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【ソウル聯合ニュース】下村博文文部科学相が26日の衆院文科委員会で、河野談話と村山談話について教科書検定基準における「政府の統一的見解」にはあたらないと述べたことを受け、韓国外交部の趙泰永(チョ・テヨン)報道官は27日の定例会見で「非常に望ましくない発言」と批判した。 趙報道官は、このような言動は繰り返されてはならないとした上で、「安倍晋三首相が村山談話を含む歴代内閣の歴史認識を継承し、河野談話を修正するつもりがないと発言したことを重視している」と強調した。 自民党が韓国や中国による反日宣伝に対抗する委員会を設置するという日本メディアの報道に対しては、「反日ではなく、日本国内の誤った考えを持つ人に対し、誤りを認めて直せと言うべきで、出発点が間違っている」と批判した。 一方、日本維新の会の石原慎太郎共同代表が25日、日本外国特派員協会で行った記者会見で朝鮮半島の植民地支配は自衛のためだったと
日本の下村博文文部科学相が26日、衆院文部科学委員会に出席し、日本軍慰安婦動員の強制性を認めた河野談話と植民支配を謝罪した村山談話について「『政府の統一的見解』にはあたらない」と述べたと、日本メディアが伝えた。 韓国メディアは27日、こうした内容を報道し、安倍内閣の閣僚が韓日米首脳会談開催の翌日にまた歴史否定発言をし、韓日関係改善の期待感に冷や水を浴びせていると批判した。 一方、韓国外交部報道官は27日の定例記者会見で、「育っていく世代に正しい歴史認識を教えるべき文部科学相が、村山談話と河野談話について、検定基準における政府の統一的見解にはあたらないと発言したが、これは非常に望ましくない発言」とし「こうした言動が繰り返されてはならない」と述べた。
2012年9月に、韓国の新聞紙に吉見義明教授のインタビューが掲載された。 http://stoo.asiae.co.kr/news/stview.htm?idxno=2012090109544622810 それが2ちゃんねるに日本語訳されて転載された時、その記事中に登場する「強制募集」という言葉に対し、数多くの批判があった。 http://desktop2ch.tv/news4plus/1346503342/ 2<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん[] 投稿日:2012/09/01 21:43:13 id:RWSa/orS(1) 強制募集って新しい言葉だなwww 相反するという概念がねーんだろうなw 以降の書き込みも大同小異。「強制」と「募集」が同時に成り立たないという主張ばかり。 2ちゃんねるまとめブログも、「強制募集」という言葉に対して、独自のタイトルで吉見教授発案であるかの
正字正かなの人として名高い野嵜健秀( @nozakitakehide )さんが怒涛の勢いで南京否定論を展開されていたので、思わずまとめてしまいました。 野嵜さんらしい独特の正義感に基づく立論が凡百の歴史修正主義者とは一線を劃しており(http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20120228/p1 に挙げられた分類のどれにも当てはまりません)、興味深いです。 が、南京大虐殺を否定するという日本人の自尊感情を充足する方向にその正義感が向いているという事実に少しだけ不安になります。 なお、まとめ人は南京での個々の暴力事件はあったのだろうし、それは偶発的な面と組織的な面があり、全体として旧軍の責任は問われるべき、上級指揮官が戦犯とされたことは妥当だと考えております。
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http://togetter.com/li/46923 大学生がぽろっと自分のカンニングについてネットでつぶやいてしまうことと、アカポスもってる研究者(特に人文・社会系の)が公然と歴史修正主義やレイシズムを容認してしまうこととを比較するなら、言うまでもなく後者の方が許し難いことである。前者はたかだか自分自身とカンニングに加担した友人に不利益になることでしかないのに対し、後者はこの世界を支えている信を掘り崩す企てに加担する(しかも、たいていの場合そうしているという自覚すらなしに!)ことだからである。 ネットどころかオモテの社会でも歴史修正主義が放任されていることをなんとも思わないのにカンニングをうっかり自白しちゃう学生が許せない、なんてのはもう物差しが狂っているとしか言いようがないし、そんな歪んだ物差しの持ち主を論壇時評に登用する朝日新聞がサヨクだとかいった悪い冗談は頼むからやめてほしい。
