司馬遼太郎文体でエヴァを書く試み。 「エヴァに乗れ、乗らないなら帰れ」 父はそう言うが、 (それはなかなか難しかろうな) とシンジは密かに思っていた。シンジの見立てる所、既に彼を呼んだ時点で父の腹積もりは決まっているらしい。 (… https://t.co/McYk9Fsebz
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話題は珍説・奇説を広めておられる小説家たちのことに及んだ。 みんな否定的ではない。 私はそのロールモデルの1人として、作家・八切止夫(1914?〜87)の名前をあげた。日本ならではの歴史異説ブームは、彼の独自性によるところが強いと思っていた。 すると、ある友人は「みんな忘れがちなことだが、八切氏が増産したトンデモ説は、彼はそれを小説という形の範囲を守っている」という趣旨の指摘をされた。 一部の作家が「小説家」の肩書きを使い、小説ではない場で放談をされているのは、八切流と違うというのである。 この点、言われてみるまで本当に忘れがちだったことに気づいた。 確かに小説の中でなら、どのような嘘をついても大きな問題はないと私は思う。ただし、これからはそれも許されなくなっていくかもしれない。 八切作品が小説の範囲で、小説とは思えない技法を(意識的にか無意識にかはわからないが)使ったことで誤解され、その
―― 佐高さんは著書の中で司馬遼太郎を批判しようとした時に出版社から止められたと書かれていますが、その時のことについて詳しく教えてください。 佐高信(以下、佐高) 『噂の真相』に司馬遼太郎の批判記事を書いていて、それを他の出版社から出す時評集に入れようということになったんです。しかし、編集者に司馬遼太郎批判の記事だけ外してくれと言われた。そういうことが一度や二度ではなく何度もありました。対立すると言われている朝日新聞から産経新聞までみんな司馬遼太郎のことを持ち上げている状況でしたから。司馬批判をしている『司馬遼太郎と藤沢周平』という本は一九九九年に光文社から出したんですが、光文社は昔、有名になる前の司馬遼太郎の作品を蹴飛ばしたらしい。それで司馬遼太郎は光文社から作品を出さないということになっていたようです。だから光文社は批判本が出せた(笑)。司馬遼太郎と利害関係のあるほとんどのメディアは司
まとめ 「司馬遼太郎はどういう風に、シロウトをだましてきたのか?」(※褒め言葉) ホントはタイトル「司馬遼太郎作品の史実と創作部分」みたいな穏健なのも考えたのだけどね…冗談抜きで、ホントに『作家』司馬遼太郎への称賛として「シロートをだましてるなあ」と。それはシロート代表の当方が認定する。 そのへんのことをいろいろと。 302382 pv 1869 391 users 476 まとめ メッケルが関ヶ原の布陣図を見て「西軍の勝ち」といったのは創作の疑いがあるという話と当時の混乱した状況 メッケルと司馬遼太郎に関しては確実な証拠が有るわけではないので「ほぼ」ってことを強調しておきます。 追記 色々調べられた方のお陰で海音寺潮五郎の名前も出て来ました。創作なのか?だとしたら司馬なのか海音寺なのか?謎は深まりました。 66614 pv 579 76 users 25 まとめ 「メッケルの関ヶ原西軍勝
統一教会が四大名節と呼ぶ記念日には、早朝5時からの「敬礼式」中、日本の昭和天皇、アメリカ合衆国のロナルド・レーガン大統領、韓国の全斗煥大統領、等各国代表の身代わりをそれぞれその国の教団幹部が担当して聖壇に座った文鮮明夫妻に対し拝跪する儀式が行われていた。赤旗社会部は、この際に昭和天皇の身代わりとなり文鮮明夫妻に対し拝跪したのは日本統一教会の長であった久保木修己であったと述べている[122]。 有史以来、全世界にわたって発達してきた宗教と科学、即ち、精神文明と物質文明とは韓国を中心として、みな一つの真理のもとに吸収融合され、神が望まれる理想世界のものとして結実しなければならないのである(略)人類の父母となられたイエスが韓国に再臨されることが事実であるならば、その方は間違いなく韓国語を使われるであろうから、韓国語はまさに祖国語となるであろう[96]。したがってすべての民族はこの祖国語を使用せざ
