私の関係している某社が、 iPad を 10台ほどまとめ買いすることを検討し始めた。何に使うのかというと、会議に使うのだという。役員会議に出席するじいさん連中にもたせるというのだ。 この会社では今、紙に印刷した資料(会社の月次決算、懸案事項、その他諸々)を、役員会議に出席する全員に配っている。ところがこの資料の作成が結構大変なのだ。いや、資料そのものは、日頃の業務でできているから、クリック一発で印刷される。大変なのは、その印刷された紙をソートしてまとめることだ。 データというのは、デジタルの形で存在する間は取り扱いが楽だが、一旦「モノ」の形になってしまうと、いきなりうっとうしいものになる。「印刷された紙」に姿を変えたデータは、ハンドリングだけでいやになる。 役員会議の前日は、担当者が必死になってコピーし、ソートし、ステープラーで留めている。ただでさえ人員不足なのに、こんな機械的な単純作業に
私はラジオ派なので、テレビの政見放送というのは全然見ないが、ラジオから聞こえてくるのを聞くともなしに聞いている。 画像での演出がない音声(つまり、候補者のしゃべり)だけで聞いていると、この国の政治家たちの言葉による説得力のなさがよくわかって、ちょっともの悲しい気持ちになる。 とくに政党ベースの政見放送を聞くと、自民党はじいさんの素人芝居、民主党は学芸会みたいなできで、もう少しなんとかならんものかという気がする。たまにテレビの前を通り過ぎると、自民党の CM では、麻生さんの自分でしゃべりながら自分で小首をかしげる悪い癖が直っていないので、いかにも自信なげに見えるし。 ところで、今回の選挙は民主党の圧勝が既定事実みたいに語られていて、民主党は政権交代を前提にしているとしか思えないものの言い方をしている。しかし、本当に「民主党の圧勝」が実現するのだろうか。私はまだ少し懐疑的だ。 自民党は、いか
昨日、乙痴庵さんからコメントで、「落語と手話と夢之助」という古い記事のタイトルから「落語」の 2文字が抜け落ちて、「と手話と夢之助」 になっていると知らせていただいた。 タイトルだけではない。本文からも「落語」の 2文字がすべて消えて、えらく読みにくくなっている。 さっそく修正したが、ゴキブリが一匹いたら百匹いると思えと言うので、Google で自分のブログ内検索をしてみた。もちろん、キーワードは「落語」である。私は案外「落語」の話題を使うので、結構な記事がヒットする。 そしてその記事の本文をみると、すべてのケースでというわけではないが、多くの記事の中に使われた「落語」の 2文字が見事に消えてしまっている。修正に大変な手間がかかった。それにしても、こりゃ一体、どういうわけなんだ。 咄嗟に思い浮かんだのは、ココログが 6月 30日に実施した大規模メンテである。あのメンテは、ココログ得意のチョ
不意に、「東京スカイツリー」 について書きたくなった。私はこの名称が決まる前に、"なんで「新東京タワー」じゃいけないの?" という記事を書いている。 その中で私は、"「東京スカイツリー」 なんて意味わからんし ……」なんて、かなり否定的なことを書いてしまっている。 当時、発表されていた名称の候補は、以下のようなものだった。 東京EDOタワー 東京スカイツリー みらいタワー ゆめみやぐら ライジングイーストタワー ライジングタワー どれもぱっとしないけど、なんだか下に行くほどお恥ずかしい感じのネーミングになるので、私としては、一番上の 「東京 EDO タワー」 が本命なんだろうなあと思っていた。だから、その後しばらくして「東京スカイツリー」に決定したと聞いて、がくっと腰が砕けたような気がしたものである。 その印象が後を引いているのでもあるまいが、私は今でもこの「東京スカイツリー」という名称の
なんだよ、肝心の部分が編集カットされてて、影も形もないじゃないか。昨夜帰宅して録画しておいてもらった日テレ「太田総理」 を見たのだが、ちょっとがっかりだった。(参照) 社民党の保坂氏の発言が一言もフィーチャーされていない。結局、選挙カーの本当のナンセンスさが十分には伝わらなかったなあ。 一昨日の記事「選挙って本当に馬鹿馬鹿しい」で紹介したように、保坂氏はご自身のブログで、以下のように書かれている。(参照) 公選法が求めているのは 「選挙カーの走行中に許されているのは連呼だけ」 というシュールな規定だったのだ。 これは私が "選挙カーの「連呼」は「迷信」から生じているらしい" という記事で、7年も前からその馬鹿馬鹿しさを指摘し続けてきたことである。「選挙カーの連呼はうるさいだけ」 とよく言われるが、そもそも選挙カーの走行中は連呼しかしちゃいけないと、公選法で定められているのだ。まったく馬鹿馬
一昨年 4月 17日付の記事に対するコメントとして山辺響さんが、社民党の保坂展人氏のブログから私の本宅サイトの記事にリンクが張られていると知らせてくださった。 なるほど、彼の昨日付の記事が、私の "選挙カーの「連呼」は「迷信」から生じているらしい" という記事を紹介してくれている。 ただ、私のサブサイト「知の関節技」が、「知の間接技」と表記されてしまっているのは、何とかしてもらいたいのだが、保坂氏のブログはコメントを受け付けない設定になっているので、ノーティスできないのが残念だ。これだけでなく、この人のブログ、かなり誤字脱字が多い。早く気付いて修正してくれないかなあ。(注: 28日に修正確認) 私の記事は、公職選挙法においては選挙カーでは走行中は候補者の名前の連呼しかしちゃいけないということになっていることに、強烈に疑問を呈したものだ。私はこの問題に関してはかなり執念を燃やしている。当ブロ
すき家の店内の壁に "Sukiya is delicious." と書いてあることもあって、「すき屋は食えない」と指摘しちゃった(参照)わけだが、コメントで当然の如く Engrish に話題が飛んだ。 で、さらに長嶋さんのあの妙な英語らしきものの話題に及び、それに止まらず、長嶋流のレトリックまでまな板にのってしまった。 私は長嶋さんのレトリックの中では、あまり知られていないけれども、決定版とも言える材料をもっている。そのことについては、大分前に、こちら に書いておいたのだけれど、格納場所があまりにも目立たないところなので、あまり読まれていない。それでこの際、改めてブログに書いて紹介してしまおうと思うのである。 これはとても古い話なのだが、「知られざる重大発言」である。昭和 55年に、長嶋さんが巨人軍監督(第1期)を辞める(実際は辞めさせられる)ことになった時のことだから、もう 29年も前の
秋田連続児童殺害事件で、控訴審判決は第一審の無期懲役を支持する判決を下した。この件に関して、産経ニュースがかなり詳細な長文の記事を載せている (参照)。 全文を読み切るのが疲れるほどの長文なので、ざっとした確認をされたい場合は、時事ドットコムのニュースの方が手短だ (参照)。 産経ニュースがこれほどまでに長文の記事を書いてしまったのは、この理解しにくい事件の裁判過程で複数の視点からの検証を行い、ぎりぎりまともに思えそうな結論として「無期懲役」に辿り着かざるをえなかったというプロセスを、できるだけ忠実に追おうとしたからだろう。それほど、「フツー」 に考えては合理的な理解がしにくい事件なのだ。 私はこの事件直後の平成 18年 6月に、「ロジカルな犯罪、ロジカルでない犯罪」 という記事を書いていて、その中で次のように述べている。 世の人は、「どうして、近所の子どもを殺したのか?」と口にするが、「
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