序 2009年1月30日,約20年間の世界保健機関(WHO)での仕事を終え,帰国.引越しの荷物に手を着けるまもなく,2月2日より母校・自治医科大学での仕事が始まった.亜熱帯・マニラにおける長い生活で汗腺の緩んだ身には,母国の厳寒は堪えた. 4月に入り,久しく味わう機会のなかった「日本の桜」に接すると,多くの出来事が凝縮していたWHOでの20年間も,遠い昔のことのように思えた.徐々に日本での生活,仕事に慣れてきた. そうした中,医学書院の担当編集者から,「WHOにおける感染症対策などの仕事を,単行本としてまとめてはどうですか」との提案があった.私は,気が進まなかった. 同じ医学書院からの勧めで,私はWHO西太平洋地域事務局長としての仕事や考えを,2004年から2009年までの5年間,毎月,雑誌『公衆衛生』に連載していた.WHOでの仕事の主要な部分は,すでにこの連載に記録として残した,という気