記事:平凡社 『竜女戦記 1』(2020年5月22日発行)三匹の竜が住まう国・陀国。戦の絶えないこの国で、 また一つ、新たな争いが勃発する。国を追われた「たか」は、家族の命運を背負いながら、 この世界にどう立ち向かうのか!? 主婦が天下を取る、壮大な歴史ファンタジーの幕が上がる! 書籍情報はこちら 世界観のあるエンタメの作り方とは ──今回は、初めて歴史をテーマにした作品に挑戦していますね。 子どもの頃から世界史が好きで、歴史的な事物を描きたいという気持ちはずっとありました。大学で文化人類学に進んだのも、世界史好きの延長で、異なる文化世界、壮大な人類史のロマンに惹かれた、ということがあります。50歳をすぎて、本当に自分の描きたいものは何かを考えた結果、やっぱり歴史を描きたいという気持ちに戻ったと言えます。 ──今回の『竜女戦記』では、過去の歴史を素材としつつ、ファンタジーを絡める発想が面白
振り返れば「この国のかたち」を左右する分岐点だった――。7月の参院選はそんな選挙になるかもしれない。参院で、憲法改正に前向きな勢力が3分の2以上の議席を取れば、改憲発議に必要な条件をクリアするからだ。岸田文雄首相は就任直後の所信表明演説で、改憲について「国民的な議論を積極的に深めていただくことを期待します」と述べた。直後には、コロナ禍を団結で乗り越えてきたとして「社会の底力を強く感じます。まさに、『この国のかたち』の原点です」と語った。同名の随筆の著者は、日本が戦争に進んだ力学を分析し、行く末を案じていた司馬遼太郎さんだ。その最後の「お手伝い」を務めた村木嵐(らん)さん(54)は今の改憲論議を危ぶみ、司馬さんのある言葉を思い出すという。
笹塚🎋🦈🔧5/4東2ノ23a @waiwai1132 20↑。サークル/ササドコロ。OP:ZS&SZ。境ホラ点メア。fategoヴラロビ。 BMBモクチェズ。ワートリ太刀忍。リバ有り雑食。デザイン協力受付中、ご依頼はDMで!RTふぁぼ超多。 pixiv:1664607。18↑推奨。リンクは拍手。アイコンはぬえ(@nue_oh)さん! clap.webclap.com/clap.php?id=wa… 笹塚🎋🦈🔧9/24東4ス16b @waiwai1132 幕末ちゃんと履修するか〜ってちょろっと調べたら、 「○○とされているが、司馬遼太郎の創作」 「○○とされているが、司馬遼太郎の創作」 「○○とされているが、司馬遼太郎の創作」 「○○とされているが、司馬遼太郎の創作」 「○○とされているが、司馬遼太郎の創作」 があまりに多くて投げたよね 2020-10-12 15:30:46
目次 李登輝元総統のご逝去に哀悼の意を表します 三度目の台湾(抜粋)(平成六年三月)*1 ふるさとへまわる六部の気の弱り 本文 李登輝元総統のご逝去に哀悼の意を表します 台湾、民主主義の父、李登輝元総統が2020年7月30日、お亡くなりになられました。 謹んで哀悼の意を表します。 台湾 李登輝元総統(Wikiより) 司馬遼太郎さんと同じ大正十二年(1923年)生まれ。 ともに22才で太平洋戦争の終戦を迎えました。 その後、司馬さんは日本を代表する歴史小説家、李さんは台湾の民主主義のリーダーとして、それぞれに違う人生を歩みますが、同世代の深い友情は生涯、変わりませんでした。 短いエッセイを書いた司馬さんは、2年後の平成8年2月に生涯を閉じられましたので、台湾へ最後の旅だったのかも知れません。 三度目の台湾(抜粋)(平成六年三月)*1 月末に台湾にきた。この二年で三度も台湾にきたことになる。と