ウィキペディアは非常に便利な反面、稀に嘘が紛れ込んでいる。何も知らない人が、自分を物知りと勘違いして自分の思いこみを書き込むからである。近衛基平のところでは岩波書店の社長の安江良介氏を『深心院関白記』の解説執筆者と勘違いするほど業界関係に無知な人(喩えれば阪神タイガースの四番を坂井オーナーと勘違いしているレベル)が恥ずかしげもなく書き込んでいるわけで、今回のもかなりひどいレベル。 関係部分を引用。 1271年9月、三別抄からの使者が来着した直後に、元使の趙良弼らが元への服属を命じる国書を携えて5度目の使節としてきた際には、幕府はこれを朝廷に進上した。朝廷は急いで伊勢に勅使を派遣し、神々に異国降伏を祈った。朝廷内部では返事を出すかどうかで論争されたが、幕府が返事を出す事に反対した事、朝廷内でも「蒙古の要求に屈するべきではない」という強硬論が強かった事から、朝廷・幕府ともに国書を黙殺する事にな
太平洋戦争で空襲を受けた人の手記や、日本を爆撃した部隊の文書など、日米双方の資料をインターネットで公開する「日本空襲デジタルアーカイブ」を設立する計画を、神奈川県在住の米国人男性らが進めている。空襲の実態を国際的に広める目的で、十一月末にも日英二カ国語のサイトを始める予定。世界中の研究者や一般市民が無料で閲覧でき、日本の研究者らは「空襲の実態を発信するきっかけになる」と歓迎している。 (社会部・橋本誠) 計画しているのは、同県小田原市で英会話教室を経営するブレット・フィスクさん(37)と、米ニューヨーク市立大のケリー・カラカス准教授(39)。 フィスクさんは二十歳で来日し、日本人と結婚。三年前、本業の傍ら書いている小説の取材で、空襲の記録を調査。約十万人が亡くなった一九四五年三月十日の東京大空襲を知った。 早速、古書店で体験者の手記を購入。読み始めると、川に飛び込んで両親と別れた女性や、子
順調に「保守」の論客として出演の場を広げているようで、何より。しかしチャンネル桜は「保守本流」ではなく、傍流や異端もいいところだと思うのだが。 チャンネル桜に出演しました!【古谷経衡】日韓のこれから NHKのこれから[桜H22/8/25] - アニオタ保守本流 番組の裏舞台、カットされた部分以外に、もののけ姫、アニメンタリー決断の話、若者の保守化は嘘!若者は中道化している!、若者は真実に気付き始めている!、『新しい中道』を目指そう!の話もしました! 主張に対しては興味がわかなかったが、網野史観を背景にしている映画『もののけ姫』をチャンネル桜でどう語るのかは気になったので、エントリに張られたYOUTUBEを見ることにした。 前半のほとんどはaniotahosyu氏がエントリとして先日から提示していたものと同じで、内容に新味はない。アニメにからめた話が始まるのは16分くらいから。 まず、学校で
■ 史実1 オトポール事件について 話の一つのヤマとなっております樋口中将(最終階級)が満州でユダヤ難民2万人を救った逸話(「オトポール事件」とこの稿では呼称します)の事実関係について少しふれたいと思います。 私もこの話を最初にきいたときは、拍手をおくりたくなるような思いにとらわれましたが、実はこれは少し怪しい話なのです。 といいますのは、このエピソードは、樋口中将自身の手記「アッツキスカ軍司令官の回想録」(芙蓉書房)以外には記述されている書物が見あたらないのです。ほかには光人社から出版されている相良俊輔氏の「流氷の海」がありますが、この本は樋口中将の手記を小説風に描いたものですので、事実確認をとるには無理な本ですし、根拠にはできません。 2万人ものユダヤ人を助けたのであれば、「私はゼネラル・ヒグチに助けられた」という証言者があっていいはずですが、私の調べた限りでは皆無です。ちなみ
樋口季一郎 - Wikipedia 樋口季一郎のユダヤ人救済の評価は六千人のユダヤ人難民を救済した杉原千畝ほどには確定していない。 昭和十三年三月十日、ドイツのナチスの手を逃れた二万のユダヤ難民がソ連領を横断し、満州国西部国境、満州里駅の対岸オトポールに流れ込んできた。当時ソ連政府はドイツに気兼ねしてユダヤ人難民がソ連領内に留まることを許していなかった。難民が当面逃れる先は満州国よりほかなかった。満州国を経由して上海、そして上海から米国や日本の神戸などへ落ち着く先を求めた。 当時日本は日独伊三国同盟を結んでいたので、満州国でも関東軍への遠慮から容易くは難民を受け入れる状況ではなかった。このときヒューマニズムの精神からユダヤ人難民の満州国受け入れに奔走したのが、関東軍の樋口特務機関長であった。この辺の事情は彼の著書『陸軍中将 樋口季一郎回想録』にも書かれている。 樋口のユダヤ人難民救済が旧軍
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