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ブックマーク / takemita.hatenadiary.org (2)

  • なんでコミュニケイションが社会的システムの要素だといえるの? - たけみたの脱社会学日記

    オートポイエーシスっていうよね。自己生産のことだよ。それも、なんでも自己生産ってことで、だから構造の自己生産しか考えていなかった自己組織化理論より強力で、ターボチャージャー付いてるってルーマン先生も言ってるよ。 なんでもっていうのは、あるシステムに属するものはなんでもってことで、構造以外に、そのシステムそのものも、要素も、なんであれ一単位(Einheit)として数えられるものはなんでもってことだよ。「あるシステムで一単位として扱われるものは、そのシステムによって一単位として構成されないといけない」っていうよ。 で、このオートポイエーシス的な社会的システムの要素は、コミュニケイションなんだって。ルーマン先生がいうには、コミュニケイションていうのは、情報と、その情報を発信する行為と、その行為の理解の3つの選択的な出来事の綜合なんだって。綜合っていうのは別々のものが合わさって一つになるってことだ

    なんでコミュニケイションが社会的システムの要素だといえるの? - たけみたの脱社会学日記
  • 北田暁大『責任と正義』合評会レジュメ - たけみたの脱社会学日記

    責任と正義―リベラリズムの居場所 作者: 北田暁大出版社/メーカー: 勁草書房発売日: 2003/10メディア: 単行 クリック: 18回この商品を含むブログ (81件) を見るこの書評論文「『責任と正義』の論理」がもう少ししたら出る『書評ソシオロゴス』の2号に掲載されます。昨日校正済み原稿を提出したので、その記念に、この原稿の元になった合評会報告を以下に載せておきます。私がD2のときのものです(いまD5(泣))。2003年12月18日に、東大社会学研究室の言語研究会とロールズ研究会の共催で開いた著者臨席の合評会での報告です。なお、上記書評論文の内容は基的に下記報告に基づいていますが、個々の論点の評価も含めた内容は同じではありませんし、そもそも論文の方は400字詰めで140枚もあります。あと、自分の未熟さについての自覚が口の悪さとして表れていますが、未熟な奴めと笑っていただければ幸

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