はじめに 作家として初期の #司馬遼太郎 さんに #長髄彦 という短文のエッセイがあります。故郷の竹ノ内へのにじみ出る愛と #消された河内の古代史 のヒミツ。#ナガスネヒコ #ニギハヤヒ #竹内街道 目次 竹ノ内 司馬遼太郎さんの故郷 ナガスネヒコの古墳? アラハバキ解・汎日本古代信仰の謎に迫る【連載完結】第5章)フィールドワーク(葛木倭文座天羽雷命神社) 本文 竹ノ内 司馬遼太郎さんの故郷 司馬遼太郎さんの初期のエッセイ「長髄彦」*1を参考にしました(昭和35年、1960年) 大阪市出身(現在の浪速区)の司馬さんは幼少の頃は虚弱で、水と空気がキレイなお母さんの実家(現在の奈良県葛城市竹内)に里親に出されていました(北葛城郡磐城村竹ノ内) 大阪と奈良は北の生駒・信貴山系から南の葛城山系を県境としていますが、竹ノ内はその葛城山系の北端、二上山や竹ノ内峠の麓に位置します(竹内街道の奈良側) 葛
司馬遼太郎の時代-歴史と大衆教養主義 (中公新書 2720) 作者:福間 良明 中央公論新社 Amazon 「司馬さんの書かれるものは日本外史とでも呼ぶべき種類の史書ではあるまいか」とは、有吉佐和子の『坂の上の雲』評だ。このように、司馬遼太郎作品はたんなる歴史小説の枠をこえ、一種の教養本として読まれている。司馬作品は物語中にしばしば「余談」がさしはさまれ、そこでは司馬の政治や軍事、世論などへの見解が自在に語られる。こうした特徴は吉川英治や山岡荘八といった、それまでの歴史作家の作品にはないもので、読者の歴史への知的関心をかきたてるものだった。なぜ司馬の「歴史教養本」は時代に求められたのか。『司馬遼太郎の時代 歴史と大衆教養主義』によれば、司馬作品の人気を支えていたのは、昭和50年代に起きた「大衆歴史ブーム」だという。 昭和50年代に司馬作品を愛読していたのはおもに中年男性だが、かれらは教養主
はじめに 司馬遼太郎さんが子ども時代を過ごした竹ノ内(奈良県葛城市竹内)伝承の続き。昭和35年のショートエッセイより。長髄彦は出雲族の首長。葛城と国栖の血縁関係。驚きの内容 #国譲り #出雲後物部 目次 長髄彦(ナガスネヒコ)は出雲族の首長? 国譲りと出雲後物部(いずものちもののべ) 幻となった司馬さんの古代歴史小説 本文 前回記事。 www.zero-position.com 長髄彦(ナガスネヒコ)は出雲族の首長? 今回は初期のエッセイの「穴居人」*1を参考にしました(昭和35年、1960年) 新人作家の当時37才、大阪市内西区のマンモスアパート十階の二部屋の、ご本人いわく、穴ぐらのような狭い家に棲んでいて、まるで吉野の国栖人(くずびと)の断崖の穴居(けっきょ、国栖の穴)と同じようなものというユーモラスな筆致で描かれたエッセイ。 エッセイより)村の名を、竹ノ内という。古代出雲の首長であっ
はじめに 私の古代妄想史・2回目。初期の #司馬遼太郎 さんのエッセイに出雲の不思議な話が2つ。司馬さんの先輩T氏は島根(出雲)の名族出身。自分の代で出雲の社家をやめ大阪に出て新聞記者に。#語部 #斎木雲州 目次 司馬遼太郎が考えたこと(1)新潮文庫 背広姿のカタリベ 冨家伝承は異説なのか? 目の当たりにした驚きの飛鳥時代 アラハバキ解・汎日本古代信仰の謎に迫る(全54話完結) 本文 司馬遼太郎が考えたこと(1)新潮文庫 www.zero-position.com 司馬遼太郎が考えたこと1(新潮文庫) 新潮文庫のこのシリーズは15巻まで。ひとつひとつは比較的短文(今でいうならブログ風)で、今でも時々、手に取って読みます。 司馬さんは「30才過ぎたら物書きになる」と復員後、大阪で新聞記者となり、産経新聞に勤めながら歴史小説家としてのスタートを切ります。巻1(巻1は1953年10月(30才)~
