22日午前11時55分ごろ、仙台市若林区河原町1丁目の市道で、停車していた日本維新の会の街宣車が市バスの通行を妨げ、バスに約15分の遅れが生じた。 市交通局によると、街宣車は一方通行の2車線の右側に停車しており、近くの交差点から左折で入ろうとしたバスの進路をふさいだ。維新の早坂敦衆院議員(比例東北…
22日午前11時55分ごろ、仙台市若林区河原町1丁目の市道で、停車していた日本維新の会の街宣車が市バスの通行を妨げ、バスに約15分の遅れが生じた。 市交通局によると、街宣車は一方通行の2車線の右側に停車しており、近くの交差点から左折で入ろうとしたバスの進路をふさいだ。維新の早坂敦衆院議員(比例東北…
22日投開票の宮城県議選で、女性候補が次々と県政界に風穴を開けた。立候補した14人のうち、10人が当選を決めた。過去最多だった8人を上回ったが、全体の2割に満たない状況に「女性にしか言えない悩みを吸い上げ、県政に届けたい」などと活躍を誓った。東北への勢力拡大の試金石と位置付けた日本維新の会は4人を…
宮城県石巻市の水産加工業さんりくフーズは3日までに事業を停止し、自己破産申請の準備に入った。帝国データバンク仙台支店によると、負債額は約2億円。 さんりくフーズは1965年設立。わかめや昆布といった海藻類の乾物、つくだ煮などの加工品を製造し、主に宮城県内や首都圏向けに販売してきた。 東日本大震災で…
最近日本維新関係のブログばかり書いていますが、今回も維新関係です。 当選議員を党派別で見ると、自民は18人で第1党を維持しましたが、選挙前に比べ、3人減らしました。 立憲は11人で、選挙前から1人減。公明は9人。立候補した全員が当選し選挙前の議席数を維持しました。 共産は、選挙前と同じ6人。 今回5つの選挙区に、それぞれ1人候補者を立てた維新は、5人全員が当選しました。維新が議席を獲得したのは初めてです。 また参政が1人当選。議席獲得は初めてです。 無所属は5人でした。 【速報】仙台市議選 顔ぶれ決まる 維新が5議席獲得し躍進 自民3減 立憲1減 | khb東日本放送 仙台市議選が行われ、維新が5選挙区に一人づつ擁立し、全員当選を果たしました。 個人的には選挙区一人だし全員上位当選するのかな、と思っていたのですが、なんか当落ギリギリの人がいたり、トップ当選は一人だけだったりと、東北では存在
宮城県富谷(とみや)市で、小中学校の学校給食費無償化が来年4月から実現します。県内の市としては初めて。日本共産党富谷市議団の議会論戦が市政を動かしています。 日本共産党富谷市議団は、以前から給食費の無償化を議会で取り上げてきました。藤原峻市議は、6月議会で他都市の事例を紹介しながら、「子育てにやさしいまちづくり宣言を表明する市として、まず中学校の無償化を」と質問。市は小中学校の給食費無償化で3億2000万円かかるとしながら、「検討する」と答弁しました。 その後、9月議会で市は段階的導入を表明し、藤原市議は物価高騰対策として早期実施を迫り、10月に開かれた議会全員協議会で若生裕俊市長は、来年度から小中学校の学校給食費の無償化の方針を示しました。 藤原市議は「市の財政は毎年黒字であり、コロナ禍と物価高騰で苦しむ市民生活を応援する施策は、まだまだ可能だ。引き続き議会で求めていきたい」と話していま
(写真)オンラインで懇談する(左上から時計回りに)町田、神山、中島、柴崎、熊谷、芳賀、岩渕、志位、石井の各氏=24日 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から11年。日本共産党の志位和夫委員長は24日、宮城県と福島県の市長、住民、漁協、学者、市民団体の代表らとオンラインで懇談し、復興状況や課題、要望などを聞きました。岩渕友参院議員が同席しました。 志位氏は「大震災から11年という時が経過し、新しい困難もあると思います。震災11年にあたっての現状と国への要望をお聞かせいただきたい」と問いかけました。 宮城県石巻市の斎藤正美市長は、復興に向けた課題について「復興後、コロナ収束後の経済の立て直しに取り組んでいかなければならない」と発言。人口減少の解消や交流人口を増やして地域経済の活性化を図ることが必要だと強調しました。 宮城県漁業協同組合の寺沢春彦組合長は、海洋環境の変化による不漁の問題につい
東日本大震災の発生から11年に合わせ、被災者とボランティアの関係性を扱ったドキュメンタリー映画が、4~13日にオンライン配信される。支援する側、支援される側という双方の立場からの葛藤を描いており、監督の我妻(あがつま)和樹さん(36)=宮城県白石市出身=は「被災地に思いを寄せた人、足を運んだ人など、震災によって生まれた人の出会いが復興の力になったということを、この映画を通して伝えたい」と呼びかけている。 タイトルは「千古里(ちこり)の空とマドレーヌ」。津波で甚大な被害を受けた宮城県南三陸町の集落「波伝谷(はでんや)」で、2011年12月から2012年4月に撮影された。津波から1軒だけ残ったペンションを舞台に、被災したパティシエの男性と関西などから支援に駆けつけたボランティアに密着。善意に感謝しながらも、支援を受けるという立場に戸惑うこともある被災者、相手が望まない支援をしているのではと悩む
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