「私は沖縄人です。日本人ではありません」。米軍統治下の沖縄に生まれた写真家石川真生(まお)さん(70)は、沖縄復帰前夜の米軍基地存続への抵抗運動の中で、目の前で人が死ぬのを見たことをきっかけに、基地問題に揺れる沖縄や、沖縄で生きる人たちを撮り続けてきた。都内で開催中の石川さんの初期からの作品が並ぶ写真展「私に何ができるか」で、突きつけられる沖縄の現実とは―。(片山夏子)
「私は沖縄人です。日本人ではありません」。米軍統治下の沖縄に生まれた写真家石川真生(まお)さん(70)は、沖縄復帰前夜の米軍基地存続への抵抗運動の中で、目の前で人が死ぬのを見たことをきっかけに、基地問題に揺れる沖縄や、沖縄で生きる人たちを撮り続けてきた。都内で開催中の石川さんの初期からの作品が並ぶ写真展「私に何ができるか」で、突きつけられる沖縄の現実とは―。(片山夏子)
ずっと沖縄に住み、油彩画を描き続けてきたが、米軍基地をテーマにするようになったのは5年ほど前から。沖縄県立芸大を卒業後は県内の私立中・高校で美術を教えていた。2008年以降は創作活動に専念するようになったが、人物画を中心に描いていた。 転機となったのは、アトリエを那覇市内から沖縄県沖縄市に移したこと。近くに、極東最大の米空軍基地・嘉手納飛行場があり、道すがら関連施設が目に入ってくる。基地の存在を今まで以上に強く意識するようになった。「毎日見たくなくて、苦しい」という気持ちが徐々に募っていった。 それまで、絵画、芸術は基地や戦争といったことと切り離されたところにあると思っていた。周囲に沖縄戦や米軍基地を描く人もほとんどおらず、基地に対するスタンスは沖縄の人の中でもさまざま。「歓迎されないのではないかとか、基地を描くことに抵抗があった。描いちゃいけないと思っていた」という。それでも、一度描き出
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く