興徳寺(大阪市中央区)満開の菜の花 2020年2月11日 真田丸顕彰碑前 司馬遼太郎さん(福田定一、1923年8月7日 - 1996年2月12日、享年72才)は大阪市浪速区塩草(現住所表示)で生まれた。 脚気(かっけ)の療養のため、竹内街道そばのお母様の実家に疎開し、二上山の麓の小学校に通った。 中学・高校は上宮学園(うえのみやがくえん、大阪市天王寺区上之宮町)に通い、 後に当時、天王寺区にあった大阪外国語大学モンゴル語学科に通った(現在は大阪国際交流センター) 中学・高校・大学を通して『上本町、うえほんまち』と云われる街に通学した。 www.zero-position.com ***** 浪速区の自宅(市内の西)から上本町へは、大阪市内を南北に伸びる上町台地の南、夕陽丘あたりの坂を歩いて通学した。 夕陽丘一帯には天王寺七坂があり、そのうちのひとつ、源聖寺坂(げんじょうじざか)が主な通学路
歴史好きのご多分に漏れず司馬遼太郎が大好きだった。学生時代に本当に読み尽くして、エッセイも評論も随筆も全部読んで、文字になっているもので読んでないものはないくらい読んだ。それくらい好きだった。 作品の中でも、みんなに人気があるのはどうやら「燃えよ剣」や「竜馬が行く」や「坂の上の雲」で、やはりどれもドラマ化とか映画化をされている。そしてどれも160年以内の非常に最近の日本人の話だ。だから今の我々と比較的似ていて、共感しやすいというのがあるのかもしれない。 でもやっぱり僕を魅了したのはちょっと古い時代の、しかもあんまり良くわからない(ということは想像するしかない)時代やジャンルの人間を描いた物語だった。 「箱根の坂」とか「梟の城」とかだ。戦国初期や戦国末期の、要するに日本人が徳川300年でステレオタイプに収まって行く前の時代の、イキイキと、そしてドロドロと生きていた、今の日本人とは全然種類の違
1996年(平成8年)2月12日、大阪・難波宮(法円坂)に隣接する国立大阪病院(当時)で永眠。 10日深夜、自宅で容態が悪くなり緊急入院、翌々日の8時50分。 72年の生涯を閉じたその日は、司馬さんが愛した花と季節にちなんで「菜の花忌」と呼ばれている。 ご自宅は今、司馬遼太郎記念館として、書斎のある家屋が保存され、隣接地に一般見学できる施設が建てられている。 司馬遼太郎記念館 書斎への小道 www.shibazaidan.or.jp 満開の菜の花 司馬遼太郎さんの書斎 記念館入口のスズカケの木。司馬さんは、栃木県佐野市の戦車駐屯地(当時、国民学校)で敗戦を迎えた。 一度は、そのために死を覚悟した「国」というものへの深い思考が後年、司馬さんを歴史小説家へと駆り立てた。 栃木県佐野市・植野小学校から贈られたスズカケの木 ふりむけば 又咲いている 花三千 仏三千 昭和61年春 二十一世紀に生きて
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【📸 "関白殿下是天下人也" 】 🔻数正が残した"ある物"とは? ━━━━━━━━━━━━━━https://t.co/apG3TO3EJK 「どこまでも、殿と一緒でござる」 そう誓ったはずの数正が姿を消し… 家康はがく然。家臣団に衝撃が走ります。#徳川家康 #松本潤 #どうする家康 pic.twitter.com/J7UzGCZkOK— 大河ドラマ「どうする家康」 (@nhk_ieyasu) August 27, 2023 【 🎬 徳川家臣団、バラバラに… 】 🔻 戦(いくさ)に抵抗する数正に家康は…? ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━https://t.co/Y8JH6wJGe4 数正は秀吉を恐れるあまり、 家康に上洛を進言。 弱腰?な数正の姿は まるで調略されたような様子で…#石川数正 #松重豊#どうする家康 pic.twitter.com/lhhw9NHS1q— 大
