し、同10月には未完のまま連載が終了してしまう。そしてその後、柄谷が同じ試みを繰り返すことはなかった。なぜ、それは打ち切られなくてはならなかったのか。おそらくそれを解明する鍵が、この第二章にある。 整理してみよう。「言語・数・貨幣」の議論は、基的には先行する論稿「形式化の諸問題」の構図を踏襲している。最初に柄谷は、形式化と形式体系を区別する。そして形式化の徹底により、形式体系は自己言及的な形式体系となるとする。この自己言及的な形式体系において、一元的な形式体系はその一元性を保証するものを失い、解体される。同時に一元的な体系は、自己言及的な形式体系の自己言及性を禁止する

  • 柄谷行人にウナギをおごってもらった話- land and ground

    4ヶ月ほど前に、柄谷行人に会った。 今年の1月、大阪で開かれるアジア感染症フォーラムに参加するため、半年ぶりに一時帰国した。 発表を終えたその日の夜、私は関西空港の隣にあるホテル日航の部屋で、ひとり缶ビールを飲みながら、ソウルの研究所とメールでやりとりしていた。 返事を待つ間、ちょうどそのころYouTubeにアップされたばかりの柄谷行人のスタンフォード大学での講義を聴いた。 相変わらずだなあと思っているうちに、いつの間にか私は、柄谷氏に「ぜひお会いしたい」と英語でメールを送っていた。 発表が終った開放感に、酔った勢いが重なったのだろう。 翌朝、福岡に向かう新幹線のなかで、なぜあんなことをしたのかという多少の後悔の念がよぎったが、どうせ無視されるだけだろうと自分を納得させた。 夜、長崎に着き、大学病院の近くの浜口町の安ホテルでパソコンを開く。 ソウルからの大量のメールにまぎれて柄谷氏からの返

    柄谷行人にウナギをおごってもらった話- land and ground
    mn_kr
    mn_kr 2008/05/26
    “氏ははじめて嬉しそうな表情をみせ、「当時はあまり反応がなかったけど、最近になってようやく『批評空間』が重要だったと言われるようになったんだよ」というようなことを言っていた。”
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