今週のお題「最近おもしろかった本」 先週のお題「最近おもしろかった本」 出典:「明治」という国家〔上〕 (NHKブックス) | 司馬 遼太郎 |本 | 通販 | Amazon 司馬遼太郎という名前だけで、尻込みしてしまう人も多いかと思います。 私はまったくそんなことなくて、今まで多くの司馬遼太郎作品を読んできましたが、1994年に発売された『「明治」という国家(上下巻)』については読んだことがなく、発売から四半世紀を経て初めて読んだんですけど・・・ なぜ発売から四半世紀も経過したここまで読まなかったかというと、本書が長編歴史小説でなかったから。 これは私だけかもしれませんけど、小説って内容ももちろん大事ですけど、長編というだけで読んでる時もなんか挑戦してるというわくわく感もあるし、読み終わった時の達成感も短編にないものがあるんですよね、ゆえに今まで読まなかったんですけど、もっと早く手にして
日本映画 峠 最後のサムライ 峠 最後のサムライ 『峠』とは 映画『峠 最後のサムライ』とは あらすじ 河井 継之助 官軍ではなく西軍と表現した司馬遼太郎の真意は? 忘れ去られた「忠」と「義」の精神 果たして明治維新は正しかったのかという疑問 『峠』とは 『峠』は、司馬遼太郎先生の長編時代小説、及びその映像化作品。 1966年(昭和41年)11月から1968年(昭和43年)5月まで「毎日新聞」に連載され、1968年10月に新潮社で刊行。 それまでほとんど無名に近かった幕末から戊辰戦争時の越後長岡藩家老・河井継之助の名を、一躍世間に広めることとなった歴史小説である。 近代的合理主義を持ち、時代を見据える先見性と実行性を有しながらも、「藩」や「武士」という束縛から自己を解放するまでには至らず、最後には武士として、長岡藩の家臣として、新政府軍に対抗する道を選んだ英雄の悲劇を描く。 『峠』の連載に
戦の天才が辿る数奇な生涯 『義経』上・下巻 司馬遼太郎著 現在放送中の三谷幸喜さん脚本によるNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、菅田将暉さんが演じていることでも話題の源九郎義経。本書は歴史・時代小説の大家、司馬遼太郎さん(1923~1996)がその劇的な生涯を描いた長編小説です(初出「オール讀物1966年2月号~1968年4月号)。 本書は書棚の整理の際に見つけましたが、帯に2005年大河ドラマ放映とあることから、当時滝沢秀明さん主演で制作された大河ドラマの放映に伴い買い求めたものと思われます。 本書の序盤では牛若丸としての幼少期から、鞍馬山での稚児名、遮那王としての姿も描かれています。数多の輝かしい武功を打ち立てていく義経と、あくまでも政治家としての立ち位置の頼朝は、やがて溝を深めていく・・・ 「鎌倉殿の13人」では、そのエキセントリックな言動により、すでにその行く末の伏線、暗示を小出
いつも通う駅までの道すがら、段ボールに不用品を置いてある店があった。 まぁ、ご自由にお持ち帰りくださいってことですね。 こういう時はつい覗いてしまうんですが、本に「おっ!」となる掘り出し物があるじゃないですか。 それは司馬遼太郎の『竜馬がゆく』でした。 大学生の時、激ハマり!! 大学に入った時、最寄りの駅から大学のある明大前まで片道1時間半くらいかかりました。 二十年前の話ですから、スマホはおろか携帯もネット使えませんでしたね。 そうすると電車に乗ってて何かないかなと父親の本棚を漁ったら、見つけたのがこの『竜馬がゆく』 手に取った理由は簡単で「8巻あるから長く楽しめるだろう、通学時間に」と。 坂本龍馬なんてそんなに興味がなかったんですよ。知ってたけど。 ところが!コレが面白いのなんの。 電車の中で読み始めて夢中になり、授業中でも先が気になって読み続け、帰りの電車の中でも読んで…とあっという
三村花充🦈 @hana76781232 あと「司馬遼太郎の小説を史実だと思い込んでいる人」っていうのは今の令和だと「司馬作品を読んだことがある人」とイコールではなくて、【司馬の設定を流用した創作を読んだり見たりしてる人】の中に居る。だから司馬読んでないから私は平気、とか思っててはいけない。あの人の影響はものすごい広範囲 2022-08-04 08:37:37 三村花充🦈 @hana76781232 創作作品しか観てない読んでない触れてないってことなら「創作しか知らない」って言っていいし、それが事実なんだよ。創作しか知らないって別に悪いことじゃないし。開発経緯とか仕組みは知らなくても機械は使っていいし使えるでしょ?だから触れてないものは触れてないから知らんって言っていいんよ 2022-08-04 11:35:01 三村花充🦈 @hana76781232 @Toruko_Raisu あの
新装版 尻啖え孫市(上)【電子書籍】[ 司馬遼太郎 ] 価格: 803 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 織田信長によって賑わう岐阜城下に、天衣無縫な壮漢、雑賀孫市が現れる。紀伊国に本拠におく鉄砲集団「雑賀党」の頭目で、信長は秀吉に、味方に引き入れるように命じる。孫市は、京で見初めた女が信長の妹と聞いて岐阜に現れたが、孫市の思い違いであった。しかし秀吉は雑賀党との同盟を結ぶため信長の遠縁の娘を孫市の想いの 「姫君」に仕立てて、彼と娶らせようと考える。 秀吉は孫市と接して、天邪鬼で難物と知ったが、命がけの殿軍を務める秀吉を助けるなどの義快心も持っており、孫市に奇妙な友情を感じていた。孫市の方も秀吉に好意を持ったが「姫君」が偽物と知り、織田家との縁を切って雑賀庄に戻ってしまった。 ところが雑賀庄に戻った孫市は、想いの姫君が紀州の名族の令嬢、萩姫であり、一向宗(浄土真宗)の熱心な門徒であることを
司馬遼太郎(1923~1996)は、『坂の上の雲』『竜馬がゆく』など数多くの歴史小説や『街道をゆく』などのエッセイを残し、幅広い読者を得た大作家でした。 8月7日は司馬の誕生日。さっきある方のブログで知りましたが『ドラえもん』ののび太も、同じ日が誕生日だそうです。 司馬はこんな言葉を残しています。彼が述べたことで、私がとくに好きなもののひとつ。 【今日の名言】 司馬遼太郎(作家) 私は、ひまさえあれば、ねころんでいる。ただ寝ころぶだけで十分たのしいのだが、枕元に史書のたぐいのものがあれば、楽しみはもうすこし増す。 以下、ここでは彼の作品ではなく、遺産(残した財産)の話をします。その遺産のことは、上記の言葉と関わっています。 *** 司馬が亡くなったのは1996年のこと。その翌年、彼の遺産の評価額が税務署から公表されました。昔は、そんなことが公表されていたのですね。 遺産の総額は、26億4千
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こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、司馬遼太郎「義経」!悲劇の英雄・源義経はいかに戦い、いかに滅びたのか。 「夢中図書館 読書館」は、小説や雑誌などの感想や読みどころを綴る読書ブログです。あなたのお気に入りの一冊を見つけてみませんか? ■あらすじ 源氏の棟梁である源義朝の子、源義経。 生まれて間もなく、父義朝が平家に敗れ命を落とすと源氏は没落、自身も鞍馬寺に預けられます。 長じて元服した義経は京を出奔し、奥州に逃れて藤原氏の庇護を受けながら、平家への復仇の機会を伺います。 そんなときに、兄頼朝が伊豆で平家打倒の兵を挙げます。義経は、武蔵坊弁慶など少数の郎従を率いて、兄頼朝のもとに駆け付けました。 (義経・弁慶主従の像/藤沢白旗神社) 義経は、同じ源氏の血を引く兄弟として頼朝を敬愛しますが、東国武士団の棟梁として地固めを進める兄頼朝は、義経を家人として扱いま
「政治に関心持たず生きていける国は良い国です」自民・麻生太郎氏 自民党・麻生太郎副総裁(発言録) 昭和30年11月、自由党と民主党が合併してできたのが自由民主党。それ以来ずっと我々は安全保障や防衛の問題をやってきた。普通の生活をしている時に、安全保障や防衛を考える機会はあまりない。それは良いことなんですよ。 したり顔で、「(安全保障について)考えない方が悪い」という人がよくいるが、それは世の中が分かっていない。今、アフガニスタンやシリアやイラクに生まれたとしたら、間違いなく安全保障について考える。いきなり地雷が爆発するようなところに住んでりゃ。みなさん方はそういうことに関係のない国、日本に生まれた。だから考えなくて良いというのは良いことなんですよ。 「政治に関心がないのはけしからん」とえらそうに言う人もいる。しかし政治に関心を持たなくても生きていけるというのは良い国です。考えなきゃ生きてい
「亜弥、きょうは短縮版だよ」 「えっ…どういうことですか、ヨーコ」 「だから、短縮版なの。土曜はブログの中の人が忙しいから、短縮版になることが多いの」 「そもそも…短縮版ってなんですか?」 「ブログの文字数が少なくなるんだよ。――きょうは、『1000字以内におさめてね~』というお達し」 「お達しって、だれからの?」 「え?? ――中の人。」 「な…中の人は…どこにいるんですか」 「中にいるに決まってんじゃん」 「……」 × × × 「堅苦しく考えるんじゃないよ、亜弥」 「た、短縮版とか、初体験なので」 「お。『初体験』発言、きた」 「……なんですかその不埒な眼は」 「えーっと、せっかくなんで軽く自己紹介すると、わたしは小路瑤子、桐原高校放送部の準トップなポジション」 「勝手に自己紹介始めちゃうんだから……」 「ほら、あんたも自己紹介しなよぉ」 「……。猪熊亜弥です。放送部部長です。ヨーコが
本記事はアフィリエイト広告を利用しています 記事内に商品プロモーションを含む場合があります こんばんわー 由緒正しきおっさんの休日の在り方「司馬遼太郎をゆく」、お久しぶりの出番でございます~笑 今回の「司馬遼太郎をゆく」は、滋賀県は長浜市国友町をゆく! 司馬遼太郎【街道をゆく24 近江散歩 奈良散歩】より 「国友鍛冶」です! 【ブックオフ】公式宅配買取サービス【送料・手数料無料!】 現在の滋賀県長浜市国友町はかつて「国友村」として、室町期から幕末まで鉄砲鍛冶として栄えました 村まるごとが「鉄砲鍛冶」の村として栄えたまさに「鉄砲の村」であります! 長浜市の中心部から車で10分程度の国友町に、「国友鉄砲ミュージアム」があります こちらにたくさんの鉄砲の展示と歴史とが紹介されており、鉄砲鍛冶としての国友のあゆみがよく解ります そして驚くのはなんと・・ 司馬遼太郎の「文学碑」が町内に5つも!石碑が
こんばんわ、由緒正しきおっさんの休日のあり方、「司馬遼太郎をゆく」です(^^) 今回訪れたのは関ヶ原にある「不破の関」。 これは旧中山道でしょうか、非常に狭く曲がった道が古の雰囲気を醸し出しています。 この背中側には東海道新幹線が走り、深い山の中を切り裂くように跳んでゆく光景は感慨深いですね・・・。先日も出張の折り、スマホのグーグルマップを手にしながら「ここだ!」というポイントを見てやらんと窓外を凝視していたのですが、一瞬にして過ぎ去っておりました^^; 関ヶ原の関とは、いうまでもないことだが、不破の関のことである。 この関は、古代史のなかの関である。奈良朝以前から、畿内の天皇政権にとっての防衛上の関所で、美濃・近江の境界の美濃側に置かれていた。 この不破の関と、北陸道からの敵の乱入を遮断する越前愛発の関、さらには伊勢からの敵をふせぐ鈴鹿の関が、律令時代、天下三関といわれていた。 不破の関
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